私には価値がある
ただそこにいる
そこに存在するだけで
私は愛される価値のある人
いきなりですが、
このように聞いてどのように感じましたか?
何もしてないし、ただそこにいるだけでいいだなんて、誰かのお役に立ってなさそうで、なんかモヤッってしませんか?
私はずっとずっと嫌でしたよ。信じられませんでした。今でもそう思える日もあれば、そう思えない日があります。
体が疲れていたり、寝不足であったり、メンタルが不安定な時は特にです💦
誰かのお役に立ちたい
誰しもそのように思うのではないかと思います
それは小さな子どもでさえ、そのように思っていると思います。
大好きなママの為…
大好きなママの笑顔を見たい…
ただそれだけ…
そうやって、小さな体でママを助けてくれます😊
小さな、小さな体でお手伝いをしてくれたり、小さな、小さな体で妹や弟の面倒を見てくれます。
それってなぜだかわかりますか?
純粋にママを愛したいのです
純粋にママから愛されたいのです
ただそれだけ…
私達も小さな頃、親を喜ばせたくてたくさんお手伝いをした記憶はないでしょうか?
肩モミをしたり、忙しいママの変わりにお買い物に行ってきたりと、妹や弟の面倒をみたりして、ママに振り向いてもらいたい。
でもママになかなか伝わらなくて、お手伝いしたのになぜか怒られたり、邪魔者あつかいされた、そんな記憶はないでしょうか?
親側の立場からお話しすると、心に余裕はなく、子どもの愛を受け取れずにイライラしてました。
今では反省してます。反省しすぎて罪悪感を感じメンタルを崩してしまったそんな経験もあります。
全くといっていいほど、心に余裕なんてなく、その時間、その日を生きるの必死でした。
命を育てる時間って、それこそ私のことは後回しです。私の前に小さな命、ひとつの命を守らなくてはいけないからです。
私が守らなくて誰がこの子を守るの。母親になって私はそのような意識を強く持つようになりました。
子どもの愛って真っ直ぐなんです。自分の大好きなママの為だけに、全て全力で向かってきます。
そこに嘘は何ひとつありません。そのくらい子どもの心は純粋で綺麗なんです。
こんなにもママの価値を見てくれる人って誰がいるでしょうか?
どこを探してもいないように私は思います
子どもは無条件で親を愛してくれます
そこに嘘は何ひとつありません
私は長い間、自分の価値を感じることができませんでした。
今でも疑ってしまう時があります
私が価値を感じられるもの。それが子ども達でありました。
寂しくて、寂しくて、子どもに囲まれながら生きていきたかったのだと思います。
子ども達は、いつでも私を愛してくれました。
でも私は、その純粋な愛をなかなか受け取ることができませんでした。
それはなぜか?
これっぽっちも私自身を愛していなかったからです。私が愛されるはずはないと、心のどこかで感じているので。子どもからの愛を信じることができない私がいたのです。
それはすでに形として現れてました💦
話は10代の頃に戻ります。
私はよくケガをする人でありました。何度も階段から落ち、段差で転ぶのはしょっちゅう。骨折をしたり、顎や唇も縫いました。交通事故に遭ったりとケガがとても多かった10代
命に関わるような大怪我ではなく痛みを知らせてくれるもの
その時の私は全くといっていいほど、私の命に気づくことができなかったのです💦私という大切な存在を知らなかった。
だから相手の大切な命、大切な存在もわからなかった。
そのままいたら、いつ死んでいてもおかしくないと思います。
私は私の命を大切にすることができないそのような人でした。どうやって大切にするのか、どうやって大切にされるのか、わからなかったんです。
続く