2020年、日本中の老若男女を魅了し記録的な大ヒットを記した漫画「鬼滅の刃」。

 

大ヒットの理由は、様々にメディアで展開しておられますが「本質」を指摘された記事は未だにお目にかかれていません。なので

 

「物事の本質を見極める」指導をしている本書としては、「ヒットの理由の本質」を纏めると・・・

 

「応援の共感」

 

になり、少し広げると

 

「コロナ禍による閉塞感、恐怖感と鬼滅の刃の世界観のリンクの効果と作者の特殊な表現方法により感情移入し不安の心の昇華をアニメと音楽の相乗効果にて歴史的ヒットが生まれた」

 

になりますが・・・ピンときませんよね。

 

下記の要点にて、それらの理由を記していきたいと思います。

 

【1】コロナ禍

【2】鬼と日本文化

【3】全員主人公

【4】漫画家ではなく画家として新しい表現方法(手塚治虫も嫉妬)

【5】作者の人柄

【6】アニメーションとの強烈な対比(手塚治虫も嫉妬)

【余談】ブームは2020年で終わっている

 

アニメや漫画は子供が見るもの、という年代の層までも魅き付ける「鬼滅の刃」。

 

これほどまでの大ブーム、社会現象に至った魅力を上記の6つのポイントにて解説していきます。

 

【1】「コロナ禍」について

 

歴史的大ヒットの大きな要因は、劇中の出来事の世界観と、現実の世界観がリンクした事。

まるでその境遇が自身の周りに起こり、世界観に入り込んでしまったかのような状況。

 

それは奇しくもコロナ禍によるものでした。

 

「大きな不安感」「日本全国、外出自粛で家にいる時間が多くなった」「家族の繋がりが大きく再認識された」「閉塞感による行き場のない感情」そして「娯楽はテレビネット雑誌であった」。

 

世界中を襲ったコロナによる死の恐怖と将来や日常を奪い去った憤り。

 

「鬼滅の刃」の鬼による死の恐怖と将来と日常を奪い去った憤りという世界観が、コロナ禍で全日本国民に「共感」を得られた極めて異例の事態でした。

 

なので鬼滅の刃に「感情移入」し「憤りの救い先」を求めるのは自然な流れのようでした。驚きです。

 

先ずは、日本中、日本国民が共感状態の土台が出来上がりました。

 

【2】「鬼と日本文化」について

 

「鬼滅の刃」以外にも、面白そうな実写、ドラマ、漫画、アニメが沢山あります。

 

しかし先にも書いた要因で、鬼滅の刃を見る前に既に世界観が日本中リンクしていてヒット(注目)する土台が突出していました。.

 

が、それだけでは、漫画に慣れていないお祖父ちゃんお祖母ちゃん世代には届きません。そんな世代をも魅了するポイントとは

 

「日本人のDNAに刻み込まれ'共感'してしまう歴史的な背景」によります。

 

それは荒唐無稽な魔法や超能力やロボットが活躍する「架空の知らない世界」ではなく「大正時代の日本の物語」であり「日本の古き昔の家族や人々の繋がり」と言う日本人に馴染みある世界。

 

もちろんフィクションですが、現代でも田舎ではリアルに「日常の生活」「人と人の繋がり」に近く、都会暮らしでも故郷に帰省し、おじいちゃんおばあちゃんや親に会いに帰る懐かしい感覚もあるでしょう。現代でも身近に感じられるものでした。

 

それらの日本中の老若男女がDNAに刻まれているが如く共通に感じる「懐かしさ」「覚えている感じ」「昔を思いはせる」ような感覚を「歴史背景」として鬼滅の刃は持っていました。

 

貧しくとも「家族を大事にする、人を思いやる、助け合いをする、人に親切にする、慎ましく生きる」と言う日本古来に存在した「優しさや強さ」「人の願い、想い」を強烈なメッセージで思い出させるのです。日本人の心の琴線に触れるといいますか、恋焦がれるという感覚に近いです。

 

そして現実の敵たるコロナと対比するような「鬼」の存在。

 

人間や怪獣や魔王やロボ等が敵ではなく、これまた「日本文化」に馴染みのある「鬼」を倒すことで世界は救われると言うシンプルな物語。そして家族や他の人達を救うという、自分の幸せは人が幸せになることと言う切ない愛情がありました。

 

昔から日本では鬼とは人に害する架空の怪物でありながら「冷酷無比で慈悲の心がないような人」「犯罪や人に迷惑をかける人」等を鬼と呼ぶと言う比喩があり、全ての日本人にはスッと腑に落ちるように「鬼」の立ち位置をDNAレベルで理解します。鬼も元人間で心は残っているので「鬼の目にも涙」と言う諺があるくらい鬼は古来から日本に馴染んでいます。

 

「鬼と戦う = コロナ禍と戦う」

 

「鬼を倒し妹を人間にする絶望的な状況でも・・・努力と根性で明るく前向きに進む」

「炭治郎達のように、自分たちも絶望的な状況でも、助け合いながら頑張れるんじゃないか・・・」

.

時代背景も鬼もと言う設定も、編集部や作者も意図せずした背景でしょうが、これが鬼滅の刃の日本中の老若男女を虜にし大ヒットに至る大きなベースになっています。

 

漫画や実写に関係なく、漫画アニメは子供のものという既成概念たる枠を取っ払った根幹ですね。

 

 

【3】「全員主人公」について

 

漫画やアニメにおいて人気やヒットするには「主人公に共感できる」かになります。

 

先ずは主人公が支持されないといけません。

 

物語の世界観を主人公を通して「一緒に」進むわけですが、まずはその「共感」し「感情移入」できるかどうかで決まります。

 

いくら土台の世界観、物語に共感できても「絵柄や作風」で気持ちは変わります。

 

「気に入る、気に入らない」の感情移入は理屈ではなく直感や感覚です。少しでも違和感を感じると気持ちが離れていきます。絵柄や作風、ストーリーやセリフなど初見で「好き嫌い」が発動したりするのです。

 

物語は主人公は一人です。それを軸に物語は進みます。様々な価値観のある万人が、その一人を支持するのは不可能に近いです。

 

そんな中でも主人公の「竈門炭治郎」の魅力は、健気さと他人に対する思いやりの深さ、に心を持っていかれる方は多いですよね。40代以上の大人は全員持っていかれています(笑)

 

ですが、太陽のように明るく誰からも好かれるキャラクターでも「そうでもない」と言う方々も非常に多いです。とくに近年のアニメや漫画慣れした目の肥えた若者たち。

 

主人公に感情移入してくれないと物語に興味も持ってくれない・・・

.

なのに鬼滅の刃の大ヒットしたのは

 

「鬼の被害者になった登場人物が全員主人公」と言う強さです。

 

主人公より「あの人」や「この人」が推し、と言う目の肥えた若者たちも、半数程もれなく引っかかってしまうのですから「ヒット」しないわけがありません。

 

非戦闘員さえも、戦えないながらも主人公と同じく鬼を滅すると言う「願い」を強く持ち「平和」を望んで気持ちを同じでいます。

 

鬼殺隊の面々も「柱」も個性豊かな面々も藤の花の家紋家の人々もカラスも雀までも「主人公」なのです。

 

それぞれが悲しい過去と傷を持ちながらも「身命を賭して」懸命に、人のため、世の平和の為に向かっている姿は、同じようなコロナ禍の私達、誰しもが共感してしまいます。

 

子供を持つ方からすると育手の「鱗滝左近次」に共感したり、柱になれなかった村田さんに共感したり・・・その立ち位置からでも主人公目線として物語に入り込めるのです。

 

サイコロステーキ先輩以外は、健気で身命を賭しています。

 

.たとえ自身の手で叶わなくとも次に繋げる「人の想い」。過去、漫画に限らず映画やドラマの物語で「このような全員主人公」は見たことはありません。

 

驚きです。

 

 

【4】漫画家ではなく画家として新しい表現方法

 

近代の全ての漫画は「手塚治虫先生」の影響を受け継いでいます。大きく言うと漫画の生みの親は手塚治虫先生で、その後に続く漫画家は子供達です。本人は否定しようとも自覚なくとも大きな影響を遺してもらっています。

 

「漫画の表現技法の生みの親」でもある手塚先生・・・

 

ドラゴンボールの格闘シーンの驚くべき空間を使った描写。ワンピースの奇天烈な衣装のキャラクター達。

 

現代でも読者を夢中にさせる漫画の表現方法を生み出したのは手塚治虫先生なのです。遠近法による空間の使い方から、動きを助長する背景スピード線等の使い方、登場人物の感情を表現する背景模様の使い方、昭和の時代に奇天烈な蠟燭を頭に乗せた奇天烈キャラ達を登場させたり、まさに漫画の生みの親で、影響を受けない漫画家はいません。

 

静止漫画に「動き」と「読み手にキャラの感情を押し付ける」技法です。

 

逆を言えば漫画愛読する読者たちも、それに影響を受けて「慣れて」いる点が今回重要になります。

 

国民総数の半分以上は漫画を愛読していないソレに「慣れて」いません。結果、鬼滅の刃はその沢山の層の取り込みを安易にしていました。

 

吾峠呼世晴先生は「手塚治虫を嫉妬させる表現方法」を用いました。

 

吾峠先生が意識して狙ってやった事ではないのが驚きです。これは後に記述しますが吾峠先生の性格の良さによる所が非常に大きいです。

 

現代の漫画やアニメに精通する若い世代の方達の評価は「漫画が下手糞」「漫画のキャラ手抜き」と評されますが・・・見る人が見ると吾峠先生の画はとんでもなく上手いです。・・・矛盾に感じますが実は

 

吾峠先生は漫画家ではありません。(吾峠先生へ・・・これはめちゃくちゃ褒めているんですよ)

 

根っこは本物の画家です。(漫画家から画家に昇華した少数に、スラムダンクの井上先生等いらっしゃいます)

 

この答えで「なるほど」と納得される勘のいい若い世代もいらっしゃるてしょう。つまり吾峠先生は漫画の表現方法は「苦手」なのです。

 

当たり前です。画家としての表現方法に「読み手に印象を方向付ける」などありませんから。

 

吾峠先生は単行本を読むとわかりますが、繊細で細い線を用いて表現し「見る者」に、それぞれのあらゆる感情を揺さぶる技法は驚愕します。表紙や挿絵、扉絵などはまさに絵画の如く息をのみます。

 

そして「読み手に」様々な感情や想いを自由に連想させてくれています。

 

手塚治虫先生が嫉妬するのは、自身が開拓しつくした漫画の表現方法に「画家」の技法を用いて変換した事です。

 

これまでの漫画は漫画家が読み手の感情を「決めつけて」いました。

 

キャラの顔や背景の細工、背景模様の技法を使って「動揺、悲しみ、喜び・・・」を読者に押し付ける事に努力しています。これは手塚先生由来の技法。現代漫画家では当たり前の技法・・・

 

吾峠先生は画家なので、それら不得意分野で勝負はしませんでした(しかし単行本1巻を読むと分かりますが、当初はそれらの苦手な表情背景(顔に斜を掛けたりマダラ顔の炭治郎)にトライし試行錯誤試みが見られました。が作風が暗くなりがちで「持ち味が生かせず」途中で手放したのは英断です)
 

「動」の漫画と「静」の絵画。

 

「漫画」は、空白を無くし書き込みの質や量による埋め込みをして読者の感情を決めつける。

 

「吾峠画」は、敢えて空白を意図的に作り出し読者それぞれの感情を引き出させ想像させる隙間を作る。

 

元々、漫画は「静」でした。四コマ漫画由来ですね。それを手塚先生が生み出した革新技法で「動」と言う動きと、読み手に「感情、臨場感」を伝える2つの技法で進化させたのに・・・「静」という古来の技法に革新的な表現技法を吾峠先生は用いていたのです。

 

画の表現で一番むつかしいのは「人の手」です。漫画で手を描くだけで万人を感動させる漫画家はいません。手塚治虫先生由来の表現方法を用いて、太く書いたり、影を作り、背景模様を利用して「読む人の感情」に訴えないと「手」だけでは説得力ありません。

 

鬼滅の刃の単行本の最終巻の鬼となってしまった主人公の葛藤のシーン。

 

主人公の炭治郎の背中を押す「手」

 

引き上げようとする「手」・・・

 

なんと繊細で丁寧な線で表現された「手」でしょう。

 

「手」だけなのに万人の方の涙腺を緩くし琴線と言う大きな、そして様々な万感の感情を引き出した「シンプルな手の表現」は、古今の漫画で見たこともありません。

 

驚きです。

 

まさに画家の真骨頂。手塚治虫先生も嫉妬ですよ。

 

吾峠先生が漫画が苦手と言うのは、格闘シーンや戦闘シーンを見ると理解できます。線の書き方が、ガラリと変わり流麗で軽やかな線から、堅くて重い感じになりイメージが変わるくらいだし、結局ページも使わずアッサリ終わらせて・・・誰しも「苦手なんだろうな」と思わせます。

 

しかし弱点に思われた「戦闘、格闘シーンが苦手でページ数が少なくなる」・・・これが大ヒットにつながる大きな要因でした。

 

驚きです。

 

なんなんでしょう・・・神様仏様の加護を受けたような奇跡の連続は。

 

戦闘格闘は、これまでの漫画では一番重要なシーンでした。漫画家の特徴を思う存分出して「作家の個性を押しつけ」てきていました。読者も熱狂し、売り、と言っても過言はないでしょう・・・が

 

内容たる目的やストーリー自体が薄くなり、本題がとっ散らかる人気漫画は多いです。またアニメ化にあたり漫画のその格闘シーンの表現方法と違和感がで不評となる場合も多いようです。

 

鬼滅の刃は、1ページくらいで戦闘シーンを済ませるには見栄えが難しいので、苦肉の策かもしれませんが「何とかの呼吸、何の型」と言うセリフとそれっぽい描写表現で描き切ったのは編集と作者の英断です。

 

よりストーリーに集中(戦闘シーンは飛ばし読み)でき話のブレがありませんでした。漫画に慣れていない世代には読みやすく、読みなれている世代は脳内で戦闘シーンを補完し、何よりページを食わないのでサクサク読めるのは大きな武器でした。

 

しかし、その苦肉の英断は子供達に大受けしました。

 

アイキャッチャーの誕生です。昔からヒットする漫画や特撮などアイキャッチャーが必要です。ウルトラマンのスペシュウム光線から仮面ライダーのライダーキックに変身ポーズ!メディアや企業も取り上げやすく、何より子供達に大受けです。

 

鬼滅の刃の「全集中、何とかの呼吸何とかの型」はアイキャッチャーとなり人気となる間口を大きく広げています。

 

驚きですね。・・・以下略(笑)
 

 

そして手塚治虫先生が嫉妬し、ほかの漫画と大きな差別化と革新的な技法を表現した吾峠先生の編み出したオリジナルの登場人物たちの「感情表現技法」。

 

単行本をチェックすると6巻の柱合会議シーンにそれ「露寺蜜璃」(プっ・・・笑っちゃダメダメ)は出現し、それ以降の巻で確立し「鬼滅の刃」の大きな持ち味となり大きな武器と変化しました。

 

キャラクターの「吾峠流デフォルメ」です。

 

昨今の漫画キャラのデフォルメは「鬼滅の刃 外伝」平野稜二先生が描く「かわいい2頭身デフォルメ」等が一般的ですね。

 

しかし吾峠デフォルメは2頭身であっても「子供が作った粘土人形のように顔が怖かわいい感じ」破顔ではなくまるで破壊のごとく「表情が読めず」「キャラがどんな気持ちや感情」かが読者に丸投げする驚愕の技法なのです。(褒めてます)

 

手塚先生が生み出した、キャラの顔に斜を入れたり模様をいれたり、背景に細工を入れて、読み手の感情に「今のキャラの境遇や感情はコレだよ」と「決めつけ、押しつけ」する従来の技法の真反対。

 

読者に「感情や気持ち」の受け取り方を選択させると言う驚くべき技法です。

 

何故なら、見る人が100人いて漫画キャラの「その顔の感情表現」に100人とも受け取り方が同じではない・・・と言う事実があります。

 

困り顔を見ても「悲しい」「嬉しい」「感動」「何も思っていない」等、まさに千差万別。

 

読者に一つの感情にして押し付けるのは不可能。・・・それを可能にしてしまった吾峠デフォルメは脅威です。

 

これは本当に驚きしかありません。手塚先生も嫉妬しますわ。

 

吾峠デフォルメは熾烈で過酷な笑えない状況にでも「ほっ」と「一服の清涼剤」効果を生んで刹那の安らぎを与えてくれています。

 

宇髄天元が重傷で瀕死のシーンに、登場したデフォルメ禰豆子の「ヨッ!」は最高でしたし、最終決戦で笑えない状況でも甘露寺蜜璃が「わたし馬鹿じゃないわ」や「キャー私が一番に死ぬ」と言いながらデフォルメで読者の緊張をほぐしてくれました。

 

何より、吾峠デフォルメで各キャラクター達の個性や様々な面が出てきて、作者の意図を離れて勝手に動き回るくらいキャラが生きて動きだすのを読者が感じられる。・・・驚きですね。・・・以下略(笑)

 

なのでそれぞれのキャラクター達にたくさんのファンがつき愛されるのでしょうね。

 

 

【5】作者の人柄

 

鬼滅の刃の記録的大ヒットの大きな要因は「作者の人柄」につきます。

 

お会いしたこともありませんが、他の漫画家は存じています。

 

漫画の主人公は作者の人柄の投影であり、作者自身が、そうありたいと願う人物像で一致していました。吾峠先生の感謝のメッセージ等、それらから察するに「素直で真面目で努力家で感謝の念をいつも持ち、人に優しく己に厳しく、人の幸せを願い明るく元気。でも頑固者(笑)」まさに、炭治郎そのものの人柄が伺えます。

 

漫画とは作者のエゴの塊です。漫画家はデザイナーではなくアーティスト。デザイナーとは「見る人の感情をコントロール」する臨機応変の存在で、アーティストは「見る人に自分の感情を押し付ける」強い存在です。

 

そうすると「他人の意見」は聞き入れにくいです。否定されると反発します。

 

漫画は「客観性」「俯瞰で見る」事を常に取り入れないとヒットしません。独りよがりの作品になります。

 

優秀な編集者やスタッフと言う「客観的」で「俯瞰で見る」存在が大事になり、それらの意見、軌道修正など、を「素直に」取り入れられるか?が成功のカギです。

 

しかし、言われるがままだと、作者の気がそがれてしまい魂が乗りません。難しいですよね。

 

週刊少年ジャンプの編集は「売れる漫画のノウハウ」を、まさに売るほどたくさん用意できる環境でした。

 

プロとして素直で人柄のいい画家の吾峠先生と、売れる漫画を指導できる編集とスタッフの作り上げた「鬼滅の刃」。ヒットしないわけはなかったのですね。

 

吾峠先生は、祖先や過去の方たちに対しての思いやりや感謝や寄り添う思いなど、接し方が素晴らしかったと思われます。奇跡的で不思議なたくさんの加護が見受けられます。非科学的なので詳しくは書きませんが・・・。

 

鬼滅の刃の記録的大ヒットの大きな要因は「作者の人柄」につきます。

 

 

【6】アニメーションとの強烈な対比(手塚治虫も嫉妬)

 

「動」たる漫画の生みの親で先駆者たる手塚治虫先生。

 

動たる動き・・・その先に手塚先生が夢、思うのはアニメーションとの融合なのは必然でした。

手塚先生はアニメ会社を設立し沢山のアニメを輩出しました。

 

しかし漫画とアニメの融合は・・・儚く散ってしまいました。

 

それほど難しく困難な事柄です。

 

それを昇華させて記録的大ヒットになったのが「鬼滅の刃」でした。

 

漫画原作のアニメは沢山ありました。

 

コロナ禍で時間ができた私達は、アマゾンやネットビデオを楽しそうなコンテンツを見回っていました。そんな折に「鬼滅の刃」が面白い・・・と時勢柄、アニメから鬼滅の刃を見始めた方達は非常に多いです。

 

上記のポイントで期したように「共感」が「世界観」が身の回りと重なり、ストーリーに引き込まれました。

 

何より制作会社「ufotable」の作画クオリティが驚愕で、神回と言われる19話。説明もいらないほどのクオリティと人々の感動と共感を根こそぎもっていかれました。

 

悲惨で絶望的な環境。そんな中にも主人公を含めた4人コンビ(妹さんも入れてあげてください笑)のホッコリ感。

 

頑張れ、頑張れ、と自分や周りの人達を重ねて応援したくなります。

 

そして理不尽で、頼もしい強そうな「柱」達の登場で、よし、これから・・・で残念ながらアニメは終わりです。

 

そこから原作漫画に大量の大勢の国民が流れていきました。

 

しかし従来のアニメと漫画の関係は難しく融合はありえません。漫画とアニメの表現による世界観の違いで違和感が出て両方とも支持されにくいからです。

 

それは「動」のアニメに「動」の漫画をぶつけるから起こるケンカ現象でしたが・・・

 

鬼滅の刃の漫画は異例の「静」なので、お互いの棲み分けと「補完のしあい」と言う分散作業により圧倒的支持が漫画とアニメを支える根源になりました。

 

これまでは、このような関連のアニメは「スピード感」「シンプル」が特徴。

 

そして原作漫画は「展開がゆっくり」「戦闘格闘シーンが長い」でしたが・・・

 

鬼滅の刃は逆転現象です。

 

苦手だった格闘戦闘シーンを短く展開したお蔭で「物語自体」をスピーディーでシンプルに展開を早く見せてくれていました。そしてアニメが漫画が端折った戦闘格闘シーンをじっくり迫力と効果音と音楽で動きをみせてくれている・・・。

 

そして原作漫画の挿絵や余白ページに、作中に入らなかった話や後日談、細かい設定話等を文章や絵を用いて「隙間の補完」をしてくれていました。吾峠先生の作品への思いやりを感じます。

 

アニメで疑問に思ったところを全て解決してくれているので、単行本を隅々まで読む「見つける楽しみ」を教えてくれたりしています。ファンにはたまらないですよね。

 

例えばアニメで見た奇天烈な「柱達」。見た目の奇抜さではなく、それぞれ全員に悲しい過去や優しい思いに原作では触れてくれています。

 

服装の奇天烈で胸がはだけそうな甘露寺蜜璃は、隊服を作るエロ隊士(笑)に騙されていた天然エピソードは秀逸でしたよ(マッチで燃やした胡蝶しのぶ等(笑))。

 

驚きです。

 

アニメーションと漫画の補完のしあいによる奇跡の融合は、やはり手塚先生も嫉妬されると思いました。

 

 

 

【余談】ブームは2020年で終わっている。

 

日本中を巻き込んだ鬼滅の刃ブームは2020年で始まり、2020年で終わりました。

 

記録的興行収入の映画も、まだまだ話の序盤でしたが・・・原作が終わり、その感動的なストーリーに熱狂した日本国民の「心の昇華」を見事に救ってくれました。

 

これが全てです。

 

終わりを見てしまい満足感いっぱいで見送った過去なのです。

 

映画「無限列車」にて煉獄さんが、その生き様やセリフにて「コロナ禍で不安いっぱいの我々に」・・・「心を燃やせ」と大きな応援をくれました。

 

現実の我々も多いな共感と感動で、奮い立たされたことでしょう。

 

コロナ禍で映画館に行けなくて見ていない多くの方達も原作漫画を読んで「その感動」を知っているので日本中が「共感と感動」の大きな渦をと一体感を感じた奇跡のような大変大きな出来事でした。

 

・・・続編のアニメや映画をやろうとも「すでに知っている」「終わった物語」なので・・・

 

もしアニメの続編が出れば熱狂で迎え入れられますが・・・皆さんの心の情熱は続けば続くほど引いているのを実感される事でしょう。

 

それはグッズ関連売上や興行収入であったり視聴率と言う数字の「減」で客観的に表れるでしょうね。

 

大きな波は、突如として現れて瞬間に無くなるのが此の世の在り方なのです。

 

「鬼滅の刃」

 

吾峠先生にスタッフ関係者の皆様・・・コロナ禍で大変な世の中にコロナと相対するように生まれた素晴らしい作品に本当に敬意を表します。奇跡の漫画でした。ありがとうございました。

 

 

PS

 

アニメ続編見たいです(笑)

 

もし続編あるなら絶対ヒットしてほしいのでアドバイスを一つ。

 

「時間」が全てのカギです。

 

時間(鮮度)の問題です。

 

レギュラー放送は時間(間)が出るのでダメです。2時間スペシャル単位なり映画を合間に入れたり2021年中に終わるようにしないといけません。

 

年跨ぎは「最終決戦」辺りでギリです。

 

しかし、「人気を低下させない」為の時間を紡ぐ方法はあります。

 

「情報」です。

 

全てのスケジュールを先に公開すると「時間」は超えられます。

 

関係者様・・・ご参考までに。



※手塚治虫先生のお名前をお借りしました。現代漫画の代表的な形態等として総称的にお名前をお借りし完全な比喩になります事をお許し下さい。