お盆があるのでその期間からしばらくの間、実家に帰省している甥と姪に会いに私はお盆を避けて平日に会いに帰る予定だった。でも、「南海トラフ巨大地震」の影響で早く帰ることにしたらしく私はこの夏、会うことはかなわなかった。


そもそも私が実家に帰る場合、ヘルパーさんと帰るため予定は一ヶ月ほど前に決める。今回も早めに決めていたのですが姉が帰ってくる日の中で予定がない日と私の予定がない日を合わせるのがなかなか大変で私は病院の定期受診の日を変更してなんとかその日をあけた。もちろん、姉はそんなことは知らない。でもそうやってあけた・・・


確かに巨大地震が起きた時、家族が離れ離れになるのは怖いだろう。まだ甥も姪も小さいのでなおさらだ。でも良くも悪くも地震だ。「いつ起こるかわからない」のも事実。まあだからこそ万が一を考えて帰ることを選択した姉夫婦を私は止めなかった。

でも、その後も次々に送られてくるグループLINEでの写真や動画。今回に限ったことではないけど、私はこれが苦手だ。もういい加減グループを抜けたいとすら思う。親戚を含む私以外のほぼ全員が集まった集合写真。グループLINEの通知がなる度「家族ではない」と言われている気がしてならない。


無事に早めの帰路についた姉からグループLINEにメッセージ。『予定より早く帰ることになったけどいっぱい楽しい思い出ができた。ありがとう。』というような内容だった。あー帰ると決めたと聞いた時から思ってはいたけど、誰も私が帰ってくる予定にしてるからその後じゃダメなの。とか、これはあの子(私)もみてるなーとかは思わないんだ。と思った。


そんな中、本来渡すはずだったお土産とかを持って母が家に来た。(1番の目的は前もって頼んでいた荷物。)前日に電話をすると実家にあるというので届けてもらった。でも、タイミングが悪すぎた。私がトイレに座っている時間だったのだ。

『トイレ?』と聞かれたので。『まだトイレからで出ない』と伝えると、ヘルパーさんに『長いんかなぁ?』と聞いている声がした。なので私は『長い帰った方がいいで。』と伝えた。でも、そのやり取りのおかけでもう出そうになかったのでその数分後、私はトイレから出ることにした。既にトイレの中から母の伝えたいことと、私の伝えたいことは伝えていたのでトイレから出たところでしなければならないことは山のようにあるし『通れる?先、帰る?』というと、 『帰らなあかんけど・・・』というので『先帰り』(車いすで通れなくなるという意味もあって)というと母は玄関を出て行った。トイレは出ないし、悪すぎるタイミングにいらだちつつも本当に久しぶりだったのにあまり話せず、態度も悪かったので電話をかけた。『もう帰ってる?』と聞いた私に母の脳裏に浮かんだのは忘れものだったのだろう。『どしたん?』と言われたので、『いや、今机の上みた。ちゃんとお礼言うてなかったから。私とゆっくり話したいなら◯◯時(ヘルパーさんの終了時間)以降に来ないとああなるから』というと、『早よ行ったのがあかんかったんやな』と言ったので『いや、せめて連絡してと言うと』『今からもう一回行こか?』と言った。『なんで?ええわ』というとその後も色々話していたけど、周りの音でよく聞こえず『とりあえずそういうことが言いたかった』と言って私は電話を切った。


期待してた。ヘルパーさんの終了時間まで母が何処かで時間を潰していることを。

この電話を切った後、母が引き返して来てくれれば私のここ数日の気持ちが少し楽になる気がして新たな期待をした。


来るわけなかった。

あま来なくていいと言ったのは私なのだけど・・・

気づいたら気持ちが溢れ出していた。こんなに自然に溢れた涙はいったいいつぶりだろう。そんなことを思いながらこのブログの最初の方の行を書いた。


「泣く」って言うのは不思議なものでしばらくすると、少しスッキリした気がした。と、同時に思った。『家族ってなんなんだ』って。ここ数日の出来事で少し前から思っていたことなのだけど沸々と湧き出てくるその思いはこのブログを書く指の動きを止めることはない。


違うとは思うが、あと数年で3回目の大台に乗ろうとしている私の人生。今まで夢を見ていただけ、知らなかっただけで、実は家族ではないとか。何か訳アリ家族的な感じだったり?なんて妄想は膨らんでいくばかり。こんなに家族全員揃ってないのに笑顔でいれるのか。考えはじめるとつきない。もはや実は自分はこの世にいないのか。とまで思えてくる。でも存在を確かめさせてもらえるのはヘルパーさんや家族意外との関わり。そして生きている価値。生きていてよかったと思える瞬間は好きなアーティストが歌う歌詞。揺れ動く気持ちをなんとか落ち着かせ、今この瞬間を生きている。


本当におもたい内容。今日も最後まで読んでくださりありがとうございましたニコニコ