昨日のセッションでもご質問があったのですが

ありのまま、起きたことを
そのまま受け入れる

ということがよくわからないとのこと。


私も昔、本にそう書いてあったのを読んで
頭を悩ませたことを思い出しました。


頭でいくら考えても
答えのでることではなかったのですが笑


ということで今日は
「起きたことをそのまま受け入れる」
ことについてです。


※書いていたらまたまた長くなってしまったので
2回にわけてお伝えします。


☆ ☆ ☆

ではさっそく例をあげて説明してみますね。


いま、あなたはスーパーのレジで会計をしようと
列に並んでいたとします。

そうしたら、突然ふらりと現れたおばさまに
横入りされてしまいました。

!!!

そのときあなたはどんな気分になりますか。

多少なりともムカッとしたり
ざわついたりしますよね?


一方、これと同じことが
隣の列の見知らぬおじさまに起きているのを
『ただ見ていただけ』だとしたらどうでしょうか。

”あらま~” と思うくらいで
ムカッとはしませんよね?
(ここでムカッとする方はそうとう溜まってるかも)

これは横入りされたという
事実だけを認めた状態ですね。


つまり
起きたことをそのまま受け入れるとは
これと同じことを自分自身にもする
ということなのです。

(もしくは、私いまムカッとしてるわと認めること。
ですがこれは次の段階の話なのでまた今度)


事実だけを認めろといわれても、、、
って思いますよね?


そうです。
自分が当事者だった場合と
目撃しただけの場合では
決定的な違いがあります。


起きたことに
なにかしらの感情がわいたということ


自分にされたらムカッとする。

なのにさも、ひとごとかのように
”あらま~” と瞬時になるのは難しいのです。


セッションでは
クライアントさんの本質、実力を
発揮できる土台作りのために

必ず過去のご両親とのできごとと
それにまつわる感情をみていくことをしています。


起きたことをそのまま受け入れることの
意味がよくわからないという方は


ご両親に対して特定の感情がまだ残っているのに
それも含めて受け入れなくてはいけないと
考えてしまうんですね。


いや~、それは難しいです。
やれたとしても遠回りかなと。


やり方を間違えると
感情に蓋をするだけなので苦しいですし

神さまからの愛として軌道修正
かかるかもしれませんね。


私は最短距離をとりたいので
感情を棚上げしたやり方は採用していません。


あのときすごくイヤだった
淋しかった
悲しかった


ネガティブだろうとなんだろうと
あなたの中からわいた感情に変わりはありません。


そこに良い悪いとジャッジする意味がないのです。


言ってしまえば、こういったネガティブといわれる感情だって
もともとは愛から放たれたもの。


お父さんお母さんが大好きじゃなきゃ
ここまで強い感情はわかないのですから。


では実際にどのようにしているのか

②につづきます