投稿は終わりのサインがきていたので、
もう書かなくなる気がしていて、
最後のブログになると思ったら
少し寂しくて、なかなか投稿できませんでした。
(わかんないけどね
)
最後に一つ、お金のテーマだけ。
先日書いたように
「お金のテーマ」が来ていました。
これって人類最大のカルマなんじゃないかと思うくらい。
政治や宗教や戦争や医療や教育(洗脳)、さまざまなビジネスで見る汚職や癒着や自分本位な操作を見ると、いつも根っこにお金があるからね。
(宇宙レベルでは更に色々あるんだろうけど)
そしてお金のカルマの根っこには、
愛の不足感があるんだよね。
世界への幻滅にも似た気持ちに
連動するように根深いカルマの一つが
自分の中から吹き出した。
ホント、警察官ゆりさんと同じ気持ちだった。
こんなに世界って真っ黒だったんだって。
世界平和のためにも、
自分が解放されるとよいよね。
そして、
解放できるのは、闇のおかげだから
闇を憎むよりも、闇をも包んで、
闇と一つになって昇華するのが
わたしたちスターシードの在り方
なんじゃないかなと思う。
個人的な解放としては、
正直、やっとここまで来てくれたと思った。
来てくれないことには解放できないからね。
お肉などを炊いた時に
そこにアクがあるのがわかっていても
ふつふつと湧いてきた時こそ、スッキリ取れる
という感じと同じで。
夜明け前の暗さは、祝福。
そこにカルマがあることは、
うっすら知っていても、
自分から掘っていくことでは、
腫れていないニキビを潰そうとするようなもの。
解放には絶好のタイミング
というものがあると思っていて、それを愛してる。
それが、人生の美しいバイオリズムだと思っていて、まさにお金のカルマのニキビが腫れてきたところ。
解放って、嫌なことのように捉えられがちだけど
来ることって、すごく祝福だから
割と前向きであることが
やっぱり元来スターシードだなと思う。
結局、何が起こっても一見巻き込まれていても
カルマに踊らされないんだよね。
嵐の中でも意識だけは、スンとしている。
カルマを見つめ終わったら、
ちゃんと、
必要な知恵が降ってくることを知っている。
そしたら、カルマは昇華されて、
安心感・愛で満たされる。
そんなこんなで
自分でいたら生きていける
(本心でいたらお金で困ったりしない)
と、本来の在り方が腑に落ちた。
コレよ!コレ。
解放のタイミングが来る
→じっとしてる(意識で見つめる)
→知恵が降ってくる
もう、この流れ ダイスキ。
今まで出会わなかったものが、
自然と湧いてくる。
心が開いたところで、エンジェルナンバー
688
天使からのいいね👍のサイン。
波動上昇って、
表面的な気分の良さを操作するよりも
持っているカルマを解放する方が
何倍も軽やかになるよね。
そういうわけで
→じっとしてる(意識で見つめる)
のフェーズで自分のエネルギーを
見つめてみたメモを載せて、
終わりにしようと思います。
乱文失礼します。
(言葉にすると顕在意識に上がるから、
解放されるんだよね。)
実は今までお金に関しては
安心と信頼のエネルギーと違うエネルギー
を内側に感じるところがあった。
神に守られ導かれているとはいえ、
●「ゆうても結局〝自分〟で稼がなきゃいけないんでしょ?」というエネルギーが出ていました。
だから今回、いまいち ご縁の無い
〝ハードな職場〟を垣間見る瞬間(面接に行きたくなった)に巡り合ったんだよね。
※これ以上カルマを作るのはやめましょう![]()
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でも、振り返ってみたら、〝自〟〝分〟で稼いだことなんて全くなかった。いつも、導き(大いなるエネルギー)が、息をしているだけで豊かさを与えてくれていた。スピリチュアルに生きるほど、無理が効かなくなるから、導きの中でしか受け取れない体質になっていく。
本当の豊かさは神からしか与えられない。
●〝わたしが(も)稼がなきゃ〟が根っこにあった。
幼少期、看護師の母親が経済的防波堤になっている姿を見ていたのが思い込みの元になっていた。
(昭和の愛的カルマ)
でも本質は、
本当の豊かさは神から与えられる。
いつも神こそが防波堤になっている。
●食費を気にしている
(昔よりは200%緩くなったと思うけど、貧乏学生時代の後遺症が、宇宙の豊かさと比べると残っていた)
●使いすぎた時、食費が1番怖いと、どこかで思っていた。
食事を食べるより
数字を食べているところもあった。
食べたいものを食べても大丈夫
本心で生きていたら困ったことは起こらない。
◎どんぶり勘定MAXな友人と叔母が現れる
安心感、信頼、感謝のエネルギーの二人。
2人は家計を知らない。
〝大丈夫っしょ〟という安心感と信頼でいっぱい。
その波動をトレースしました。
●ある程度把握してなきゃヤバくない?
の波動がわたしから出ていた。
●仕事に優劣を見ていた
●資格があれば稼げる(条件付けの観念)という思い込み
●なければ体力を差し出さなければならない、という思い込み
●税金を余計に払いたくない という観念
全部観念だった。
自分でいたら生きていける
観念って、あるものだなぁ。
大分解放してきたつもりだけど、
無限にあるな、と思った。
解放が起きてる時って、
両極が同時に露わに存在するもので、
自分がもっているカルマの極と、
本来どんなエネルギーなのかという本来の極、
同時に具現化されて
さぁ、どっちがあなただ?と、
選ばされる局面に立つなぁって、見える。
そういうの感じない?
偶然にもYouTubeで、
自分でなんとかしなければ、、、という
観念で縛られた女性を見て
(=わたしのカルマの極)
一方で、緩んだ友人と叔母を見る
(=本来の自由な在り方の極)
こんな具合に。
祖父の代で、うちは事業を失敗していて。
その無念のカルマや恐れのカルマが
体に溜まっているのも感じた。
「サラリーマンの方が安心」
夫に出会うことを意図した時、
サラリーマンをオーダーしたのは
きっと、そのせいだ。
それと関係するか分からないけど
普段凝らない首がつまって、その後解放された。
(お金のカルマと首の不調=首が回らないって、関係する時あるんだよね。)
よくわからなくても、
最高・最善のことが起きていて
わたしは正しい場所にいて
正しいことが起きている。
それだけは、確か。
解放後
◎喜び・素直さ・ご縁の中で仕事をするだけ
◎働かなくてもいい、働いていなくてもいい
◎資格がなくても、楽に稼いでいい
◎ 本当の豊かさは神から与えられる
◎ 本心で生きていたら困ったことは起こらない
◎食べたいものを、素直にちょうど良く食べる
◎税金を余計に払ってもいい
いつも、
そんなことまで越えて
愛されてるの?
が、答え。
そこに行きつくまで、解放が起こる。
そして、波動が変わる。
嘔吐が起こる前の吐き気のように
エネルギー的に、気持ち悪さを伴ってから
スッキリする。
(自我の)思い通りにならなくてもいい。
いつも、正しいことが起きている。
無事、予定していたロングドライブ
行ってこれました。
しんどい日々に寄り添ってくれてありがとう。
スターシードのみんな、元気でいてね。
では、またね ![]()
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