最近起こっていたことを
スピリチュアル 思考で考察してみる。
目の前に起こる自分の投影を文字に起こす事で、今起こっていることをシッカリ見つめて、シフトへ昇華させる目的です。
【1】難聴の方に出会う件。
少し前、難聴の方によく会った
↓
霊的に耳が悪くなっているサインだと感じた。
一時的に、直感的に素直に過ごした時期があった。後のことを気にせず、読みたい本に没頭した。
スピリチュアル な世界に、
〝病は気から〟の分野に、久しぶりに熱中した。
↓
出会う人の難聴が次々改善した。
数日後また、気づくと真面目に人間的ストーリーを生きていた。
↓
また、〝同じ人が〟別日に難聴に戻っていた。
「難聴の上に耳栓している人」や、
「ガーゼで耳を覆っている人」にまで会った。
↓
私はまた、霊的に耳が悪くなっていたことを示していた。
私は最近、
自分の好奇心に蓋をしていたのを思い出した。
心の中で、欲に翻弄される同僚を馬鹿にするような事があった。それは、自分の欲望の否定の現れにすぎなかったのかも。
霊的に耳を塞いでいる事が表れていた。
だって、自分の心に委ねすぎると、生産性が無いどころか道を踏み外しそうに感じていたから。
好奇心に応じすぎると、
ろくなことがない。
理性って大切。理性が私を守ってくれる。
そんなふうに思っていた。
だから最近、素直な気持ちをある程度、感じないようにしていたんだ。それが〝バランス〟だと思ってた。
勇気を持って、もっと心が惹かれていることに素直になろう。
勇気を持って、興味のある方へ生きよう。
好奇心の耳を塞がないで。
感じないようにしないで。
勇気を持って、
心の声を聞こう。
巡り合わせによって、
そんなことを言われている気がした。
【2】ギター好きが、ピアノを弾こうとする件。
娘は、ギターが好きだ。
なのにある日、
(みんなに評価されるように)
「ピアノが弾けるようになりたい!」と言った。
ピアノなんて、ぶっちゃけ弾きたくもないクセに。
私は娘に言った。
「人と比べて、惑わされてピアノを弾けるようになるより、大好きなギターを極めた方がかっこいいよ!」
「人に惑わされずに、我が道を行け!」
自分の道を極めた方が
もっと魅力的だし、
人の道を行ったところで
あなたは輝かない。
なるほどこれは分かり易い。人のキャリアや肩書きに少し目を取られている自分がいた。(※【4】参照)
やっぱり私の道は、心身相関だ。
他人の道に行ってキャリアを積んだところで、
私自身が輝くことはない。
【3】職場で「○○さん(私)のような四年生大学出の人が、なんでこんなところにいるの?もっと大きな病院行かないの?」と、言われた件。
今時大卒の看護師なんてザラなのだけど、その人にしたら珍しいらしかった。(それに、どこを出たかより、どれだけ懸命に働いて学んで来たかが重要なので、資格を持っていたら変わりないどころか、先輩方には尊敬しかない。)
でも、そう言ってくれることで、
いつか、どこか行くべき場所があるように感じて嬉しかった。
残念ながら、現代医療には興味も使命感も無いので、それほど治療などには熱を持って頑張ることができない。
だから、大学病院などでは、入ったとしても頑張れないので行こうとも思えない。
しかし、看護しか出来ることがないので、看護師をしているだけ。(在宅の利用者さんは大好きだし、大切だし、元気をくれる存在なので真面目に向き合ってるつもり。)
あまり医療に深入りしない範囲で、
心が拒否しない範囲で、
看護師をしている現状がある。
私の最終居るべき世界は
やっぱり〝心身相関だ〟。
このことを、ハッキリと示してくれる
出来事が繰り返される。
【4】キャリアマウントを取られる件。
「姉は国立病院で勤めてるんで、国家公務員なんです」と、大学病院で勤める姉を使って、マウントをとられたり、、、なぜw
「友達みんなもう課長クラスだわ。」と、
同僚の総合病院で出世している友達を使って、マウントをとられたり、、、なぜw
マウントを取られるという出来事を、
やたらと創造する私。笑。
看護師としての出世コースを
頭で惹かれさせられるような出来事が起こる。
負けず嫌いが発動して、
自我が頑張ってみたくなりそうにもなる。
当初のキャリアプランが挫かれたことを
気にしている面があるのだろう。
元々大学で助産師のコースにいたのに鬱になって、キャリアを拗らせたので、当初の自我のプラン通りではない。
でも魂レベルの目線では、いつもシフトが目的だったので、いつも人生は、今すべきことに「私」を向かわせてくれていた。
だから私は今、
私のダサいキャリアに誇りを持っている。
だって、私の人生は、いつもすべきことに向かわさせてくれたから。いつも私の人生は、私にちょうど良い、無理のない、且つ学びに最善の職場を用意してくれてきた。
いつも仕事は向こうからやってきた。
お誘いだったり、やむを得ずという導きだった。
学びの場は時に、家庭だった。
時に、子供の幼稚園だった。
いつも、わたしに必要な学びはそこにあった。
だから、
私は私のキャリアに誇りを持っている。
現代医学から逃げているだけか?
とも、度々自分に確認する。
けど、現代医療の世界は、
「自分が人生をかけてしたいことではない」と
自分の心から返事が返ってくる。
やっぱり心身相関が、私の心のHomeだ。
〜心身相関〜
無意識・意識のレベルで起こることが、
波動となって細胞レベルに影響し、
引き寄せレベルで影響する。
それが、出来事となり、病となる。
それを認めようが認めまいが、人には起こる。
心身相関は、結果を人のせいにして責める為のものではない。結果を受け入れて、人生を喜ぶためのツールだ。