わたしのバプテスマが見たいといってバプテスマを

勧めていた宣教師はアイダホ出身のクリステンセン長老と言います。





普段はまったく教義に触れず、友人に徹してくれた

男性宣教師の4人のうちの一人でした。





2回目も切実な思いを持ってお願いされた。





「もう少しでわたしは転勤します。汗その前に玉城さんの

バプテスマがみたいです。

玉城さん、バプテスマを受けてくれませんか。」





真剣な目で2回目をお願いをされても





「わたしはまだです。」




2度目も簡単にお断りをしました。あせる





正直な率直な気持ちでしか対応できずにいました。あせる





悲しそうな顔して帰っていくのも心にとめずに・・・・。





今思えば・・・・・・ごめんなさい(>_<)





それからしばらくして別の日に





いつもは明るくにぎやかでもあるワイルドな顔をしたクリステンセン長老が

悲痛な顔で、またしても・・・・・・3回目のお願いあせる





「玉城さん、わたしは転勤します。

その前に玉城さんのバプテスマがどうしても

見たいのです。」(__)(__)





わたしは・・・・・・・・・・・・・・(・・;)(・・;)





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。





無言でしか対応できずにいました。





これまで、宣教師に切実にお願いされても、

冷たい態度でしか対応しなかったわたしが

3度目には、心が動き始めたのを知りました。





その晩、これまでのことを思い起こしながら

これまで決断できなかった二つの理由は、


1.毎週日曜日に教会に行くという確固とした決意が

出来なかったということ。


(求道者としては約9か月間の内、ほとんど教会には

行っていました。求道者になったばかりの時期の1ヶ月半だけ

行っていないときもありましたが・・・。)




・その年の那覇マラソンに参加したかったからあせる(笑)。




日曜日に那覇マラソンが予定に入っていたので、

バプテスマを受けるなら那覇マラソンに一度参加してからと・・・・(笑)




後で会員に笑われてしまいましたけど・・。




だって、宗教持つなら、その位の覚悟がないと・・・・

なんて、自分なりに考えていましたから





今思えば、本当に純粋なわたしでした。




2.根強い先祖崇拝者の母親として尊敬する母に対して

親不孝になるのでということ。母を悲しませたくなかったから。





真剣に再三考え、出した結論はバプテスマを受ける上で

ネックになっていた二つの問題を振り払う決意をし、





「これまで、何一つ疑問に思うことなく

いつかバプテスマを受けても良いなら

わたしのバプテスマを誰かが最も喜ぶときに

行動に起こすことは大事かもしれない。・・・・

バプテスマを決意しても良いかもしれない。」




そう、固い決意をして、早速宣教師に電話で

報告をしました。





わたしのバプテスマの報告を聞いた電話の

向こうの長老が他の長老たちにも





「玉城さんがバプテスマを決意した!!」と





声をかけているのが聞こえるや否や





「わぁ~~~~!!!!!わぁ~~~~~!!!!!!」





予想もしない歓声に





「何故??? そんなに喜ぶの?」





と、非常な歓声に信じられない気持ちで受話器を置いた。





次に姉妹宣教師にも報告をしたら





「玉城さ~~~~~ん!!!すごい、すごいです!!!ほんとうに

すごいですよ!!!嬉しい~~~~~!!!!!!」





ここでも、あまりにも喜ぶので、あっけにとられているわたしでした。





そのときは、人一人のバプテスマが重要であるとは理解できなかったのです。






「人の価値が神の目に大いなるものであることを覚えておきなさい。

見よ、主なるあなたがたの贖い主は、肉体において死を受けた。




それによって、すべての人が悔い改めて自分のもとに来ることが

できるように、主はすべての人の苦を引き受けた。



そして、悔い改めを条件として、すべての人を自分のもとに

導くことができるように、主は再び死者の中からよみがえったのである。



人が悔い改めるとき、主の喜びはいかにおおきいことか

教義と聖約18:10-13