こんにちは

asaiです。

 

フォローしていただいている方、見つけていただいた方ありがとうございます。

変な題名つけましたが、私の下の名前は良くある名前なのです。”愛”です。

 

私が離婚した経緯について、お話ししたいと思っています。

気分を害する方がいるかもしれません。ネガティブなので。

気をつけていただけるとありがたいです。

 

私、人を愛することができませんでした。

愛していたとしてもそれが愛だと知らなかった。

だから、夫婦でいる時も”愛せるようになりたい””旦那を愛せない”ずっと言っていました。

この時点でモラハラでしょうか。

 

自分の病がひどくなって旦那に寄りかかるばっかりになって、自分が旦那を愛せないと言う罪悪感から他の自分を必要としてくれそうな若い男の子に浮気しました。旦那の友達でもあったし、私はその時の旦那の思いを測りようがない。思い出すと苦しいばかりで。

その若い子は、自分の話を迷惑だと言わず何時間でも聞いてくれたから、罪悪感を感じない関係というものが、楽だったし本来なのだと思った。

統合失調症の妄想の世界にその子がマッチしてしまった。この人が所謂スピリチュアルで言う”ツインレイ”なんだと思ってた。

実際、テレパシーみたいなことがあった。だから確信した。

 

私は、視線恐怖症を持っていて、若い時に自由に恋愛ができなかったから、その欲求不満が妄想に繋がったのかなと思っています。

 

今生きる目的が分からなくなって、やっと”大切なもののために生きること”を考え始めた。

 

この四年間ゴミ拾いをして(無意識の罪滅ぼしだと思います)仕事をして、曲がりなりにも自立をして、ようやく私が愛を受け取る価値がないと言う”自分の無価値感”を抱えていることがわかった。愛からずっと逃げていた。愛したいと試行錯誤は散々した。

自分の精神世界を頭の中の世界を散々探し回った。でも私の愛のイメージは”自分が愛していることが、愛しいと思うことが心地いいこと”(利己的かな)だと勘違いしていた。

だから見つからなかった。そのイメージはあくまで自己不全感を埋めるためのものだったから。

旦那に”誰かのために仕事をすると言うことは気持ちよかったよ”と皮肉を言われた。

きっとわかっていたんだと思う。私が愛を間違っていること。

夫婦生活は今思うと楽しかった。幸せだった。だけど逃れられない自分の罪悪感と自分の欲求のために別れてしまった。

何もわかっていない自分と自分をわかってくれている相手にいまだに苦しくなる。

 

元旦那に、あなたに決定的に足りないものは利己心です。と言われた。

浮気したのにね。本当かな。

私は愛したいと思うから、自分が相手に何かすることを厭わなかった。でも本当には人を愛せなかった。

なぜなら、自分の無価値感から、(愛される価値がないと思って)愛を受け取れないそして、本当の意味で自分自身を愛せない。

このブログで、”自分を大切にして下さい”なんてえらそうなこと書きながら、未だに私自身が自分を愛しきれていない。

私は旦那を苦しめすぎたから、そんな自分を愛せないし、今更人のためになんて自信がない。

 

迷走して迷走して、少しずつ自分に気づいてようやく間違いに気付いても、この罪をずっと抱えながら(感じながら)生きていく自信はない。

いまだに誰の気持ちも(親でさえ)感じてあげられなかった私が今更?と思う。

愛と真逆だった。最低だった。どうして私は生きているんだろう。

私は悪なんだろうか。強くなりたい。なれない。

 

神様が間違った道を正しい方向に導いてくれるって(本当だと思うけど)背負い切れないほど間違えてしまったのにここからどうやって?

 

自分自身を本当に愛せるようになるまでは、(自分にとって)間違った人を愛し続けますってエマワトソンの言葉に書いてあった。

でもじゃあしょうがなかったねで済む話ではないだろう。

 

私自身が傷つけ苦しめた人、私自身が犠牲にしてきた家族、大切に思ってくれている人をどうやって今から愛するんだろう。

全然心地いい感情なんかじゃない。