自分のモノサシで相手をはかろうとすると、
どこかで
「理解できない」
「わからない」
というカベにぶつかるような気がします。
そしてそのカベは、
自分と相手の間に何をもたらしてくれるのでしょうか。
それに似ているか分からないけれど、
私が今の状況や感じていることを伝えると、
いろんな人がいろんな意味合いで、
「大変だね」
と私に伝えてくれるのがだんだん悲しくなって、
自然と自分の今を伝えることをやめていた自分がいました。
どうやら、事実に対して
「大変だね」
という味つけをされるのを拒みたかった自分がいたみたい。
「大変だね」にもいろいろありますが、
多くの人はそれを重たく受け止める傾向がありました。
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当の本人は、
朝起きる時とか、夜眠たいけどやることがある瞬間に、
「大変やなーーー・・・」
と感じていたことはあるけれど、
おおむね予想できていたことで、たくさんの人に支えてもらっているので、
そんなに大変だとは感じていませんでした。
そうやって、前を向いている人に、
「大変だね」と声をかけることを愛としている人もいるし、
ただ何も言わずそばにいることが愛だとしている人もいる。
もし、
私が当事者ではなく例えば友達だったりしたら、
「泣きたくなったらいつでも電話してね」
と、伝えると思います。
それが、乗り越えようとしている人への私なりの愛かな~~
みなさんは、いかがですか^^
ゆっこ