今回ブログを担当する阿部ですよろしくお願いします。

 

私はプロレスが好きです!どの位好きかというと

パーセンテージでは85%くらいです。今回はそのプロレスについて書きました。

 

最近プロレスブームが再燃してきていますね。

「イケメンレスラー」や「プ女子」などの単語を耳にすることもあると思います。

 

そして、今年の8月20日は歴史的な日になりそうでした!

 

それは、アメリカのプロレス団体のWWEが主催する興行の一つサマースラムで

現WWE王者のジンダー・マハル

 

 

中邑真輔の

 

WWE王座戦でこれに勝てば日本人初の王者誕生!と言う日でした。

 

中邑真輔は新日本プロレス内ユニットの一つCHAOSの初代リーダーで新日本のエースだったのでその強さを遺憾なくだしていただきたかったけど負けてしまいました。

試合の結果を見て悔しさ半分、妥当な感じ半分でした。

 

今回は負けてしまいましたが

次回、9月16日に行われる日本公演でWWE王座戦に挑戦するらしいので

8月20日の借りを返してもらいたいです。

 

最後に、WWEとはなにか知らない方も多いと思うのでご説明致します!

 

アメリカ合衆国のプロレス団体で

ハリウッド顔負けの究極のエンターテイメントと言われています。

 

此処から先はウィキペディアさんにお任せします…

 

WWEのルーツは、1963年に現会長ビンス・マクマホンの父、ビンス・マクマホン・シニアがWWWF(World Wide Wrestling Federation)を設立したことにさかのぼります。

 

1995年9月4日、エリック・ビショフが副社長に就任したWCWが

MONDAY NIGHT RAW」の裏番組として「MONDAY NITRO」の放送を開始、

両番組の視聴率争いが始まった。

WCWはナイトロ第一回放送でいきなり前日までWWFの大会に出場していたルガーを引き抜いて登場させた。

これを引き金とし、「月曜夜の視聴率戦争Monday night wars)」

と言われる程の壮絶な視聴率合戦が繰り広げられた。

 

一時期は人気選手の相次ぐ引き抜きやnWoというユニットの大ヒット、

などでWCWがリードし、1996年6月10日から1998年4月13日まで

実に83週間連続でナイトロはロウの視聴率を上回っていた。

 

1999年頃からWCWはストーリーラインの迷走から視聴率が急低下し、

もともと組織の統制が取れていなかったこともあり内部崩壊。

奥の手としてWWFの脚本を書いていた放送作家を引き抜くが、

それは状況をさらに混沌とさせた。

一時期失脚していたビショフが復権するも状況を好転させることはできなかった。

2001年1月、第三団体だったECWが経営難から活動停止・破産し、

WWFはECWの全ての権利を買い上げ債権を回収。

同年3月23日、莫大な赤字を計上して経営破綻したWCWをも買収した。

これによって「Monday night war」も終結し、米マット界は事実上WWFの独占状態となった。

 

Monday night warsが繰り広げられた1990年代後半は

全米で空前のプロレスブームが起き街中にプロレスTシャツを着た人が

溢れかえったという逸話もある。

しかしこの抗争の間には

「モントリオール事件」やオーエン・ハートの事故死など、

いくつもの後味の悪い事件も起こっている。

 

2002年には長年にわたるWWF(世界自然保護基金)との

名称を巡る裁判に敗れ、5月6日団体名をWWEへと改称。                 

 

以上

 

ウィキペディアさんありがとうございました。

 

最後まで読んでいただき有難う御座いました。