その頃、私は自分の人生に絶望していました。
26歳。 1985年。
この後、死ぬまでこのまま奴隷のように(当時、そう思っていました。)
生きていくしかないのだと、 自分を諦めて。
その様な日々の中、お腹に宿ったこの子を守る と決めた時から、
この子のことだけが希望。 母としてのみ生きようと。
つわりで苦しい中でも、ずっと語り続け、愛していると伝え続けた日々でした。
12月、出産の前夜まで夜も普段と変わらず深夜まで駐車場でも働き、
20時、陣痛が始まったその日は、それからシャワーをし身を清め、準備していた入院荷物を持って病院へ。
初めての出産。 孤独と不安の中、 その瞬間まで、お腹の子に語り続け、
ただお腹の子が無事に、 元氣に産まれてきますようにと祈り続け12時間。
母親の陣痛の痛さより、
(産道を通って産まれてくる赤ちゃんの方がずっと苦しい)のだと学んでいました。
少しでもお腹の子が苦しまないようにと、 必死で呼吸を整え
平常心を保つてるよう祈りながら・・・ずっと 心のなかで語り続け・・。
朝 無事、出産。
その瞬間。
地球の中心から 愛の塊のマグマが グウォーと噴出して私の体を突き上げ、
突き抜けたように感じました。
そのマグマによって、私の全身は、一瞬で、
大きな大きな愛 (愛 としか言いようがない) 絶対的な愛に包まれていました。
これまでに一度も考えたことがなかった《 宇宙 》という存在が感じられ、
( 宇宙 )( 宇宙の中の私 )( 宇宙と私はひとつ ) ( 宇宙は神 )( 宇宙は愛 )
( 私は宇宙に愛されている )
( 私は ずっと宇宙に愛されていた )
そんな言葉・想いが、 あたたかな絶対的な愛のマグマが突き抜けていった体中に
満ち溢れ、と同時に、 迸るように感謝の想いが私の中から湧き上がりました。
涙が溢れ、感謝の想いが溢れ、
今すぐに、 産まれたばかりのこの子を抱いて、
裸足でも、世界中をまわって、
すべての人に、 すべてのものに、 道端の石ころひとつひとつにも
「ありがとうございます。」と 感謝の言葉を言って回りたい
そんな想い・感謝の想いが溢れました。
絶対的な《 愛 》に満たされ、 感謝の想いに満たされ、
これまで一度も味わったことのない 幸福感に満たされました。
この《 愛 》を頂いたから、何もいらない。何も心配することはない。
私は、愛されている。
それなのに、それ程、大きな絶対的な愛に包まれ、宇宙に抱かれ包まれた
そんな有難い体験をさせていただいたのに、 私は、
退院をして、 しばらくすると、
これまでと同じ暮らしの中、子どもを抱えた中にも次々と襲ってくる悲しみ・苦しみに
不安を抱き、 嘆き、 自分を貶め、
心の中で、人を責め、 呪い、 軽蔑し、、、。
それでも、 神様の大きな愛につつまれ、導かれ、
奇跡のようにその都度、その都度、 助けられ、 出逢わされ、
子どもたちに、「 本当は、この世界は美しいのよ!」と伝えたいと祈りつつ、
何とか、 ( 必死で、 あの輝く美しい笑顔を目指し、 笑顔を磨き、
自分の命を生きる人を目指し、 自分なりに必死で生きてきた・・・。
乗り越えてきた。 私の笑顔で 生きている。 笑顔で 乗り越えてきた。お陰様。)
と、 自負していた頃。
2010年。
作家の神渡良平先生にお誘いをいただき、 子どもたちにも勧められ、
勇氣をふり絞って行かせて頂いた、 イタリア・ローマ・アッシジへの奇跡の旅。
最終日前夜、夕食後の集いの中、
旅のお仲間のおひとりだった 米村春美様から、ひとりひとりに
米村さんに降ろされた天啓のメッセージカードをいただきました。
( つづく )