9月17日石巻旅のメイン。セイクレッドダンスを、宮城エキスプレスさんの社屋で。
宮城エキスプレスさん。
10月15日に、お迎えのご準備をしてくださった小笠原博美さんのご紹介でお伺いさせて頂きました。
雨が降った時のために会場を、と、お願いした私の想いに、
「私のところをお使いください」と、快くお部屋の使用を申し出てくださった
宮城エキスプレスさん。
石巻漁港で獲れた新鮮な魚を、市場から全国に運ぶトラック運送業をなさってきた会社です。
津波に襲われた石巻魚市場のすぐ近く。
新社屋の玄関の壁には、3.11のあの日の津波の高さに印がついていました。
そして、5階建ての新社屋は、万が一の時の周辺の避難指定をお取りになって、屋上には、ヘリポートまで、おつくりになっていました。
5階フロアーは、私たちがセイクレッドダンスを踊らせて頂きました広い研修室と繋がって、あの日の記憶を風化させない、未来に伝え残すための 写真や新聞記者などが
想像を超える数で展示してありました。
一枚一枚、すべて胸が痛くなる、皆に伝えたい写真や資料です。見入っていると、講演を控えていたので小笠原さんに
「そんなに丁寧に見ていると全て見るのに何日もかかりますよ」と、声を掛けられました。
「今、この窓から見ると、海も、魚市場もこんなに近かったんだと思うんですよ。震災前は、全部建物で埋まっていたから、直接見えなくてこんなに近いと思わなくて
市場に集金に行くのにも車を使っていたんですよね。
歩いてだって、行けるのにね。」
と、社長夫人がしみじみと。
㈱宮城エキスプレスさん。
地震の後、社長が入り口に土嚢を積んで津波に備えられました。
けれど、やってきた津波は、建物の3階部分まで襲いました。
瓦礫と魚と土嚢の土が社屋の中に散乱。
片付けるのは、被災された社長家族と社員の方々。
少しでも笑いをと社員の方が、
「せめて、土嚢の土がなかったらね〜。もう少し楽なのにね〜。」と、言いながら、お片付けなさった社内は、
腐った魚で、目も開けていられないほどの悪臭に、ズブズブと足を入れると気持ちの悪さ。
加えて、黒々とした大きなハエが壁一面、窓一面を覆い尽くし、翌日は、そのハエが死んでいる。壁には、新たなハエが同じように覆っている状態。
そして、その膝くらいまである汚泥の中に足を入れると、蛆虫が足が見えなくなるくらい這い上がってくる
そんな状態の中で、皆様、瓦礫の撤去作業を続けてこられたそうです。
はじめ日本人ボランティアの方が何人か来てくださったそうですが、その酷い悪臭と蛆虫に恐れをなして、早々に退散。
そんな中で、黙々と
ずっと片付ける作業をお手伝いくださったのが
自衛隊の皆様と
ボランティアの外人部隊の方々だったそうです。
膝上まで這い上がってくる蛆虫も、ものともせず。
だから、と、仰っいました。
「私たちは、世界中の方に助けられたの。本当に、助けられたの。ありがたかったの。
だから、どこの国がいい なんてこと思わない。世界中の人々の幸せを心から祈ります。仲良くみんなが幸せに暮らせることを心から祈っています。」
蛆虫のお話も、魚が腐った悪臭も、地震当時はニュースでお聴きした。
でも、私は、その記憶は曖昧になっていましたし、実際に体験していないから、実感がありませんでした。
自衛隊の皆様、外国人の方々が、蛆虫だらけの中で、ボランティアを続けてくださったこと、想像していなかった、思いを寄せていなかった、忘れてしまっていた。
今回、訪問させて頂き、このお話もお聴きできたこと、感謝しました。
そして、被災された中、みんなのために
自分の会社を新たにスタートなさった㈱宮城エキスプレスさんの大きな心、利他の精神に触れさせて頂き、ご縁を繋いで頂きましたこと、心から感謝しました。
17日皆で13時から
訪問させて頂き、こちらで
みんなで、心を合わせ歌わせて頂きましたこと、
セイクレッドダンスを踊らせて頂きましたこと、真音さんのシンキング・リンを皆で響かせて頂きましたこと
交流させて頂きましたこと、
本当にありがたいことでございました。
お孫ちゃんもご一緒してくださって、
皆で手を繋いで、体を動かして、歌って、ハグしあって、微笑みあって、
優しい優しい祈りの時間を過ごしました。
一緒に混じって、きゃあきゃあと踊ってくださった可愛いお孫ちゃんの姿に
皆、奇跡を感じました。
姫路から、神戸、加古川から、伊勢から、埼玉から、神奈川から、東京から、北海道から
今回の旅で初めて出会ったお仲間も、エキスプレスさんご家族も、木村さんや小笠原さん、伏見さんも、
皆、微笑みあって手を繋げば、ダンスをすれば、
ひとつ になれる。
微笑みあえる。
素晴らしい愛の場をつくりあげることができる
高見裕子さんのリードで、『ひとつ 』の歌を皆で歌い
岩倉規子さん、門井ちえさんのリードで、セイクレッドダンス。
そして、真音さんのリードで シンキング・リンも響かせて。
「えりさん、ありがとう。
本当に、癒されました。嬉しかった。
また、来てくださいね。絶対に、来てくださいね。
皆さんに、次回ここに来てもらえる日まで、
ここでセイクレッドダンスを踊って頂ける日まで、
この場を、会社を守ります。潰さないように、頑張ります。」
目に涙を滲ませながら、奥様がお伝えくださいました。
石巻漁港の魚は、震災から、以前のようには獲れなくなっているそうです。
再建された宮城エキスプレスさんのお仕事も
お魚運送業だけでは、難しいとお聴きしました。
だからこそ、こんなに想いの深い会社を
愛の会社を潰してはいけない、守らなくてはいけないと
思いました。
宮城エキスプレスさんだけでなく、被災地でお会いさせて頂きました皆様、
皆様、代受苦の中、自分が灯明になるんだと、心に、
遅々として進まない中、
前に向かって、生きてくださっています。
私たちは、眠る家がある、水が使える、空気が吸える、どれほど
ありがたいか、恵まれているか、感謝を忘れているか
思い出さなければ、と、
あの日、心に誓ったはずなのに、また、薄らいでいた想いをしっかり胸に刻みました。
今も、コツコツと
徳積みされている皆様に、神様が、きっといいように運んでくださることを心から祈っております。
東日本大震災の後、茨城でも、大洪水がありました。
広島でも、大雨で山が崩れました。
熊本、九州にも、大地震。
日本中、いえ、世界中で、自然災害が、頻繁に起こっています。
自然災害だけでなく、テロや他国の侵略行為、原爆、水爆実験など、人による 地球破壊があちらでもこちらでも。
全ては、繋がっているから
人間の出す悪い波動が
地球に、反映しているのだと存じております。
今、
この時に地球に生まれてくることを選んで生きている私たちは、
ご先祖様たちから、受け継いだこの国を、自然を、文化・伝統を、技術を、精神を、歴史を、この美しい地球を、
未来に繋ぐ責任がある。100年後、300年後、1000年後、、、
まで、千代に八千代にと考えて、国作りをしてくださった
ご先祖様たちの想いを、努力を、しっかりと受け止めて、繋いでいきたい と、石巻旅をさせて頂き、さらに想ったことでした。
ご縁に感謝です。