「えりさん、僕ね、あの地震がくること、津波で何もかもが破壊されてしまうこと、わかってたんだよ。それが、地震か津波か何かは分からなかったんだけど、何もかもがなくなってしまうあの光景になること、わかってたんだよ。」
9月16日石巻旅、飛翔閣さんでの懇親会。
同じテーブルにお座りくださったピンクのキティさん。
9月2日、東京で開催された
日本を美しくする会(トイレ掃除に学ぶ会)のシンポジウムと懇親会で初めてご紹介頂きお逢いした時も、ピンクさん。
この方が、あの東日本大震災の直後から石巻の避難所のトイレ掃除を始められた伝説の方と知ったのは翌日3日の築地市場のトイレ掃除のあと。
お仲間の方にお聞きして。
そして、16日の懇親会では、もっと凄いお話をご本人からお聴かせ頂きました。
「僕、半年程前に、ある日突然、あの光景が目の前に降りてきて
見せてもらった。
そして、その次に、トイレ掃除をしている自分の姿を見せてもらった。
何かわからなかったけど、いつかこんな光景に、何もかもが破壊された光景になる日が来るのだとわかった。
そして、そうなっても、自分はトイレ掃除をさせてもらったらいいんだとわかった。
3.11の地震が起こった時、あの見せられた光景と同じことが起こるんだとわかった。
津波が来て何もかもが破壊されて、自分も被災した。
だけど、自分が何をすればいいかわかっていたから
迷うことなく、すぐに
避難所のトイレ掃除を始められた。
(と、言っても、電気もなく水もなく、掃除道具も何もない、素手で、、、トイレ・・さえ壊れてしまった山積みの糞尿が溢れた そんな場所です )
その場所を掃除することを始められたのです。
たったひとりで。
何日かたって、日本を美しくする会相談役の 鍵山秀三郎さんが、キティさんのところに
「支援物資を送る。何が欲しい。」と、連絡をくださった時、
キティさんは、
「支援物資はいらないから、掃除道具を送ってください」と、仰ったのだそうです。
相談役からは、すぐにテント、寝袋や掃除道具、炊き出しの道具などが届けられ、そこに全国の、掃除に学ぶ会・日本を美しくする会の多くのお仲間達が集まって
寝泊まりしながら、石巻の避難所のトイレ掃除を続けられたのです。何年も。
キティさんは、続けてお伝えくださいました。
震災から6年たったけど、
僕は何も困らなかった。
迷いもなく、ただ自分がするべきことを
トイレ掃除をひたすらにさせてもらってきた。
そうしたらね、不思議なことに、この6年、僕は6人の女性がずっと助けてくれたんだよ。
こんな時に腕時計があったら助かるんだけどな、と、心に思ったら翌日に、全然知らない女性が九州から訪ねて来て、キティさん、腕時計を使ってくださいと言って置いていってくれる。
この靴も服もみんなそう。みんな、あったらいいなと思ったら全国から僕のところに来てくれて貰ったものばかり。
それぞれ別々に、6人がずっと助けてくれたんだよ。と。
ピンクの服、キャップ、靴もピンクのキティさん。
なぜ?と、お聞きすると、
震災のあと、瓦礫色になってしまった中、ピンクを見たら元気が出た。
自分がピンクの服を着たら元気になれた。
僕が、ピンクの服を着たら、周りの被災者も、笑って元気になってくれた。
以来、ずっとピンクを着てる。キャップも、靴も、服も、みんながピンクばかり送ってくれる。
キティさんの名前は、
たまたま見せた写真の中にキティちゃんが写っていて
それを見た人が勝手に僕が
キティちゃんが好きだと
勘違いして送ってくれた。
それを聞いて、また、みんながキティちゃんを送ってくれた。沢山のキティちゃんが全国から集まって
やっぱり、被災した子ども達も喜んで
だから、キティさん。なのやだそう。
キティさん、何も望まず、ただ黙々とトイレ掃除を続けられていたら、今年
市役所から電話で呼び出されて
いらっしゃると、担当の方から、運転免許証ありますか?
運転できますか?と、問われ
あります。できます。と、お答えになると、
では、明日から市長の車の運転手をしてください
連絡が付かないと困るから
これを持ってくださいと、
スマホを渡され、知事のところにも行きますからと、
スーツも。
市長の運転手としてのお仕事も決まり、知事のところにもご一緒に出かけられる日々が始まったそうです。
「何も心配いらない。ただ自分がするべきことを、心込めて、させて頂いていたら、続けていたら、ちゃんと見ていてくださって与えられるんだということが、よくわかった。お陰で、僕は何も困らなかったんですよ。」
それが真理とわかっている。けど、実行するには勇気がいること。
でも、大丈夫と、勇気を頂ける凄いお話をお聴き出来ました。
やはりキティさんは凄い方でした。ご縁に感謝です
🌸