私と(ほつまつたえ)との出会いは、平成18年から。


前年にご縁を頂いた、伊勢修養団の中山靖雄先生ご夫妻から


(ほつまつたえ)を10年以上前から学び、


勉強会を開いている・・と お聴きしました。


(ほつまつたえ)げ、古事記以前に書かれた


縄文時代からの歴史書であるらしい・・ということは分かりましたが


自分が学ぶとは思いませんでした。


 その後、神渡良平先生のご著書『天翔ける日本武尊』を拝読し、


この本が、(ほつまつたえ)を元に書かれたことを知りました。


尊い内容や、(ながた)(ながさき)の言葉などに感動し、


(ほつまつたえ)に関心が深まりましたが、


残念なことに、私は、天照大御神は、女性であると信じて


それを同じ女性として誇りにも想って生きてきたので


男性として書かれていることに抵抗し、とまってしまいました。


 2011年始め、サウンドセラピストAikaさんから、(あわうた)を


教えて頂きました。



    《 あかはなま  いきひにみうく 


        ふぬむえけ    へねめおこほの


      もとろそよ   おてれせえつる 

 


           すゆんちり      しいたらさやわ 》


初めて、歌を聴いた時から、 何かわからないけれど


体の中から湧き上がるような 喜びと 安らぎ ちからを


感じました。


黒々とした豊かな土 ・ 緑の森 ・ 力強く天に伸びる木々


風にそよぐ草    高く青い空  


陽の光 ・ 吹き渡る さわやかな風 ・・ を感じました。


なぜかわからないけれど、


この歌が、人や、地球を救う・・・、伝えなければ・・・と


強く想いました。  


それから、3.11が起き、 Aikaさんと一緒に行った3月末


伊勢で 偶然  (必然ですが・・)


 (ほつまつたえ)の勉強会に参加させていただき、


初めて、 オシテ文字という、日本古来の文字 ・・・


宇宙と一体であった縄文の時代のご先祖様たちが


宇宙の波動・気を 音霊・言霊にかえてつくってくださった


オシテ文字で書かれた(ほつまつたえ)に出会いました。


その時は、文字を拝見しても、皆様にまじって音読しても、

 

意味はわからない・・ 


もたもたしてついていくのがやっとでしたが、


 池田満先生の説明してくださるお話と、


そこに集っていらっしゃる方々の熱意から、 何か凄いもの


有難いもの、尊いもの・・・  学びたいと感じました。


そして、(あわうた) も、( ほつまつたえ )に記されている


イザナギさんとイザナミさんの歌であることを知りました。


伝えなくては・・・、ひとりでも多くの方に・・・


その想いを強くして、 Aikaさんにお願いして


2011年 5月に、奈良で。 10月にはさらに想いを明確にして



姫路から世界にむけて、


(あわうた)と (あわうた)の祈りを届けるコンサートを開催しました。


ますます、(ほつまつたえ)に心惹かれた秋、


伊勢で、いときょう先生にお会いするご縁をいただき


(ほつまつたえ)が、今も全国各地に息づいていることや、


尊い精神 を 教えて教えて頂き


そして、2012年1月、いと先生に (ほつまつたえ)について


ご講演をいただいたとき、感動が待っていました。


お話の中で、 アマテルカミ (天照大御神のこと。)のお姉さま


ワカヒメ様を お育てになったカナサキさんのつくられた


回り歌をご紹介くださいました。


《なかきよの  とおのねふりの  みなめさめ


           なみのりふねの  おとのよきかな 》


その歌をご紹介いただいた瞬間、大きな感動と感謝


そして 大きな愛に  包まれました。


この歌は、 亡くなった父が、物心ついたころから毎年


元旦の夜、和紙で舟を折り、その帆に歌を書き


いい初夢がみられるように・・と渡してくれていた歌でした。


父が、毎年お正月に贈ってくれていた歌が、


まさか (ほつまつたえ)の中に書かれている歌であったとは・・・。


その瞬間、私の中で、一息に、


私の命から、カナサキさん、ワカヒメさん、トヨウケさん


アマテルカミさま、イザナギさん  イザナミさん


さらに、もっともっと先のご先祖様の命


そして、宇宙のはじまりにまで  


縦に一本の命の糸が繋がったのを感じました。


すとん と、私の体に入り、 


御魂さんのことも   すっと  入りました。


(ほつまつたえ) は、けっして 遠い遠い縄文の歴史書ではなく


現代の私の命にまで 繋がっている・・・。


有難くて、有難くて、嬉しくて、


今、 現代に繋げて頂いていた私だから


(ほつまつたえ)を  知らなければ、 学ばなければ・・・と


存じました。   


               <つづく>