『~してあげる 』 を聞くと思い出す父の言葉
小学生のとき、同じクラスにIさんという
とてもおとなしい女の子がいらっしゃいました。
ずっと同じクラスだったのに、
学校では誰も彼女の声を聞いたことがないほどおとなしい人でしたので、
休み時間もひとりぽっちで過ごしていらっしゃることが多いようでした。
でも、彼女と家が近くの友人の話では、
家では普通に、大きな声で話をなさっていて、お母さんの手伝いや
弟さんや妹さんを可愛がっていらっしゃる とのことでした。
何年生のときだったか、そんなIさんの話を夕食時にしました。
「……だからね、私はIさんと一緒に遊んであげるの」
そこまで話したときです。
「えりは、それほどエライんか?」
いつも穏やかで優しい父の、
静かではありましたが、初めて聴く厳しい声でした。
何を言われているのか意味がわからなくてとまどっていると、
「同級生に、
遊んであげるという言葉を使えるほど、
えりは Iさんより、どこがどれほどエライんや?」
と、重ねて訊いてきました。
その言葉に私は(ハッ!)としました。
その様子を見ると父は、いつもの優しい表情に戻って、
「一度も声が出せないなんて、
Iさんはものすごい恥ずかしがり屋さんなんやろな」
「でも、良くお母さんのお手伝いをする優しいお姉ちゃんなんやろ?」
「お父ちゃんにとって、えりが大切な可愛い娘であるように、
Iさんのご両親にとって、
Iさんは同じようにかけがえのない大事な娘で、
弟さんや妹さんにとっては、頼もしくて優しいお姉ちゃんなんだよ」
「えりができることでもIさんにできないことがあるように、
Iさんにできてえりにできないこともあるだろう?」
「えりは、話すことができないIさんより、
自分の方がエライと思っていたんだろう?」
「得意なことや苦手なことは、
人それぞれなんだから、人に優劣なんかないんやぞ 」
父の言葉は、ポロポロ流れる自分の涙と一緒に心の奥まで染みました。
『 ~してあげる 』 の言葉を聞く度に、
あのときの父の言葉が思い出されます。