「美味しいぞぉ。

 お母ちゃん、上手に作ってくれてる。食べてみ」


夕飯の時、晩酌をする父の前には

母がいつも一品多くおかずを付けていました。

父はまずそのおかずに箸を付け、ひと口食べると、

必ず姉と私の前にそのお皿を回しながらこう言ってくれました。

家族の団欒は、

物心がついた頃から毎日こうして始まっていました。

夕食を食べながら、その日学校であった事を話したり、

父や母の子どもの頃の話を聴いたり、箸使いを教えて貰ったり…。

私の大好きな時間でした。


父が 「美味しい。美味しい」 と言ってくれる料理は、

いつでも何でも本当に美味しく感じました。

そして、父は食べ物に対し

『美味しい』 の言葉以外言いませんでしたし、

何でも残さずきれいに食べました。


父が一度だけ口にした戦時中の食糧難の辛い体験。

また、早くに亡くなった父の父の話。

父が小学生の時、家にあった料理本を見ながら

一生懸命に作った大鍋一杯の人参のカレー風味。

家族を喜ばせたかったのに失敗して、とてもまずい物になったとか。


「それを美味しい、美味しいと言いながら、

 お父ちゃんが全部食べてくれた。ほんまに嬉しかったなあ」


父は、よくこの話をしてくれました。

だからこそ、 『美味しい』 という感謝の言葉を

誰よりも大切にしていたのかも知れません。


私が子どもの頃のある日、

何かで父に腹を立てた母は、懲らしめてやろうと

ご飯だけを詰めたお弁当を持たせた事があったそうです。

どんな顔をして帰ってくるかと待っていたのに、父は普段と全く変わりなく、

「美味しかったよ。ご馳走様」。


納得いかないまま蓋を開けると、

ご飯粒ひとつ残さずきれいに食べられていたそう。

それを見た途端に母は、…「あほらしくなって、やめたわ」

と、笑っていました。


どんなに忙しい時でも、一緒に一日外出していた時でも、

いそいそと手間を惜しまず家族の為に料理を作ってくれていた母。

好き嫌いなく何でも食べる食いしん坊の私。

父の「美味しいよ」のお蔭かなと思います。