昨晩の記事は
我ながら夜間低血糖のアドレナリンが分泌された怒りのままに書いちゃったかな、と
怒りから行動を取ったことは
反省しています。
私にとってスポーツは
あまり好きではなく、楽しくなく、親や学校に言われてするもので
「苦しいな~。早く練習終わらないかな~」
という記憶がとても多いものか、
スキューバダイビングのようにすごくお金がかかるので(笑)
そういう意味ではハラハラしながら楽しんでいたものだったので、
苦
がついて回ったんですけど。
人によっては、楽しさや爽快感を感じていたかもしれないな。と
最近できるようになったお散歩を思い出して
思いました。
スポーツも
そう↑なのかもしれないな。と思ったんです。
「4種類の悪い友」に絡まれても
自分は自分の「4種類の良い友」になって
高い目標に向かって歩む。
健康の維持、増進のためにも、人類の進化のためにも
適切な運動はとっても大切で、
改めて考えるとスポーツは
「一人じゃできない」「ルール/制限がある」「気づきや工夫によって飛躍的にうまくなる」
「身体と信頼関係を築けているかどうか、が、メンタル、と呼ばれるような形で結果に現れる」
と、
すばらしいものだなー。と思いましたし
・・・書いてて気付いたんですが
「気づきや工夫」の時点で
卑怯で下劣なマネをすることを選ぶ人を
私は裁けないんですよね。
その人の人生ですから。
仏教でいう“自分の因果”から逃れられるかっていうと
そこは私では見通せないですし。(笑)
「結果がすべて」という風潮は、わかりやすいけれど、
人生はもうちょっと複雑で
長い時間をかけないとわからないことってあるものですから、
こういう短絡的な風潮さえも糧にして
私は私の山登りができるな、と思えました。
箏を弾くことだって
スポーツとはちょっと違うカタチですが
身体との信頼関係を築き、鍛錬をする必要はあって、
何より体力を必要としますからね。
お読みいただき
ありがとうございます(^^)
😌⭐✨