なぜ「外国人の生活保護」は問題なのか?法の原則と税金の在り方を問う

 

「外国籍の人も、日本で暮らす以上は生活保護を受ける権利がある」という意見があります。しかし、私はその考え方に強い疑問を抱いています。これは感情論や排斥主義ではありません。日本の法律、税金の意味、そして国家の基本的な役割について考えたとき、現在の運用は明らかに「おかしい」と言わざるを得ないからです。

本記事では、なぜ外国人の生活保護の適用が原則として認められるべきではないのか、その明確な理由を3つの視点から論じます。

 

1. 法の原則:「国民」のために作られた法律を曲げてはならない

 

まず、最も根本的な論拠は、生活保護法そのものにあります。

生活保護法 第二条は、保護の対象を「すべて国民は」と明確に規定しています。

条文に「国民」と書かれている以上、その対象は日本国籍を持つ人であることは明白です。これは、法律を制定した国会の意思でもあります。

事実、2014年の最高裁判決では「外国人は、行政の措置によって事実上の保護の対象となりうるとしても、生活保護法に基づく保護の対象ではなく、生活保護受給権は有しない」とはっきりと示されました。つまり、司法の最高機関も、外国人に法律上の権利はないと断定しているのです。

現在の運用は、戦後の混乱期に人道的見地から出された一本の「行政通達」に基づき、法律を事実上「準用」しているに過ぎません。法律の明確な規定と最高裁の判断がありながら、行政の裁量で法の趣旨を曲げ続けることは、法治国家の原則を揺るがす行為ではないでしょうか。

 

2. 税金の原則:国民の「共助の精神」を目的外に使うべきではない

 

次に、生活保護の財源は何かという問題です。それは、私たち日本国民が納めた貴重な税金です。

税金とは、国民が国家を信頼し、自らの生活の安定と将来の保障のために託したお金です。生活保護制度は、日本国民が、同胞である他の国民が万が一困窮した際に助け合うという、いわば**「国民全体の共助の仕組み」**です。

この共助の輪に、本来その国の福祉に責任を負うべき母国を持つ外国人を含めることは、制度の根本的な理念から逸脱しています。

日本の財政は厳しく、高齢化によって社会保障費は増大の一途をたどっています。自国民の生活すら危うくなりかねない状況で、限られた財源を法律の対象外である外国人にまで振り分けることは、納税者である国民への裏切り行為にほかなりません。私たちの税金は、まず第一に、国民のために使われるべきです。

 

3. 国家の原則:自国民の保護は、その国家が負うべき第一の責任

 

そもそも、個人の最終的なセーフティネットを保障するのは、その人が国籍を持つ国家の責任です。これは、近代国家の最も基本的な原則です。

日本に在留する外国人が生活に困窮した場合、まず救済の手を差し伸べるべきは、その人の国籍国の大使館であり、本国政府です。日本が他国の国民の福祉まで無制限に背負う義理も責任もありません。

もちろん、人道的な観点から、目の前で飢えている人を見過ごすべきではありません。しかし、その場合の支援は、あくまで緊急的・一時的な措置や、民間団体(NPOなど)による人道支援、あるいは本国への帰還支援といった形で行われるべきです。国民のための恒久的な制度である「生活保護」を安易に適用するのは、国家の責任の所在を曖昧にするものです。

 

まとめ:原則に立ち返り、制度の正常化を

 

結論として、外国人に生活保護を適用する現在の運用は、以下の3つの原則から見て、明らかに問題があります。

  1. 法の原則:「国民」を対象とする法律の明文規定と最高裁の判断に反している。

  2. 税金の原則: 国民の共助の仕組みである税金を、目的外に使用している。

  3. 国家の原則: 本来、その母国が負うべき福祉の責任を、日本が肩代わりしている。

今こそ、なし崩し的に続けられてきた戦後からの慣例を見直し、生活保護制度を法律の定める本来の姿に戻すべきです。それは、法治国家としての筋を通し、納税者である国民の信頼に応え、国家の基本的な役割を再確認するために、避けては通れない道なのです。