右手にある古い傷あとにふと目がとまり、想いを廻らす。
右手の甲に古い傷あとがある。
右手の甲、といっても、親指の付け根から手首にかけて。
そこに、真一文字の傷あと。
その昔、ふざけていて窓ガラスを割ったときにできたもの。
もうずいぶん前にこしらえたものだけに、もはや馴染みの相手。
最近じゃ、だんだん目立たなくなってきたのだけれど、
この間、それにふと目がとまって、想った。
これがここにないときの右手ってのはどんなふうだったっけ。
左手は幸いきれいなままなので、それを見ればある程度は想像できる、
と言えそうだけれども、実際はそうはいかない。
左手はどうしたって左手なわけで、
いま思い出したいのは右手のことなのだ。
それで、右手をじっと見つめてみたけれど、
やっぱりそれがないさまは、いまいち想像できなかった。
これといっしょに過ごしてきた時間は、いまやこれがなかったころよりも長い。
或いは、ずっと先になって、この右手を見て、
これははじめからあったんだ、なんて錯覚を起こしやしないだろうか。
全く別の原因を捏造していやしないだろうか。
偽りも忘却もなく、しっかりとそこに刻んでおきたいもんだ。