数年前(或いは十数年前か?)の書きものが、ふとした拍子に出てきて、
やあ懐かしい、と読み返すこと十数分、過去の自分の考えを想い返す。
確かPCのかな入力の練習も兼ねてその時の考えを短編にしたのだったっけ。
でも、過去の自分の考えは、読み返したいま、まだ自分に通じるものがあった。
随想に交えて、恥ずかしながらその一節を披露。
というか、自分の愚作をこんなところで使って良いのだろうか…?!
以下、長文失礼。
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~ 深夜の電話に不審を感じながらも受話器をあげる「私」。
名も知らぬ女が受話器の向こうから自分の思いつきを投げつけてくる。 ~
「(前略)…、人生って紐のようなもの。紐って、絡まったり、ほつれたり、別の紐と交わったり、切れてしまったりするじゃない。人生にも同じ事が言えるのよ。その紐の始まりっていうのはもちろん人の誕生よ。あ、そうだ、ここで、ちょっとあなたをモデルにして話を進めさせてもらうわね。その方がわたしも話しやすいし、そっちも分かりやすいでしょう?」
「うん、構わない。進めて。」
「ありがとう。じゃあ、聞くけど、あなた、兄弟は?」
「兄が一人。弟が一人。」
「そう、三人兄弟なのね。今時めずらしいわね。さぞかし賑やかでしょうね。すると、あなたの紐はその始まりから他の三本の紐と接している事になるわ。お父さんとお母さん、それにお兄さんね。それには後で、弟さんの分の紐が加わることになるわ。そして、あなた自身を含めた四本の紐はよりあげられて少し太めの紐になるの。この紐はまずほつれる事はないわ。それは血の絆だから。そしてあなたはあなたの人生のそれぞれの段階において、すさまじい数の紐と接する事になるの。友人、近所の人たち、学校の先生、仕事での仲間、そんなところね。そんなふうに、多くの人たちの人生という名の紐と接しているのよ。それはほんの一瞬かもしれないし、少し長い間くっついているかもしれない。どう、面白いと思わない?」
(… 中略 …)
「そう、でも、この人生の象徴となるものは紐じゃなきゃ駄目なのよ。いろんなもので人間の人生というものを考えていたんだけど、どうしてもうまくいかないのよね。例えば、今はあなたの人生をモデルにして話しているわけだけど、当然これは他の人の人生にも同じ事が当てはめられなければいけない。そして、その中ではあなたの紐は途中ほんの一瞬だけ触れ合う程度の紐でもあり得るわけ。それにあなたの家族だってそれぞれにいろんな紐と交わっていくはずだし、あなたの恋人だってあなたの知らない紐と接しているかもしれないわ。これがね、棒や何かで例えるとするとうまくないの。棒には柔軟性がなくて、曲がったり何かすることができないから、他の棒との関わりがうまくいかない。まるでその棒が中心にあって他はオマケのようになっちゃうの。これは良くないわ。だって、あなたの人生が中心になって世の中まわっているわけじゃないんだから。(後略…)」
~ 女はこのまま独自の考えを並べ、最後に「私」はこの電話の意味を知ることになる。 ~
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う~ん、いろいろ考えていたんだなぁ、昔の自分。
確か原案は大学1年か2年の授業中に考えたものだったような。
付け加えるならば、
だから、こうして手繰り寄せて紡ぐこともできる。
なんて具合かなぁ。
そして、いま、何を考えているかというと、
それは、また、別のはなし。
つづく。