テレビでハワイの特集をしていた。フラには特別な意味があるんだって。
そんな番組を観ていて、ふとあらぬ方向へ想いが向かう。
「フラ」が「踊る」という意味だから、「フラダンス」はおかしいという話をよく聞く。
「チゲ鍋」もおかしいらしい。「チゲ」は「鍋」の意味だということで。
そんなことを気にしながら街を歩いていたら
「チゲ鍋」という名前はけっこうあったっけ。
因みに、Tさんの携帯電話の文字入力の予測変換機能では
「チゲ」と打つと「チゲ鍋」が候補に挙がる。
「フラダンス」も同じで「フラ」と打つと候補に出てくる。
正しいか間違いかはさておき、それだけ浸透しているということ、かな。
しかし、おかしいかどうかよりもその発端が気になってしまうのが悪いクセ。
そもそも、それぞれが入ってきたときの紹介の仕方によるのかしらん。
「『フラ』というダンスがあるんだって」とか、
「『チゲ』っていう鍋があるんだとさ」とか、それでもって
説明が面倒だから「フラダンス」とかって縮まっていったのかも?
なんか、ナマエがあるということで油断してしまった感じ。
でも、原語にそれほど厳密に合わせなくても良いような。
ナマエといえば、カルタとカルテとカードなんかも
よくもまあきれいに住み分けができたものだと感心してしまう。
それに、カルテ用紙とかカルタカードとかが出てこなかった、
その境界線に理不尽さを感じてしまったりする。
まだまだ考え続けたいけれども、
さて、これを誰かに面と向かって話そうとしたら、
「あ、そう…」
で、終わってしまうのだろうなぁ、なんて想って、ここに一筆。
そんな、会話にならない会話の準備、その断片である。