私が高校生の頃、携帯小説全盛期だった。

子供の頃から捻くれていた私は当時流行りの作品は見ていなかったけれど、とてもとても好きな携帯小説を書かれる方がいた。


暁通信局というサイトをやっているタマムシさんという方の作品。

当時メルマガで小説を配信されていて、色んな携帯小説家の作品が集まる「鱗ボーイズ」という今は消えてしまったサイトの中でも、タマムシさんの短編小説が一位になったりしていた。

正直別格だった。



当時家庭にも学校にも居場所のなさを感じていた私は本や漫画の中に居場所を求めていたのかもしれない。

家に帰ると怒鳴り声が聞こえる。学校では人付き合いが苦手で少し孤立したりしていた。

全く友達がいないわけではなかったけれども、いつも些細なことに傷ついたり苛立っていて、キラキラした青春ではなかったなと思う。


今日まで本当に誰にも言ったことがなかったけれども、高校生の頃の感受性豊かで思春期だった私はタマムシさんの作品に尋常じゃないくらい影響を受けていた。


作品のほとんどは暴力的で、性暴力や虐待、殺人、ゲーム感覚で自殺まで追い込むほどのいじめのシーン。

正直そんな作風は苦手だった。

でも、タマムシさんの小説に出てくるのはいつも傷を持つ孤独な人たちで、それが凄く愛おしかった。


「世界が生まれた朝に」という作品は、母親が売春婦で父親は客の誰かも分からず、女だったら一緒の商売が出来たのにと母親に女装させられて服に火をつけられて死にかけた過去をもつ連続殺人犯の少年。

育児放棄されて、引き取られた里親に虐待されて殺人を犯した子ども。(この作品のタイトルは「永遠の雨が降る」だった。Endless Rainを和訳したもので、章ごとのタイトルも「joker」とかX JAPANの楽曲から取ったと言っていた。別にX JAPANファンというわけではなかったらしいけど)

登場人物の誰もが悲しみを背負い、愛を求めていて、でもそれ以上に誰かを愛していた。


たまに普通の高校生の物語を書く時もあった。

同級生の男の子2人で埼玉から夜通し海まで自転車をこいでいく作品。

もう十年以上前に読んだからどんな結末だったかなんて思い出せないけれども、主人公と一緒に海に行った男の子は、確か兄弟が病気で親がその子にかかりきりだから、健康な自分は悲しんじゃいけないと思っていて、自分が悲しいことでは泣けない、

でもウルトラマンのジャミラを見た時に、ジャミラが可哀想でその時だけは泣けたんだと言っていた。

なんだか哀しかった。


同性のカップルが、女手一つで育ててくれた母親に挨拶に行く作品もあった。

厳しかった母親は、きっと軽蔑するだろうと会いに行くのに吐きそうになるくらい緊張している主人公が、父親が亡くなってからずっと誰にも寄りかからずに自分を育てるために厳しくならざるを得なかった母親の愛情に気づくシーンを凄く覚えてる。


でもタマムシさんは、そんな優しい作品を書いてしまったことが嫌なんだと、作品をすぐ消してしまうところがある人だった。

私はたまに書いてくれるそんな温かな作品が、すごくすごく好きだったのに。


「dreamisland boy」という作品もあった。

広島の原子爆弾投下の被曝症で父親を亡くしたヤクザ東條と、ウクライナのチェルノブイリ原子力発電所の事故で家族を亡くした花屋のサシャの不思議な物語。

サシャが別のヤクザに乱暴されて殺されて夢の島のゴミ処理場に遺体を埋められて、掘り返しに行くシーン。遺体が見つかった時に夜が明けて、殺したヤクザを撃とうとするんだけれども、でも殺さずに、お前を許せないけど許す、と呟く。

サシャはお兄さんが原発職員で、とても真面目な優しい人で、事故の責任をなすりつけられて、逃げずに現場処理にあたるけれども大量の放射線を浴びたことで亡くなってしまう。

サシャは憎しみはあるけれども、何があっても許せと東條に言う。許すことは自分のためだと、だから何があっても許すんだと2人でいる時に東條に伝えていて、だから東條も許すことを選ぶ。

命日には必ず夢の島に、サシャがいつもくれていたヒナゲシの花を流しに行く東條が描かれて終わるその物語は何度も読んだ。

小説から音が聞こえたし、景色が浮かんだ。



初めてタマムシさんの作品を読んでから数年が経ち大学生になった時、勇気を出して今度東京に行くのでお会いしたいですとサイトを通じてメッセージを送ったことがあった。

その頃タマムシさんは小説をあまり書かなくなっていて、サイトも更新が少ない状態で返信も来ないまま東京旅行は終わったんだけれども、その後少ししてから、ぜひ会いましょうと返信を下さって、それから何回か東京に行った時にお会いすることができた。


作品のイメージで怖い人なのかと思っていたけれども、実際のタマムシさんはすごく優しい人だった。

初めてお会いした時に私は19歳で、自分は社会不適合者だから20歳になって大人になったら生きていけないと思う、とか面倒くさいことを言ってて、それなのに私の悩み一つ一つに真剣に言葉を返してくれて、新宿の居酒屋で一緒にもつ煮込みを食べながら沢山お話が出来て凄く嬉しかった。


優しいけれども変わった人で、裁判の傍聴に行こうと言われて霞ヶ関に連れて行かれたり、浅草のストリップショーに連れて行かれたりしたけど。

でも私の鎌倉観光に付き合ってくれたり、浅草から水上バスが出てるよと教えてくれて一緒に乗って色んな話をした。


2017年にToshlくんのバレンタインロックで東京に行った翌日にも浅草でお会いした。

二日酔いの状態で来て、賞味期限切れのお菓子をお土産だと渡してくれた。

やっぱりタマムシさんはいい加減で変な人だった。


その頃にはタマムシさんはもう何年も、小説を書かなくなっていた。


沢山小説を書いていた頃、幸せだと作品は書けないと言っていた。

だから、寂しいけれども小説を書かないということはタマムシさんが幸せだということだからいいんだと思っていた。


そういえば2011年の東日本大震災の後にずっと中断していた長編の「永遠の雨が降る」を書き上げてくれたことがあった。楽しみにしてくれていた人もいただろうに、こんな事なら早く書き上げればよかったと悔やんで、最終話まで一気に書いてくれた。


途中で作品を放置するし、新作を書くと何度も言いながら結局書かなかったりすごくいい加減なところはあるけれども、やっぱり根っこのところが優しい人だった。



2年ほど前に、新年の挨拶を兼ねて久しぶりにメールを送った。

タマムシさんの小説に十代の時にとてつもなく影響を受けたこと、小説を書かなくなった今タマムシさんが幸せなら嬉しいということと感謝の想いを込めて丁寧に書いて送信したメール。



そのメールは、届かなかった。


メールアドレスが変わってたみたいで、唯一知っている連絡手段がそのアドレスだけだったから、なんとか連絡を取れないかなと色々と手がかりを調べたけどダメだった。


一年ほどしてまた同じメールを送ってみたけど、やっぱり送信エラーでかえってきた。


2017年に二日酔いのタマムシさんとお会いした日が、タマムシさんと会えた最後の日になった。



でも、もう会えなくてもタマムシさんが幸せで生きているならいいと思っていた。

たまに暁通信局のサイトにいって更新されないままの、十代の頃から何度も読んでいる小説を読んでは、タマムシさんの小説がやはり好きだなぁと思っていた。



今夜久しぶりに暁通信局に行ったら、サイトごと無くなっていた。

あらゆる手段でリンクに飛んだけど、消えてしまっていて見ることは出来なかった。


スマホなんてない時代のガラケー向けのHPだから、仕方ないのかもしれない。

でも、暁通信局にいけば、ずっとそこにタマムシさんの小説があると思っていた。


あのメチャクチャで暴力的で沢山の傷と孤独を背負い、それでも誰かを愛する人たちを描いたタマムシさんの作品はずっとそこにあると呑気に考えていた。


初めてタマムシさんの作品に出逢ってから何年も経って大人になった私は、不器用なりに社会と折り合いをつけられるようにもなったし、大人になることは案外楽しいということも知っている。

あの頃のように居場所を求めてタマムシさんの小説を読んでいたわけではないけど。



それでも、もう私は、一生、タマムシさんの作品を読めないんだと、心が痛くなった。


高校生の私を夢中にさせて、どんなに自分が苦しくても自分を助けて欲しいと思うのではなく、自分と同じように苦しんでいる人に力を貸すことが、生きていく上でとても大切だと教えてくれた作品たち。


心が痛くて、いてもたってもいられずに、こんなブログを書き殴っている。


こんなところに書いても、きっと何も届かないと思うけど、タマムシさん、私は本当にタマムシさんの小説が大好きでした。

本当はもっと小説を読みたかったし、すぐに消してしまった作品も、何度も何度も読み返したいくらい愛おしかったです。


お会いできて本当に嬉しかった。

新宿や浅草の大衆居酒屋、東京の街を一緒に歩いたこと、メールの返信が半年後に来たこともあるくらいいい加減だけど、幼稚だった私の話を馬鹿にせず受け止めて優しく話をしてくれたこと。


社会不適合者で大人になったら生きていけないかもしれないなんて言ってた私は今大人になって、こんな私でも誰かを助けることが出来るなら頑張ろうと思ってます。


タマムシさんの小説は残酷なシーンも沢山あったけれども、読み終えた後になぜか絶望ではなく、情けなくてもカッコ悪いままで生きてみるのもいいじゃないかって気持ちになるんです。


もう一生会えないだろうし小説も読めないけれども、タマムシさんの小説は心の中で大切に輝いています。

本当に本当にあの頃小説を書いてくれていてありがとうございます。


どうかタマムシさんが東京のあの街で、これからもお元気で生きていてくれますように。