海と黄緑いっぱいとメロンソーダ、元ふきのとうの細坪基佳さんが大好きな長谷川愛子(愛ちゃん)
き花の壺屋総本店生協るもい店の店長しています
☆こんな人☆
人見知り.泣き虫.ドジ
4人の肝っ玉母さん
黄緑に囲まれていると幸せ
☆ニックネーム☆
愛ちゃん
☆好きな言葉☆
愛は幸せを大きくする
NO‐364
たまたま人それぞれですがあくまでも私が今回目が悪くなった経過ですのですべての人に当てはまるわけではありませんのでご理解ください
飛蚊症とは
物を見ているときに黒い虫のような物が動いて見える状態。
視線を動かすと追いかけて来るような動きをします。
症状が出る年齢は、幅広い年齢層にあるようです
目の中は、空洞ではなく、透明なゲル状の硝子体と言う物質で満たされているそうです。
硝子体の成分は、ときとともに変化するようで一部にシワのような物が出来るそうです。
この部分が濁ってその影が網膜に映り視野の中で黒い点のように見えるそうです。
年齢とともに硝子体の液化変性や後部硝子体剥離でおこる事が多いようです。
その際に網膜剥離を伴う事があります。
飛蚊症から引き起こす代表的な病気に網膜剥離があります。
網膜裂孔とは
網膜は、眼底と呼ばれる眼の奥一面に広がっている薄い膜状の組織です。 眼の中に入った光が映し出される所で、カメラのフィルムまたは撮影素子に相当します。 その網膜の亀裂や穴を「網膜 裂孔もうまくれっこう 」といい、「網膜 剥離 もうまくはくり 」の主要な原因です。 網膜剥離とは、網膜が眼底から剥がれてしまう病気です。
白内障とは
白内障とは、水晶体が年齢とともに白く濁って視力が低下する病気です。 水晶体とは、目の中でカメラのレンズのようなはたらきをする組織で、外からの光を集めてピントを合わせるはたらきを持っています。 通常は透明な組織ですが、白内障では白く濁ってしまうため、集めた光がうまく眼底に届かなくなり、次のような症状が引き起こされます。
今年に入ってからの目の不調を書いていこうかなと思います。
私は、1月から虫なのかゴミなのかそれが瞳を動かす度に黒く動きこれが飛蚊症で目の病気を発症のきっかけでしたがそれが危険なことだとは思いもせずに過ごしていました。
たまたま2月に細坪さんライブのため様似に向かう途中猛吹雪で車のドアを右目のふちにぶつけ違和感が一週間過ぎても消えなかったため地元の眼科受診しましたがこれが2月16日の土曜日でした
視力があるから大丈夫です。
固い物をぶつけるより柔らかい物をぶつけた方が異常がある場合が多いですと言われてまた何かあったら来てくださいとのことで、えっ〜これで終わりと思い下の方が黒くなって見えにくいんだけど大丈夫ですよねと訪ねるとじゃあ別な検査しますと言われて始めて写真を撮ってもらうと家族を呼んでくださいと言われましたが夫は、市外で仕事中で来れない事を告げると驚かないでくださいね
このまま置いておくと2、3日中に失明しますと告げられビックリしました。
私から言ったから検査してもらえたけれど言わなかったら失明するまでわからなかったと言うことになり恐ろしさを感じました。
受診したのが土曜日で月曜日までに紹介状書いておくのでそれを持って入院する用意をして医大に行き先生と相談して手術してもらってくださいと言われ紹介状持って医大へ向かう時は、右目は全く見えなくなっていました。
2月18日色々検査して終わったら夕方になっていてそのまま入院し次の日手術になりました。
病室に案内され良い先生で良かったねと看護師さんに言われてホッとして良かったぁと思いました。
本当に優しくてイケメン先生で嬉しくもありました。
手術は、当初16時からと告げられていましたが空きが出来たので13時からしますと前日担当医がわざわざ教えに来てくれました。
局部麻酔と言われ緊張していましたがいざ自分の順番が来て車椅子で手術室へ行き手術には、夫、次男、三男が来て手術室前まで付き添ってくれました。
そこで異様な光景を見てさらに緊張しましたがそれは、手術が終わり眼帯をした人が車椅子で待っていてバトンタッチするかのようにその方は病室に戻り私は、名前や手術する目はどちらかを確認され手術室へ
手術室は、広くそこからさらに中の手術する部屋へ入ると担当の先生とスタッフの看護師さんなどがいて私は、寝台へ移りもうこの時点でドキドキ、ハラハラでしたが麻酔をしても痛いと言われていたのでどれだけ痛いのか想像もつかずに不安だらけのまま顔を消毒され左目から隠され次は右目でライトを当てられまったく見えなくなり周りの声だけが聞こえて先生に「では始めますね」と言われてスタートしました。
時間は、どれくらいかかったのかまったくわかりませんでしたが器具の音や研修生もいたので先生が説明しているのも聞こえて来ていましたが前日緊張で眠れなかったので痛いと言われていましたが痛みもなく手術室で聞こえてくる音楽が子守唄になり眠りについた私でしたが無意識に動いてしまい驚いたのは私より器具を握っている先生のほうでした。
先生「どうしましたか
動くと危ないですよ」
私「すみません眠りについて無意識に動いてしまいました」
先生「眠れるくらいなら良かったです。でも眠ると危ないですよ」
私「昨日緊張で眠れなかったので寝てしまいました」
先生「もう少しなので頑張ってください」と言われ緊張しながらされるままにいました。
このときの手術は、右裂孔原性網膜剥離、右核性白内障の手術をしました。
無事手術は、成功しましたが目の中にガスを入れたためにうつ伏せ寝
腰痛持ちの私には辛い時間でした。
入院したのは、2月18日でこの日に大切な友達が亡くなっていたのを19日の手術終わった後にわかりパニックになり手術後なのに大泣きしたのは忘れません。
起きている時、寝ている時のベッドの高さを勝手に変えて毎度のように看護師さんに叱られていました。この時まだその高さがとっても重要な事だと気づいていない私でした。
担当医は、下内昭人先生
他の担当医は、診察時間になると看護助手さんが迎えに来ていましたが下内先生は、必ず部屋まで迎えに来てくれて診察でしたし出張で遅くなったりお休みの日でも診察に来てくれてありがたかったのですが先生は、いつ休んでいるのって言うくらい患者に寄り添ってくれる先生で本当に良い先生で良かったです。
強い衝撃を受けるとなりやすい網膜剥離ですが体質的に私は、なりやすいと言われ 確かに湿疹など出来物は、なりやすいと納得
この時二週間の入院でしたが退院するときは、まだガスが抜けきっていないので目の中で丸くなった物体が見えていました。
この時二週間の自宅療養で本当は、もっと療養していた方が良かった事を後から後悔しました。
絶対無理は禁物で重たい物を持つ事も禁止
ホコリなどのバイ菌のある場所もダメで1日四回の目薬は、絶対いれなくてはいけなくて一つ目薬を入れると5分置かなければならないので仕事中は、大変でした。
この時2度目の手術をする事になるとは思っても見ませんでしたが先生に無理するとまた手術になるよと言われたのを二回目の手術時に思い出しました。
2月17日入院〜3月1日退院して自宅に戻り起き上がれない私に変わり仕事から帰って夫が食事の用意をしてくれて当然仕事に行くお弁当も自分で作り次の日私がお昼に食べる物も用意してくれてありがたかったし夫がいたから療養出来きたことに感謝ですがその夫は、10月に仕事中に事故死して今はいません(泣)