一路真輝や、その他、いろいろ考察

一路真輝や、その他、いろいろ考察

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一冊の書物を読んで、ひとりの著者でなくひとりの人間を見出すとき、我々の悦びは大きい。修辞学は抽象的な論理でなくて人間的な論理であり、それは心理と論理との統一であるように論理と倫理との統一である。そしてかくのごとくそれが主観的なものと客観的なものとの統一であるところに、修辞学が技術であるべき理由がある。けだし技術においては主観的なものが客観化され、客観的なものが主観化され、主観的なものと客観的なものとの統一ということが技術の本質である。
 修辞学はもとより単に心理の技術ではない。それはすでに言葉という或る物質的なものを支配しなければならぬ。しかも修辞学は単に言葉の技術でなくて同時に思考の技術である。プラトンが考えたように修辞学の根柢には論理がなければならず、アリストテレスがいったように修辞学は弁証論の孫である。言葉と思考とはもと一つのものである。思考の真に基づかないようなものは真の修辞学ではない。パスカルは雄弁についていっている、「快適と真とが必要である、しかもこの快適はそれ自身真から取って来られたのでなければならぬ」。真であるためには、ひとは論理的に思考せねばならぬ。