“八重の桜”の会津藩領地が長岡京に
長岡京市発行の広報紙にエッ!と思われる事が載っていたので紹介します。
今では神足(コウタリ)、古市、勝竜寺、の三ケ村は長岡京市に合併されているが、会津藩が京都守護職に就任した1862年頃は独立した村でしたが、会津藩の領地となりました。
将軍の上洛や孝明天皇の石清水八幡宮行幸や禁門の変、はたまた長州征伐などが続き、その度ごとに村々からは人夫を動員させられた。
このような負担の増加が、結果的に幕府への不信感となっていく。
前回の“八重の桜”でもあったように、幕府の浪士がかなり乱暴したようだ。(`×´)
ご当地の村に『幕府の浪士が村に金品を要求したり筍や松茸を無断で採るような浪士がいたら報告せよ』と言う高札が残されており、当時の世相を今に伝えています。![]()
幕府が衰退して、明治政府が誕生したのには、それなりの理由があります。 やはり民衆の力でしょう。![]()
現代でも同じですよ、安倍総理殿![]()
薪ストーブの燃料 ペレット
自然志向の息子が間伐材を使って木質ペレットを作る企業に勤めている。
木質ペレットは作れば作るほど売れるという品物ではない。
木質ペレットを作って企業として利益を上げるまでにはかなり時間がかかる。
京都府は林業振興のためか木質ペレットをを作る会社に補助金を出すようにした。その補助金があって会社が成り立っていた。
が、企業として一人立ちできる寸前に補助金を打ち切られた。![]()
もう2~3年補助金を出せば一人立ちできる会社になり、京都府の林業の衰退にも少しは歯止めを掛けられたかもしれないのにとても残念だ。![]()
個人の薪ストーブだけではなく、色々なボイラーを使う企業がペレットを使うようになってから、ペレットを生産する会社が無くなったらどうなるのでしょう? ![]()









長岡京側から見た上下完成トンネル



