関西でログハウスを建てる社長のブログ -168ページ目

食欲の秋はきているが・・・

いつもならお彼岸時分には真っ赤な彼岸花が田圃の畦道にいっぱい咲いているのに、今年は今日初めて遠慮しながら少し赤く染まった花を見た。 

咲くのが大分遅れているようだ。何故か分からないが、多分猛暑のせいではないかと思う!?


今晩は「中秋の名月」。 月を愛でながら美味しい酒と行きたいが、胃を切ってからは酒が美味しくなく、又飲みたくもならないショック!。 不思議なことだ。 

ヤケ酒も飲めないからだになってしまった。しょぼん

 

皆さま、胃は大事にしましょうビックリマーク これ私の本音。にひひ

餃子事件と同じ動き

中国と台湾は尖閣諸島を自国の領土として教科書に載せているらしい。日本の教科書では特に自国領土とも何とも教えていない。


実際はどうなのかはてなマーク 

尖閣諸島は1895年1月14日日本の実効支配となっている。1895年、日本政府は尖閣諸島の領有状況を調査、世界情勢を考慮しつつ、いずれの国にも属していないことを慎重に確認したうえで沖縄県に編入した。 国際的にも日本の領土と認められ、日本人の入植も行われた。


アホウドリの羽毛の採取や海鳥の剥製の製作、そして鰹節の製造などが行われた。特に鰹節の製造は島の基幹産業となった。 しかし南洋諸島からの安価な製品が出回るようになると経営が苦しくなり、鰹節工場は閉鎖され、1940年に無人島となった。


無人島になってからも日本の実効支配は継続している。 第2次世界大戦後は一時連合国(実質的にはアメリカ合衆国)の管理下に置かれたが1972年に沖縄県の一部として日本に返還されている。


ところが1969~70年に行なわれた国連による海洋調査で、尖閣諸島のまわりに推定1095億バレルという石油資源が確認されたから、さあ大変!


これ以前の中国の地図では国境は尖閣諸島と中国本土との間に引いていた。

ところが、1970年以降、中国および台湾は尖閣諸島を実効支配していないものの、1895年の下関条約(馬関条約)は侵略戦争によって強引に結ばれたものであるなどとして島の領有権を主張し始めた。

注:1971年6月に台湾、12月に中国が相次いで領有権を主張。)


現在、尖閣諸島は民間日本人の所有地であり、日本国が借地をしている。
日本の国内には民間レベルで灯台の建設を進めたり、定住しようとする計画もあるが、日本政府はそれを押し留めている。

このように日本政府の弱腰が中国になめられた原因だ。プンプンプンプン


中国は、対日本だけでなく南シナ海でも領海を自国の物にしようとフィリピンやベトナム等の国々と争っている。 それらの国々は中国に対しても堂々とものを言い闘っている。


今回はとことん尖閣諸島は日本領土と主張して毅然とした態度を取るべきだ。DASH!DASH!

竹島の二の舞にしてはいけない。プンプン

 

散歩連れてくれるの!!

今日は盆前から行かなかった三男との散歩を1か月ぶりに再開。


5時半に起き、行くか?と聞けば三男、「涼しくなったし、おやじが行くなら行ってもいい」 と言う態度。 もっとニコっとして素直に喜べ・・・尻尾はお前の気持ちを良くあらわしてるゾ。 


こちとらは飯も満足に食べられないし、体も満足に動かない。しょぼん でも久しぶりに世間を見たいので出発。 

稲刈りも もう8部方終わっていた。 自然の音も蝉の声から秋の虫の上品な鳴き声に代わっていた。(蝉も8月25日を最後に鳴きやんでいる。この部分は病室で観察。ついでに言えば蝉の鳴き始めは7月21日だった。) 


途中、村の鎮守さまに病気のお礼まいり。 賽銭の持ち合わせが無く、後日持参の約束。 朝方は涼しく長袖を着てちょうどだった。やはり猛暑の夏は過ぎ、季節は秋だ。

もう少し体が回復するまで養生させて頂きます。にひひ

阪神淡路大震災思いだす

以前からの約束で3時より某国立大学の建築科の先生に、阪神淡路大震災時に建てた仮設住宅についてインタビューを受けた。


当時の仮設住宅は4万戸以上建てられていたがほとんどが現場事務所の様なブリキ製でした。


我が社の仮設住宅 133戸は木質系で被災された住民に住みやすいと評判が良過ぎて、退去されるまでに4年ぐらい掛った。

その評判がインタビューを受けた原因のようでした。


聞かれた内容は現場事務所風仮設住宅と、木質系住宅と建設費差が有ったのか? 工期は日本でこしらえた仮設事務所風住宅と比べて海外で作った木質系は長く掛ったのかと言う様な質問でしたが、 いずれも同じくらいと答えたらビックリされていた。


その他色々と質問が有ったが、要するに住みやすい建物であろうが、住みにくい建物であろうが応急住宅の場合は予算も工期も一緒だと言う事だ。


利用された期間は我が木質系が一番長かった。ニコニコ 


(被災住民の方にとっては住み心地の良い方がありがたいに決まっているが、お役所としては一定期間以上に長く住み続けられると困ったみたい・・・しょぼん


その仮設住宅を解体しなければならない時期にバングラデッシュで大洪水が起き、多くの被災者が住居を失われた。 で、解体する予定の仮設住宅を再利用しないかと大使館に連絡したら是非にという返事があった。

が、色々スムーズに事が運ばず結局は実現できなかった。ショック!


折角の木造建材を全てゴミにしてしまうには余りにももったいないし情けないので、使ってもらえればと思ったのだが。。。双方にとって残念だった。

菅さんもホッ私もホッ

人体改造のため先月17日に入院して、今日29日ぶりに娑婆に帰って来ました。


その間色々なお方にご心配とご迷惑をおかけしました事心よりお礼とお詫びを申し上げます。


胃癌は完璧に取り除かれました。ニコニコ


内装工事はまだまだ完了していないが、あとは日にち薬なので食事が少しづつ増えるようにしていきます。


車の運転も近くであれば出来そうだが、長距離だとまだ自信が無い。

とりあえず食事が充分に取れていないのでしゃきしゃき動く事が出来ない。 まるで怠けものが動いているようだ。しょぼん


お医者さんにはまだ働いたら駄目だと言われているが、じっと出来ない性分なので少しづつナラしていきます。


ご迷惑を掛けているお客様には今しばらくご容赦願います。 m(_ _)m あせる