でも昼間のレンタカーの仕事は結構走り回ったりチャイルドを三個も四個も担いではしらなあかんかったり私は免許もあったから車に乗り降りし動かしたりと結構肉体的負担は多いと感じ派遣担当に相談することに。数十分連絡を待ってたらレンタカー会社の派遣担当の人に呼び出された。なんと言われたかあんまりしょっくで覚えてないけどなんかある前に自らやめて欲しい。と言う話やった。

“私はできることはなんでもします!今辞めたら寮も出なあかんし安定期まで飛行機ものられんから後三ヶ月は帰れないんです、お願いします“と頼み込んだけど首は縦には振られれんかった。

トントンと話は進み三日以内には寮を出てくれと言われた。親友と二人で頑張ろうって来たのに親友にはほんまに悪いことをした。

し、途方に暮れた。

とりあえず夜の仕事だけ続けて、彼の家へと拠点を移動させた。

でも悪阻が酷いタイプやったみたいで初期はほんまに酷くて居酒屋のにおいもきつかった。そんな仲よそから来た私に優しくしてくれたのは親友だけやった。店長も平気でハイターの掃除とか押し付けてきた。その半月後出勤途中に大量出血しとりあえず店に出勤したら今日はええからすぐ病院行ってきなさいと言われ私も頭真っ白になって病気の母に電話した。

安心させる言葉をくれてとりあえず片っ端から病院に電話しなさいと言われ受け入れてくれる病院を探してから彼に電話して彼もすぐかけつけて病院も付き添ってくれた。

車椅子に乗せられ診察室へ向かう途中は生きた心地がせんかった。

結果赤ちゃんは元気に動いてた。

”切迫早産“と言われ絶対安静と言われた。

仕事場にそのウマを伝えるとやはり”もう辞めてもらった方がいい…“と言われた。

なんか意外と沖縄の人って冷たいんや。と思ってもた。

沖縄の人がみてたらすみません。

みんながそうやないのはわかってますよ!❥︎

それからは地獄のような日々やった。

なにもなくなり一人で過ごす毎日は一〇分にいっかいトイレで餌付く毎日やった。

彼にお金も渡せんなったし彼への負担が増え

彼も夜も昼も働くようになり昼に出て昼に帰ってくることも多っかった。

ほんで数時間してまた出ていく…

ほとんどひとり。休みの日は親友が

栄養に良いものを作ってきてくれたりして幸せやった。嬉しかった。

私やったら怒ってまうと思う。でもほんまに優しい子やった。

そんな日々を過ごして私も精神的に不安定になっていって朝までの仕事のはずやのに朝から昼まで連絡つかず昼の十三時とかに帰ってくる旦那に疑いをもちはじめて問い詰めた。でも”店で寝てしまったごめん“というばかり。信じるしかなかった。今はこの人しか頼れん。

送り迎えはできるときは毎日したしごはんも作った。でも悪阻の酷さもわからず”シンクのゴミ変えといて欲しい“”お風呂はもっと掃除してほしい“と言われたことは多分一生恨む。

誕生日も朝から出掛けってた旦那は帰るの日付変わると思うと言うことで親友と行きつけの店で過ごしお祝いしてもらって、彼の働くカラオケ屋に行った。すると店長というメガネをかけた女の人が”糸数くんの奥さんですね!妊娠、婚約おめでとうございます“と声をかけてきた。挨拶をしええ部屋に案内してもらってお腹に触らん程度に歌った。親友が泣きながら西野カナを歌ってくれて私も一緒に泣いた。

その日は親友ともっと話したくて泊まってもらうことになった。

その後日も親友と那覇ハーリーに行って五月の花火を見た。それも一生忘れへんと思う。

そんな親友も六月頭に帰ってしまい寂しくなった頃私の精神もまた不安定になった。

お金もないから朝ごはんはなし昼まは袋麺。

夜は冷凍チャーハン。妊婦さんやとは思えん食生活。

そんなある日

旦那のおかしな行動がきになりそうゆうことだけはしたくなかったし今まで絶対的なプライドがあったけど携帯を見た。そうしたら出会い系チャット?が六つも入っていた。

中の見ていると何十人とも及ぶ女の子と連絡を取ったりあったりしていたことが発覚。

呑気に横で寝ている彼を見て携帯顔に投げつけたろかどないしてもたろうかおもった。

もっと賢く行こうと思ってひとつのアプリにのってあった彼のIDをメモリ私もそのアプリに登録。柄でもないお花のアイコンを設定しコンタクトを取ってみることに…

早速その日仕事行ってすぐに連絡を返してきた。

私はその日何時に帰ってくる?今日は神戸二日前やし早めに帰ってきて欲しい。と珍しくお願いした。

わかった!と言ってでていった彼やったけど

女の子のふりをした私に零時にどこどこで待ち合わせしませんか?とおくってきて直ぐに私のラインがなり”ごめん、結構忙しくって遅くなる。先寝といて。“

私は頭おかしくなりそうやった。

なんせその日は婚姻届を出して三日ごやった。

荷物をキャリーケースにつめて家を離れて近くのコンビニの前に座り旦那に証拠のスクショを送りつけた。

そしたらすぐに鬼のように電話が。

三回目くらいで電話をってなに?と冷たく言い放ったら帰ってきた第一声が…”携帯みたの?しんじられない“…こっちが信じられへんわい。笑

その後も謝りはなく私も怒りで涙ボロボロになり“婚姻届出して三日やで?何考えとるん?父親の自覚あるん?”って聞いたらもっと信じられん返答が。。“じゃあもう離婚したらいいじゃん”

…絶句した。前代未聞とはこの事。

“わかりました”と言って電話を切って電源も切った。朝まで途方に暮れてお金もないから暗い道をキャリー引いて歩き回って限界を迎え腹が立つけど彼の家に戻った。

でも謝ってくることは無く地獄のような時間を過ごして昼間やっと謝ってきた。

話し合い、もう二度としません。と目の前でアプリを消して、五〇万円もおかーに頼んで建て替えてもらって返済する。もう一度チャンスをください。と言われ了承した。

結局その後お義母さんちに言ったけど自分でよう言い出せず私が土下座した子供のためにどうかお願いしますと頼み込んだ。

その時も家の入り口で私と義母さんをただ見つめるだけやった。

そして神戸に一人で帰った。

神戸帰ってからは地元の友達とあったり家族と過ごして大分悪阻も食べたら吐く。程度には落ち着いた。

でもそんなある日彼が休みの日に一人で古宇利島に行ってくると電話をしてきた。“はぁ、いってらっしゃい、写真送ってー”

と電話を切ったけど誰が休みの日に家から二時間半もかかる海に一人で行く?また女か…と。

ほんでも呑気に出発します!といってグラサン姿で送られてきた写真。

グラサン部分を拡大してみるとコンビニもない路肩に泊まってる。イコール人待ち。黒。

でも何ヶ月も泳がせた。

そんなある日検診で切迫早産が悪化してると言われ緊急入院に。四人部屋の団体部屋に入り二四時間四六時中…いや、帰れるその日まで点滴はひとときも外せない。お風呂は週に一回。絶対安静の日々が始まった。

悪阻もまたひどくなり地獄やった。毎朝なNST中にも白の我慢できず受け皿をもらって吐くほどひどかった。今思ったらストレス。

そんな地獄のような日々の中待ち侘びた十月一十六日がやってきた。旦那が神戸に見舞いにくる。二日滞在する。

一日目は久しぶりとたわいもない話をして過ごした。楽しかった。疑うことをやめたかった。もうう気づかないフリこのまま続けようかとも思った。