カオス
昔、まだ私が高校生だった頃、当時NHK交響楽団の首席クラリネット奏者だった親戚の横川晴児さんが「大体8年ごと位にスランプがやって来て吹けなくなるんだよ」とおっしゃったことがあった。
のんきな学生だった私にはこの言葉の重みがピンと来なかった、というか、尊敬する偉大な叔父さんですらスランプに苦しんだりするという事が信じ難かった。
が、気づけばいつの間にやら当時の叔父さんの年齢に自分が達しており、ふと歩んで来た道を振り返ると、確かに私にも何年間か毎に定期的な「プロセスの波」があったし、これからもきっとあるのだろうな、と思う。
高校生の私と横川さん
「プロセスの波」というのもなんだか抽象的な表現だが、その様子を登山に例えて大まかにまとめてみると、大体こんな感じの7つの段階に分けられる。
1、努力
とにかく目の前の坂道や凸凹の道無き道をがむしゃらに歩き続ける。
2、安息
登り続けた坂道の向こうに突然現れる眺めの良い平原。ホッとしてちょっと足を止め周りを見渡しひと息入れる。
3、懐疑
「いやいやいやいや💦、、、、こんな所に平原なんてあるわけないやんか!ここは山の中やで。たぬきにばかされてるに違いない。」と思い直す。
4、懊悩
再び歩き始める。しかし、一度眺めの良い場所で頂上へ向かう無数の道筋を見てしまったから「一体どの道で行くのが一番良いのか」と考え始める。
5、混沌
色んな道を少し行っては引き返し、立ち止まって考え、疑い、悩み過ぎて、だんだんわけがわからなくなる。
6、変化
何らかの不測の事態が起こり、自分が時間をかけて練った計画とは全く異なる手段と決断を選ばざるを得ない状況に追い込まれる。
7、再生
色々と直感や知恵を働かせて何とか危機から脱したら、たどり着いたのは山頂ではなく別な山の入り口だった。(そしてまたプロセス1に戻る)
で、今の私が一体どの段階なのかというと、、、
5番の「混沌」(笑)
“カオス(混沌)期”ってのは、とにかく色々情報や知識、知恵をインプットしたい欲が高まっているので、沢山の人と会って話をしたり、本を読みまくったり、色んな場所に行ってみたりする。そしてこの時期には周りの人間関係がガラッと変わり、新しい友人に、その時の私に必要な「ひと言⚡️」を言われ啓示を受けたりもする。
フランス
カオスな脳みそを持て余しつつ、先日はフランス各地を1週間ほど点々としていた。
①ロレーヌ地方
最初の2日間は、風光明媚なロレーヌ地方の丘の上に建つ、まるで美術館さながらのアール・ヌーヴォー調骨董美術品に溢れた私の親友夫妻の家🏠にお邪魔した。
寝室よりのながめ
20年来の大親友である美人のソプラノ歌手ジュリーと、世界的指揮者兼作曲家でピアニストのフレデリック。着いてすぐにジュリーと夜更けまでずーっとおしゃべり。たわいのない近況報告に始まり、彼女が芸術監督をしている地元の音楽祭のプログラムの選定、アーティストの選び方や組み合わせ、スポンサーの見つけ方、メディアでの宣伝発信や新しい芸術企画についてのアイディアに至るまで、みっちりと語り合った。
ジュリーと
次の日には、デュッセルドルフ歌劇場でのオペラ指揮を終えたフレデリックも合流。フレデリックは料理上手🍳なので、帰宅したと思ったらすぐに台所に立ってササっと美味しいものを作り、とっておきの美味しいワインまで開けてくれた🍷
食後には「カナコの感想を是非教えてほしい」と、彼らが今度リリースするフランス歌曲集のCDに収録されているプーランクの作品をいくつか2人で演奏してくれ🥺🎵 その後は、ジュリーがもうすぐイタリアの歌劇場で歌うプーランクの「グローリア」をフレデリックがピアノ弾きながら稽古つけてる様子を見学。
新しくリリースされるジュリーとフレデリックのCD
フレデリックは若い頃バレンボイムのアシスタントをしながら歌劇場任務に必要な全てのスキルを身につけたのだとか。相当な数のオペラを丸暗記していて、まるで「歩くオペラ辞書」のよう。作家として本を何冊も出版してるほど文才も豊かだし、作曲家🎼としては最近ミュージカル「星の王子様」を完成したばかり。 船や飛行機の免許も持ってたりするし、、、とにかく彼のそばにいてその強烈な生命力と猛スピードな頭の回転を感じるだけで、私は刺激受けまくりなのである
②パリ
エネルギッシュな2人とバイバイした後は、パリへ🚄。
2日間の滞在中最初の日は、最近仲良くさせてもらっているクラリネット奏者で指揮者のポール・メイエに会う予定をしていたのだが、ポールから電話が。
「ごめん!家庭の事情で今急遽ニースにいるのよ。いつまでパリにいる?」
「ん?私は水曜日の朝の飛行機でオランダに帰るよ。」
「それなら僕は火曜日の午後の飛行機でパリに戻るから、火曜日の夜に会おう!」
しかし火曜日の夜、私は演奏会を聴きに行く予定を組んでいたのだけれど。。
とは流石に言えなかった、いやはや(笑)💦
ちなみにポールは18歳の(いや、もっと若かったかも?)時に、とある放送局主催のコンクールで優勝したのがきっかけで世界的に有名になったらしいが、そのコンクールのファイナルでポールの伴奏をしたのが、なんと前述のフレデリックだった!しかもその同じコンクールのファイナルのピアノ部門で入賞したのが現在もポールと組んでるエリック・ルサージュなのだとか。音楽の世界は狭い。。。。
ポールがよく共演をするピアニストの中にフランク・ブラレイという方がいる。パリ滞在2日目は、そのブラレイ門下生の1人で、今や押しも押されぬ大人気の日本人ピアニスト、務川慧悟さん(以下ムカワくん)とワインを飲みに🍷
ムカワくん。なんというか...目を凝らしてじっと辛抱強く観察していると蜃気楼のようにぬらっと面白さが立ち上ってくる人だな、と思う。ピアノの才に加え文筆にも長けており最近は文芸誌に連載も始めたし、ワイン好きが高じて(!?)とうとうワインエキスパートの資格までゲットしてしまった 興味あるものに対してとても研究熱心な彼のことだから、次回会った時にはもう1つ2つ持っている資格が増えていたりするかもしれない。
ムカワくんと前回ワインバーに行った際に、開店時間から閉店時間まで6時間ぶっ通しで飲み続けた記憶があり(笑)今回は気をつけないとな、、、と、思っていたにもかかわらずまたやってしまった...6時間飲み ワインやら音楽やら文学やら、いろいろ楽しく話してるとどうしても閉店時間になってしまうのだなぁ、これが。
でも、私とてワイン好きとはいえ誰とでもこんなに長い間喋り続けたり出来るわけではなく、むしろ珍しいことなのだと付け加えておこう。
ムカワくんと
芸大の作曲科の中でも一番アカデミックな門下で学び、フランスの現代音楽の作曲家と結婚していた私は、フランスで暮らしていた20余年間、いやそれ以前も、殆ど現代音楽の作曲家、演奏家達や現代芸術好きな人達のみに囲まれて暮らしていた。
それはある意味とても恵まれた環境であった。思慮深く教養豊かな方々と音楽や芸術全般や哲学、政治や宗教や歴史の話で盛り上がるのはエキサイティングで、さまざまな新しい発見に満ちた豊かな時間だったし、今もそんなひと時を大切にしている。
そして何よりも私は、音楽を通じて人類の未知の分野を開拓する人、世の無理解に屈することなく信念を持って自分自身と音楽界を常に刷新し続けてゆける創造性を持った人に、心からの敬意を抱く。最先端の作曲家ってやっぱりどう考えても一番すごい存在だと思う⭐️。
レバノン系イギリス人作曲家、ブシュラ・エル=チュルクと
オーケストラリハーサルの様子
ただし、、、
指揮者としての活動の規模が大きくになるにつれ、新作の初演と並行して、何世紀も前に作曲された史上の傑作の演奏を通じて目の前にいる聴衆と「今」「この瞬間に」感動を分かち合うことの素晴らしさや大切さも日々痛感しているわけで。。。
現代音楽の関係者の中には、多くの「推し活」ファンに囲まれメディアにも頻出し富や名声をほしいままにするスター音楽家に対して「大衆に迎合した」などと軽蔑的な視線を送る人がいる。また一方で、クラシック音楽ファンの中には「ゲンダイオンガクは難しすぎてわけがわからない。」と毛嫌いする人が少なからずいる。
双方をこよなく愛する私としては、両者の間に生まれる「相容れない空気」を感じて途方に暮れるし、また「相容れない聴衆」を前にしての一音楽家としてのバランスの取れた在り方或いは発信の仕方についても色々と考えさせられる。
実力とずば抜けた芸術性で今を生きる多くの人達の心を掴み、夢や希望を与えている若きムカワくんのような存在を、私は眩しく思う。技巧に優れ音は美しいが、作曲家への敬意、解釈の強い意図や作品に対する心からの共感などが全く伝わって来ず一度聞いたらすぐに忘れてしまう演奏も少なからずある中、ムカワくんの演奏は私の心に沁み入り、何度も聴きたいと思える。これから彼がどのような深化、成熟を遂げてゆくのか楽しみに見守りたいし。まあ...そのうちどこかで一緒に音楽できれば、と願いつつ私もコツコツ魂を磨き続けるよ、偉大な「飲み友達🍷」さん!
③クレルモン=フェラン
パリを一旦後にし、次は特急列車に3時間半揺られ、中部山岳地帯オーヴェルニュ地方のクレルモン=フェラン市へ。
メインの目的は病院での聴力検査。だったハズなのに、、、
肝心のクレルモン=フェラン大学病院はストライキにつき診察中止
代わりの診察日の指定も説明も一切無し!さすがはフランス🇫🇷
昨年の11月頃、東京滞在中に突然片耳が詰まって聞こえにくくなった。仕事を続けながらあちこちの病院で診てもらいMRI検査まで受けたが、全く原因がわからない。結局年が明けてしばらくしたら突然治ったので、今回ストのせいで検査が出来なくても大して問題にはならなかったのであるが。
耳の様子がおかしかった時期は、不安を抱えつつも、難聴に苦しんで遺書まで認めたベートーヴェンの事を沢山想った。私如きの小音楽家ですら、聴きたいのに聴こえないストレスや悲しみは相当なものなのだから、大ベートーヴェンの絶望感は想像するに余りある。作曲をしたり譜面を静かに読んでいる時、我々は自己の内部から聞こえてくる音を聞き取っているわけで、これはよく考えてみれば「耳という器官を通して空気の振動を音として感知する」作業とは全く違う。ベートーヴェンはこの「内的な耳」で神の声を聞き取りあのような人類の心を震わせる作品群を完成させたのに、その偉大な音楽ですら彼の鼓膜を震わせることは出来なかったのだなあ、と思うと切ない。
まあ、それは置いといて...
クレルモン=フェラン来訪の第二の目的は、私が2024年から無期限(笑)で音楽・芸術監督を務めることとなったドーム交響楽団の定例会議に出席するため。
昨年の秋、私の芸術監督就任に伴い事務局長を募集することになり、SNSなどに公募の掲示を出した。そうしたら、すかさず前述のポール・メイエから電話が。
「僕はピッタリの人材を知ってる!絶対にキミとも上手くやっていけると思う。」
ポールお墨付きのその若い女性は、ポールとエリック・ルサージュとエマニュエル・パユが30年ほど前から毎夏南仏で開催している室内楽音楽祭のプロダクション・スタッフ。今夏から婚約者と共にオーヴェルニュ地方に引っ越すので現地での仕事を探していたのだとか。何たる絶妙なタイミング!
とはいえ、友人の推薦者だからと言う理由で採用し、オーケストラ内に不和が生じたりすると良くないので、私は審査にあまり積極的に関与せず傍観。最終審査に残った3名の候補者の面接試験の進行は、オーケストラの会長と書記を務めるミシュランの幹部お二方に任せることにしたのだが、2人とも声を揃えて、彼女が一番適任だと言う。
結局すんなりとポールお墨付きの彼女が事務局長に就任することとなった。
その新事務局長オルタンスとこれから長期的にタッグを組んでオーケストラの運営をしてゆく準備を整えるべく、今回の定例会議では来シーズンからの新体制スタートに向けての大事な話し合いがまとめて行われた。
ドーム交響楽団事務局長のオルタンスと
ところで、、、
「指揮者ってどういう仕事?」と訊かれたら、皆さんはどんな事を思い浮かべるだろうか?礼服を着て指揮台の上で聴衆の万雷の拍手をかっさらうリーダー?
一般的に若者が指揮者になりたいと思ったら、まずはどこかの音楽大学の指揮科に入学して楽譜の読み方や指揮の振り方を先生方にみっちり教わることから始める。その後優秀な者や幸運な者は留学し、国際コンクールなどで注目され一気にスターダムにのし上がったりする、、、まあ大体そんなキャリアを歩む者が一番目立つから「これぞ指揮者の王道!」のように報じられ、世間一般に蔓延る指揮者のイメージのもとになる。
が、しかし指揮者というのは作曲家や演奏家とは少し違い「音楽の能力だけ持っていたところで充分ではない」という状況下での任務が沢山あったりする。要するに音楽大学では一切教わらない組織運営や経営の手腕、広い一般教養、コミュニケーション能力、説得力など、会社の社長や政治家などに必要とされるスキルも持っていなければならない。世の中には「指揮台の上に立っていさえすれば、後のことは全部他の人が引き受けてくれる」というような立場の指揮者もきっといるのだろうが、私のような地方オーケストラの芸術監督にとってそれは夢のまた夢である
合唱指揮者の両親の元で生まれた私は、おそらく生まれる前から音楽に親しんでいたと思われる。2歳ごろからピアノも弾き始め、その流れで両親の手伝いがてら合唱団やミュージカルの舞台やテレビ、ラジオ番組で歌ったり、ピアノ伴奏したり、作曲や編曲をしたり、とにかく音楽に関する色んな事を日常的に嗜み、楽しんでいた。
パリに渡りフランス人作曲家と結婚したことで、日常は益々音楽一色になった。フランスではまずピアニストとして活動していたので、各地での違ったニーズに合わせての演奏会、さまざまな編成の伴奏、数知れない初見演奏、CD録音、時には合唱指導などもし、指揮を始めてからは現代アンサンブルの新設、とにかく沢山の新作初演の指揮、そして歌劇場の丁稚小僧こと副指揮者としての勤務。。。
その後頼まれてインドネシアに建国史上初のユースオーケストラを立ち上げ、この辺りから西欧クラシック音楽以外にも世界にごまんとある「音楽」の多様性、それからイスラム圏からみた西欧社会の在り方についても真剣に考え始めた。
20年住んだフランスを離れオランダに住み始めてから、まず現代音楽のスタイルの違いに驚いた。パリで携わった現代作品とは全く違う、もう少し自由な観点から描かれた音の世界。「現代音楽」のコンセプトひとつ取っても、国を変えただけでこんなに違うものなのか!と自分の視野の狭さを痛感する良い契機となった。
この頃から、以前より好きだったジャズに加えハードロックや民族音楽などの面白さにも目覚め、クラシックの演奏会における民族楽器奏者達とのコラボなどにも関わるように。コラボは純粋に芸術的な要求から成るものもあれば、演奏会を開催する街や国が抱える移民問題や人種差別などへのメッセージが込められた企画もある。
そんなこんなしているうちに、気づけばフランスの田舎のオーケストラの監督もやることになってしまった。こちらはまた全然違うミッションである。地方自治体との関わりや教育機関との提携、街の文化推進など、フランスで最も開発の遅れた...でもそれ故に美しい自然と肥沃な大地に囲まれたオーヴェルニュ地方で今後時間をかけて実現すべきことは結構多いのである。
定例会議でのポンポン飛び交う発言や新しい提案の数々、みんなの生き生きした様子に、今年で創立41年目を迎えたこのオーケストラにかける夢や期待や、地方の人々から愛されてきた歴史などがふわっと垣間見え、まだまだこのオーケストラには未来があると確信した。。。お金は無いし色々大変、なのではあるが(笑)。
④再びパリ
オランダに戻る前にもう1日だけパリに滞在。そもそもは私が代表を務める日仏現代音楽協会が後援する演奏会を聴きにゆく約束をしていたからである。
が、前述の通りポールがニースからわざわざ帰ってくるので、そちらを優先することになり、演奏会の代わりにゲネプロを聴かせてもらいに行った。
最近創設された現代音楽アンサンブル「アンサンブル・エクト」による、世界中で大活躍の日本人作曲家坂田直樹さん(以下直樹くん)の個展。私はあいにくこの日のために書かれた新作のリハーサルにしか立ち会えなかったが、作品も演奏も指揮も大変素晴らしく、若いパワーと才能に大いなる刺激を受けた。
直樹くんと。ムカワくんも写ってる(笑)
実は私、まだ直樹くんがパリ音楽院の学生だった頃に2度ほど作品を指揮したことがあり、新作のリハーサルを聴きながら学生時代の直樹くんの曲の面影をそこかしこに感じて微笑ましい気持ちになった。もちろん新作は学生時代の作品とは比べ物にならない程細密に追究されていて、所々ゾクっとするような面白い響きやアイディアが聞こえてくる。直樹くんの作品は「素材を展開できるギリギリ限界まで展開し切る」感じが私にはあって、その限界見極めのセンスと創造性が凄いなあ、と思う。
今後の益々の創作活動の展開が楽しみな直樹くん。
今回の新作も、そのうち日本で演奏される機会があると良いのにな。
演奏会場をあとにして、ポールに会いにゆく。
ポールに最初に会ったのは2016年。前述の私の親友ジュリーに連れられて、ジュリーの友人が監督を務めるフランスのフォレ音楽祭でのポールの演奏会を聴きに行った。その時は軽く挨拶をした程度だったが、その後2023年に兵庫県芸術文化センター管の演奏会で予定外の共演をして以来、失礼を承知で言えば、何というか...親戚のおじさんっぽい感じで(笑)じわっと仲良しになった。
2016年。ポールの左にジュリー。中央にアコーディオン奏者のパスカル・コンテ、私の左にフォレ音楽祭監督のブリュノ・オリー=ラヴォレ
私は以前パリ音楽院のトランペット科の伴奏助手を5年間勤めていたのだが、ポールの義兄(お姉さんの旦那さん)が、元パリ管の首席トランペット奏者兼作曲家で私と共通の知り合いだらけな事が判明。そのお義兄さんの作品を昨夏私が水戸で指揮したり、パリ音楽院のクラリネット科の入試用初見曲を私が作曲することになった時は、ポールが実際に初見で吹いて添削してくれたり、前述のドーム交響楽団の事務局長募集の際には良い人材を紹介してもらったり、、、考えてみれば、めちゃくちゃお世話になっているなあ!
2023年
まあ大体会う時は、カフェでビール奢ってもらいながら長話をするのだが、、、
今回はなんと、ご夫妻にお宅にご招待いただき、ポールの手料理までご馳走になってしまった(実は料理男子だった)!
以前から奥さんや息子さん達の話はよく聞いていたが、お会いするのは初めて。栄養療法士の奥さんはフランスに帰化したイラン人。とても気さくでナチュラル、でも豪快に笑う(笑)素敵な方で、すっかり仲良しになった。ここ数年私は中東出身の作曲家や伝統楽器奏者達とコラボする機会が多いので、最近初演したオペラの話なんかも色々した。次回は私が日本食を作る会を希望、とのこと(笑)。
「音楽についてはよくわからないから〜」と、奥さんが先に寝てしまってからは、ポールとの音楽議論が炸裂💥
私は2023年に初めてポールと一緒にリハーサルした時から、なぜだかわからんが彼には一切遠慮せず言いたい放題で、それに対してポールも結構辛辣に返してくるから、私はこの会話を毎回楽しみにしているのだ。
なぜ言いたい放題になれるかというと、ポールがちゃんと「聞いて理解し受け止め、それに対して返す」からなのだと思う。これは、ある意味優れた室内楽奏者の在り方を示されてるようで、私は彼との会話を通じて間接的に演奏の勉強もさせてもらっている気がする。
この日も、音楽業界、音楽ビジネスの話からアルゲリッチ、ヨーヨー・マ、ブーレーズ、ペンデレツキ、デュティユー、スターン、ロストロポーヴィッチ等色んな方々との思い出話をお互いにし、何故管弦楽という編成が生まれたのか、オーケストラについての考察、クラリネットの色々、西洋音楽の特質、日本人音楽家に対して感じること、現代作品について、指揮者について、ソリストの大変さについて、、、色んな話に花が咲き、楽しかった!
生ける伝説のようなクラリネット奏者なのに、とてもシンプルで自然体なポール。音楽家としては足元にも及ばないが、少なくとも人として私も見習わねば、と思う。
あと、友情に厚く絶対に信頼を裏切らないところも。
夜中過ぎまで夢中で喋り続け、ふと時計を見たらすでに終電が無くなってた!
Uber呼んでもらって慌ててホテルに帰るも、ろくに寝る暇無いまま早朝のドゴール空港へ🛩 バタバタとフランスを去り、やっとこさスキポール空港に着いてみると...
なんと!まさかのロストバゲージ
結局スーツケースはドゴール空港で迷子になっているところを発見され、翌日無事にハーグの自宅まで届けられたが、最後までハラハラドキドキな旅であった💦
「出会いと必然」
「一見何の関係ないように見える出会いが、実は年月が経ってみると全て繋がっていた。」
これが今回のフランス旅行のテーマだったように思う。
人の縁とは全くもって奇なものであると感嘆せずにはいられないし、そんな不思議な人の繋がりが、人生を思わぬ場所へと導いてくれるのだと信じてやまない。
みなさんも同じようにお感じだろうか?
一見なんの脈絡もロジックもない「カオス」な状態から、少しずつ規則性や論理が見出され、最終的に解像され筋の通った一つの構造となって姿を表す。
その「プロセス」自体が、人生の醍醐味、なんですよね〜〜〜
いやぁ〜、面白いわ!!!
フランスで過ごした1週間のあまりの濃さゆえ、飛行機の中でも帰宅してからも膨大な情報を処理しきれず、私の脳内はバグった
まま。このままでは勉強に集中できないので、「文章化すれば多少はアタマがすっきりするかも」と思い、この長大な「解像ブログ」をまとめた次第。ここまで根気よくお付き合い下さった勇気ある方には、心より御礼を申し上げねばなりますまい。。。
さてさて、、、
少しアタマも軽くなり心身のバランスも整ったので再び勉強&作曲を再開しよう!
来週からはしばらく東京滞在。初夏の日本は過ごしやすそうで楽しみ
東京での新たなカオス突入に向けて、準備開始!!