2025年は、一言で言えば「駆け抜けた
」1年でした。
空港内を猛ダッシュして、ギリギリセーフでトランジット便に飛び乗ったり、
長距離フライトで成田空港に着いたその足で、スーツケース転がしながらバスと電車を乗り継いでリハーサル会場やゲネプロ会場へ向かったり、
物理的に「駆け抜けた
」のはもちろんのこと、
ぎっちぎち
で余裕の無いスケジュールの中、それぞれの演奏会に向けての勉強と終演後の体力回復に、例年以上のスピードアップと効率化が求められた、、、そんな1年。
言い換えれば、信じられない程充実した日々だった、という事ですね。
至らぬ点を猛省しつつも、たった12ヶ月の間に様々な得難い経験をするチャンスを頂けた幸運に、そしてお世話になった全ての方々に、ひたすら感謝の気持ちでいっぱいです。
フライト中に見た夕日
今年はやたらと「デビュー」の多い年でもありました。
オランダ国立歌劇場、Muziekgebouw aan't IJ、日生劇場、新国立劇場、ヘルシンキ国立歌劇場、バービカンセンター、Tivoli Vredenburg, De Doelen, Amare Den Haag...
各国の錚々たる劇場のステージに立たせていただき、それぞれのホールの音響や聴衆の皆さんの反応を肌で感じることが出来たのは幸せでしたし、とても励みになりました。
新国立劇場
バービカンセンター
年中が「ハイライト」だったと言ってもおかしくないような2025年でしたが、私にとって特に強烈だった体験ランキングNo.1は、何と言っても、、、
「自作のオルガン協奏曲"風の睦び"を自らの指揮で世界初演したこと。
しかもオルガンを弾いてくれたのが、芸大作曲科の同級生だったこと。」
初演時の写真 (写真 藤本史昭)
東京芸大附属高と東京芸大の作曲科で学んだ私ですが、実は...卒業後間も無くフランス人の作曲家との結婚をきっかけに「作曲」を封印していたんですよ、、、20年間。
というのも、、、
旦那さんの仕事ぶりを毎日間近で観察していて、只々圧倒されちゃいましてね。。。
とにかく、、
ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと![]()
書いている。朝も、昼も、夜も。
一度に数作を並行して書いている。
四六時中作曲のことばかり考えている。
現代音楽の作曲家として自活するには、(特に若い頃には)沢山の作品をスピーディーに書き上げねばなりませんから、まあ当然といえば当然なのかもしれませんが、、、
「す、すごいっ!!!!私には絶対にこんなコトは出来ない!!!」
って、当時の(23歳くらいの(笑))私は思ったものです。
昔から「人類の存続にとって創作行為は最も重要なものの一つ」と考えている私にとって「作曲家」とはこの世で一番偉大な存在。
そんな尊敬する作曲家達の創作活動を、演奏家としてサポート出来ればなあ、と思ったのがそもそも私が指揮を始めたきっかけでした。
で、気づけばもう200作以上の新作の世界初演の指揮をしていました。
「自分で創作をする」という発想は一切無かった。頭の中で鳴り続ける音の断片や、湧き上がってくる音楽的アイディアは昔からあったのですが、歴史的な傑作を指揮する機会が増え、各国の素晴らしい現存の作曲家達との関わりが深まるにつれて「私のような者が作曲をするなんておこがましいよなぁ」と思うようになっていました。
そんなわけで... 横浜みなとみらいホールさんからの新作オルガン協奏曲の作曲委嘱は、私にとって全くの「青天の霹靂」だった、と。![]()
いただいたチャンスと信頼に感謝して、お引き受けはしましたが、、、
「世には優れた作曲家が沢山いるのに、何故この私に依頼が?」
「果たして指揮のスケジュールの合間を縫って曲が書けるのか?
と、自問自答する日々。
今までに新作の世界初演の指揮を経験して来ましたから、初演の際に起こり得る様々な現場事情がよくわかるのですよ。
わかるから、なおさら色々と気を遣ってしまう。
委嘱主の意向、演奏会の主旨、どのような聴衆に向けられたものであるのか、演奏するオーケストラの諸都合、会場の音響、ソリストの特性、ソロ楽器の特性、スケジュールの時間配分、他のプログラムとの兼ね合い...
などといった状況を全て鑑みた上で、
沢山の団体や関係者の方々の努力やサポートのおかげで開催される演奏会を、限られたリハーサル日程内で何とか成功に導かねば。。。
そのためには一体どのような方向性で曲を書き進めれば良いのか?
最初に判断を誤り、途中で方向転換せざるを得なくなったとしても、私には最初から書き直す時間は無いもんなあ。だから絶対に判断を間違えらないよなあ。。
自分の作品を発表する貴重な機会をいただいた喜びに舞い上がる、というよりは、重責を引き受けてしまったプレッシャーに「どないしよう😱」と内心ドキドキしていたのでした。
とはいえ、創作する作業自体は苦しくとも楽しいものです。
「どうやって曲を思いつくの?」と時々質問されたりしますが、私自身にも実はよくわからないのですよ。なんにせよ、自己の内部から「音で出来た抽象的な生き物」が生まれるのはとても神秘的な出来事であります。しかも一度その生き物が「にょろん」と生まれ出てしまうと、それはもはや作り手の私から離れて独立した個体なのです。作曲後は、何というか「私の身体を何かが通り抜けて行った」みたいな感じになりますね。ドッと疲れて抜け殻のようになるし。もしかして霊能者が自分の身体に霊を憑依させた後の感覚と似てるのかしら、とも思ってみたり(笑)。
それはさておき...
横浜みなとみらいホールからの委嘱、ということで、、、
まず私は、横浜市の歴史をくまなく調べたり、横浜周辺を描いた東海道五十三次などの版画を沢山観たり、オルガンソロを務める近藤岳さんから、ホールが誇るパイプオルガン「ルーシー」の詳細な説明を受けたり、といった、作曲をするにあたっての必要知識のインプットから始めました。
そうしているうちに、ふと
「"みなとみらい"だから「ミ」の音を基に作曲すればいいじゃないか!」と迷案がひらめきまして(笑)、
3楽章仕立ての作品の1楽章冒頭、2楽章の最後の低音をそれぞれ「ミ」の音に、3楽章の最後の和音をミの長3和音にしました。で、1楽章、3楽章には、そこはかとなく「ホ長調」の響きが漂うように、2楽章は律旋法の響きがするように配慮。
さらには、
1楽章の冒頭では、オルガンソロによって「風のテーマ」が提示されるのですが、このテーマは、日本の陽旋法(長二度+短三度)と隠旋法(短二度+長三度)を横並びに繋げたもので構成されています。2楽章の雅楽的な響きが、その他の楽章と違和感なく調和する方法を模索しているうちにふと思いつきました。
「風のテーマ」のような「音程関係そのものをモチーフとする」書法は、実は同じ演奏会で上演されるドビュッシー の交響詩「海」の中でも用いられており、私の大好きな作曲家ドビュッシーへのささやかなオマージュ、という意味合いも含まれていたりします。
近藤岳さんとオルガン「ルーシー」 (写真 藤本史昭)
オルガンを担当される近藤岳さんは、大学時代とても仲良しだった作曲科の優秀な同級生。
近藤さんの才能と絶妙なセンス、ルーシーの多面的な魅力を存分に活かすためにはどうすれば良いのか?
さらには、オーケストラとオルガンの関係性や両者のバランスのコントラストを妙を上手く引き出す方法は?
などなど、実際に譜面を書き始める前に、かなりの考察を重ねました。
そして最終的に、
オルガンの邦訳が「風琴」であることに端を発し、時代と共に刻々と移り変わる「横浜の地」をオーケストラに、その様子を太古から見守り続ける「風」をオルガンにそれぞれ見立て、両者の「睦び(交流、交遊)」の姿をクロノロジカルな3章仕立てで描いてみるのはどうかな、という考えに至り、とりあえずそちらの方向で書き進める形に落ち着きました。
歌川広重 「神奈川台之景」
3つの異なる性格の楽章の構成は、以下の通り。
1楽章 「薫風」
太古の武蔵の地の上空を春風に乗って舞い踊る無数の花弁。一体化する自然の風景。
「風のテーマ」の提示。
オルガンとオーケストラの融和性の追求。
2楽章 「凪」
歌川広重の版画「神奈川台之景」(東海道五十三次の「神奈川宿」を描いたもの)からインスピレーションを得た、江戸時代の宿屋町と人々の営みの様子。
オルガンは笙の役割を担い、西洋の管弦楽によって再現される雅楽の響きが展開される。
3楽章 「風雲」
ペリー来航後に横浜港が開港し、急激な近現代化を遂げる横浜の街。
船の汽笛、車のクラクション、警官の警笛、中華街のドラ、祭囃子など、都会の喧騒を表すオーケストラと、オルガンの即興演奏との組み合わせ。
(オルガニストって皆さん大変優れた即興演奏家でもあるんですよね。なので近藤さんにも、私の方で提示したいくつかのモチーフを用いた即興をお願いしました。)
冒頭で超絶技巧な即興演奏を披露したオルガンは、その後嵐を起こす風神雷神と化し、最後は「風のテーマ」が再び現れ、トゥッティの大団円、となります。
バービカンセンターでの本番の合間にもホテルで作曲
まあ、こんな風に膨らみ続けた私の'妄想'は、リハーサル初日の2週間前にようやく作品として完成。関係者の皆様、遅くなって大変申し訳ありませんでした![]()
ギリギリに仕上がったにもかかわらず、文句ひとつ言わずに一生懸命演奏してくださった神奈川フィルハーモニー管弦楽団さん、優れた感性と作品理解による適切な音色選び、そして誰もがぶっ飛ぶような凄まじい即興を披露して下さった近藤さんには、感謝してもし足りません。![]()
みなとみらいホールのスタッフの皆様、新井歐子館長、神奈川フィルのスタッフの皆様、ハッスルコピーのスタッフの皆様、マネージャーの船橋様ほか、大変お世話になった全ての方々に心より御礼を申し上げます。
初演時の写真 (写真 藤本史昭)
終演(30年ぶりの共演(笑))後、近藤さんと
久しぶりに管弦楽作品を書いてみて思ったのは、、、
その1、
楽器奏者や声楽家が毎日毎日練習をするように、作曲家も「書く」練習を続ける必要がある、ということ。封印していた月日が長かった私の筆力は完全に錆び付いていて、予想以上に苦労しましたし、「訓練」を怠っていた自分を深く反省しました。
その2、
やはり「作曲家」は偉大だ、ということ。生涯を通じて深化し続け、多くの人に感動や勇気を与えられる演奏家を目指して積み重ねる鍛錬は並大抵のものではない。しかしながら演奏家は作曲家の遺した作品を解釈、理解し、そこから受け取ったメッセージを聴衆に伝えているに過ぎない。つまりは「他人の土俵を借りて自己表現している」のだ、ということを自覚し、作品に対して常に謙虚であり続けねばならない。
作曲の経験は、私にとって指揮者としてのあり方を見つめ直す良い勉強になりました。
その3、
指揮者として歴史上の傑作をじっくり研究し、演奏出来るのはこの上ない喜びです。が、やはり「自ら創作することでしか凝視出来ない自己の内部」というのがありますね。今回作曲をしながら、私は弱くちっぽけな自分とじっくり向き合いました。それは辛く苦しい時間でしたが、同時に豊穣な時間でもありました。
音楽家としての更なる高みを目指すためには、創作活動をやめてしまってはいけないな、と痛感した次第。
色々と豊かな経験をさせていただいたありがたい1年でしたが、その分反省材料もたっぷり。年末年始にかけて、身体と心を休めつつじっくりと見直しをして、新しい年にむけて備えたいな、と思います。
どうぞ皆様も健やかな良い年末年始をお過ごしくださいませ!
今年もお世話になり、ありがとうございました![]()











