『平和と俳句と。』 | ハイテク・アニミズム

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ハイテク・アニミズム(日本の縄文文化と先端技術の融合)。
---自給自足を基本にした関係(コミュニティ)革命の波動の繋がりを、具体化することです。(一般社団法人)日本里山協会に所属しています。

『平和と俳句と。』
              

(はじめに)
 先の「戦中、戦後とは何か」に継続して、平和と俳句について連動したものだから、
厚かましいお願いだが気分の連動も願いたい。 (これで、俳句試論は終わり)
 
 四季ありし日本の自然他になし 土井としき

「平和とは何か」

 平和の反語は、戦争ではない。平和とは、戦争でない状態を意味する。知識人が力
を弱め、「棲み分け世界」が、これからの人類の生きる道だろう。

 「資本主義は市場経済の発展形でも完成形でもなく、市場経済が植民地的に変質・
堕落してしまった形態」という視点から、「米中同時没落が指し示す、棲ませ分けの
世界から棲み分けの世界への明るい展望」へ向けての基礎として、平和を考える機会
を得た。

 これからの日本は、サービス産業(第三次産業)への構造転換が出来れば、現場第一
主義、大衆が力強い国に成りそうである。
 
 明治から、特に戦後の吉田茂の昭和天皇の戦犯逃れ、天皇制維持しかなく、国民
生命や生活を守る考慮が無かった。つまり、GHQの属国になり果てた日本の馬鹿な
エリートに通用したのだ。

 「江戸時代の官僚は、気象事故(天災)で食べ物を即時に届けた。飢饉(セィフティ
ネット)に学ぶべし」だ。…磯田道史氏。「医師にも大病院の勤務医や大学医学部の
研究者ばかりではなく、町医者が必要なように、歴史家にも町史家が必要だ」が
持論。立派な主張だ。新刊『徳川がつくった先進国日本』(文春文庫)。

「平和で棲み分ける、雇用開発の前提と給与の原則」

 次の覇権交代は同じ投資主導の工業経済の枠組みの中での交代ではなく、工業経済
から消費主導のサービス経済へのパラダイム転換をともなう覇権交代だ。消費主導の
サービス経済では、投資主導の工業経済の時代には非常に重要だった大富豪・超富豪
によるエリート主義的な投資決断の重要度は大幅に減少し、広範な大衆の消費判断が
決定的に重要になる。だからこそ、先進諸国でいちばん、小金持ちの人数に対して大
富豪・超富豪の人数が少ない日本が次の経済覇権を握るのだ(増田悦佐)。

 ●給与の原則(試案)

(雇用開発の前提) 
 平和で棲み分けるために、エリートではない大衆が持続的に収益を維持できるビジネ
スモデルは、「第三次産業」の80%に近づいた従事者が重要だ。これらのサービス業とは、
卸売り、小売り、不動産、金融、保険、交通、医療保健、介護、余暇接客、維持補修、興業、教育、
法律、会計などの分野だ。

 これらの分野こそが、「平和で棲み分ける」セイフテイ・ネットの対象でもあり、独占
に対する福祉の平等の実現であり、自己責任の問題ではない。
 私の考えでは、保育士と介護士の施設は全て社会助成を受けて無料無償になること。
保育士と、介護の医師・あ介護士と看護士は職業として、その時代の社会の最上の給与を
支給されのでなければならないことだ。それなしには他の事は授受不可能だ。
 これらの分野こそが、セイフテイ・ネットの対象でもあり、独占に対する福祉の平等の
実現であり「自己責任」の問題ではない。

(支給される給与の原則)
①男女同賃金であることを、下記の三つの要素に合わせて原則とすること。
②学歴(職歴)、勤務年数、扶養家族の三つは、それぞれ同一であれば平等に同一給与を支払うこと。また、学歴(職歴)、勤務年数が同一でない場合は数が多いほど多く払われること。能力、能率、勤勉の差異は上の三つの要素に関して一切加味されないこと。
③職場の責任者の場合からの、能力差、勤勉差、人間としての好き嫌いの差で支払う時は、上司は②の三要素以外の給与で差をつけること。これについて、給与を受ける側は一切異論を申し立てないこと。同様に②について職場の責任者の介入は許されないことだ。

 ●「憲法改正試案」(試案)

 「憲法改正」とは、本来、憲法は国民投票によって承認されたものしか「改正」はあり得ない。

1. 憲法9条の(1)(2)項の復元
--(3)項の新設
③前項の理念を達成するために、参加している国際機関を通じて、具体的な非武装・非戦の提唱を積極的にすすめる。

2. 国民主権の第3条の新設
--(続主権の行使)国民が直接主権を行使することが必要と認めた場合、過半数の署名を集めて、無記名直接の国民投票を行い、主権者の半数以上の賛成票決により、リコールすることができる(国民投票が可能になる)。

3. 天皇制の定義の修正、新設
--「天皇は国民の統合の象徴」という、「統合」という抽象的なものから、今上天皇が、生前退位を積極的にすすめている。
※象徴天皇とは「国民の為」と明確化された。
※天皇の国事行為や、皇室典範は簡略化することを重視することが当たり前だ。

 一人の日本国籍の民衆という立場から、これ以上のイメージは、居心地の悪さと、嘘っ
ぽさを感じる。

「質の良い生活とは何か」(渡辺京二の本を参照)

 今は平穏で平和な社会に思われがちだけど、今の不思議な時期に、こころの精神の問題をかいくぐっていくには、相当難しい時代だ。こういう危うさをかわしていくには、孤独の問題が出てくる時期でもある。普通の大衆も「一能一芸」を極めて孤独に耐えきれないといけないのだ。俳句も当てはまる。
①暮らしている街なり村ならの景観が美しく親和的(質)であること。
②情愛を通わすことの出来る仲間(共同体相互扶助の再現)がいること。
③人は生きている間、出来る限り(サービスの質)良い物を創ること。

「国民国家から、民衆世界の自立は可能か」

 民衆の自立を共同体に直結出来ないのは、ムラ共同体ではなく、セィフティネット(滑り止め)のようなものだ。この外的な枠組のは外に、民衆の心性、生活習慣、伝統に根ざす共同があるのだ。
 坂口安吾は「政治は実際の福利に即して漸進すべきものであり、完璧とか絶対とか永遠性ものはない」から党派に走るのは無意味だと言う。また、「何故にかかる愚が幾度も繰返さるるかと云えば、先ず『人間は生活すべし』という根本の生活意識、態度が確立されておらぬからだ。政党などに走る前に、必ず生活し、自我というものを見つめ、自分が何を欲し、何を愛し、何を悲しむか、よく見究めることが必要だ」と述べる。つまり、自立した民衆とは、自分が何を欲し、何を愛し、何を悲しむか、よく知っていて、その事の上成り立っている世界なのだ。だから、「近代」に悩むのだ。

 世界は自分のもの、仲間と自分が、伝統や習慣に助けられてつくるとしても、その奴隷になるので無く、それ等を活用して自らが生きることを自分で決めることだ。

 従って、ここでは、「欧米近代」の国民国家のエリート支配者の「棲ませ分け世界」から、大衆が主体の「棲み分け世界」の対象像を、増田悦佐(えつすけ)氏作成の表を紹介するに留める。

(注)棲み分けの「権力構造=無責任体質」とは、変な役に立たない政策を出さない無責任という意味だ。

 戦後の政治家の政策で役に立った者は居ない。政策の無責任とは、戦後の政府の政策で成功したものがない、という積極的な意味だと付記する。池田勇人の「貧乏人は麦飯を食え」という、金融の流れだけ管理した内閣だけが例外だった。

 今後は、世界で唯一の経常収支国として、日本人の送る生活とは「質の内容」が問われるだろう。

 資本主義を超える為には、アダム・スミスの「寡占を廃した市場合理化」の歌に戻ることだろう。中小民間会社や個人の利益の配分が大衆化されざるを得ないからだ。日本国憲法の、主権在民、戦争放棄、基本的人権は崩壊している。繰り返すが、国民国家を崩壊しなければ、エリートの支配する政治権力の巧妙な巧まれた体型である「立法や行政支配」から、大衆の自由な「質の良い生活」は味わえない。

「俳句の背景とは」 

 日本は、縄文前から世界一の文明国だった。石器は研磨で世界初だ。共同体相互扶助の再現が縄文の遺伝子(直感)なのだ。
出雲大社にある縄文時代の礎石から、現代のゼネコンは復元図を描いたが、今の技術では建築不可能だと言う。

 俳句の歴史も、無文字文化の縄文の「こころと身体」からの遺伝子が生きていることを忘れてはならないだろう。
 また、弥生からの天皇制も、国民のための、生前退位という「象徴天皇制」の定義がなされたのは、俳句にも大事だ。

 折口信夫は、「類似点を直観する傾向と、咄嗟に差異点を感じる」二つの作用で異文化理解出来るのは日本人だけ、と言い「実感の科学」と述べている。これは価値観の哲学とも言える。

 日本文化の新石器、縄文の「場所(自然)に意思がある」という、他文化の融合の精神の働きは、無意識に絶えることない歴史が健在。今後は、欧米の凋落であり、日本の時代が来ることになる。

 人生や周行リズム新しき  土井としき