妄想批評 ~広告・映画・デザイン・経済の妄想記録~ -3ページ目

男と女と需要と供給

この齢(28歳)になると、男に生まれてよかったなぁと思うことが多いんです。
というのも、世の中的には、結婚適齢期と言われるような年齢で、結婚の話が話題になることが多いですが、同じくらいの女子と話していると、多くの女子がそろそろ結婚しなきゃと焦っているわけです。
自分が、「まだまだ焦る時期でもないでしょ」なんて言うと、決まって、「男子は30代になっても、需要があるからね~、いいよね~、私たちなんか30代になったら…」みたいな話になります。
こんな話を聞くたびに、「需要がある俺ってラッキー、男子サイコ―!」とか思ってたんですが、これが最近、よくよく考えてみると、これはこれで裏返してみると、男子には茨の道でもあるんじゃないかと思ったんです。これ、需要があるってのは、競争率が高いってことだと思うんです。
詳しく解説すると、自分の周りの女子が言うように、女子の「女として価値」が30歳以降、激減すると仮定すると、普通に考えて女子が結婚しだすのが、早いコが20歳くらいなので、20~29歳が需要のある女子たちと言えると思います。
一方、男子の「男として価値」が30歳以降も減少しないと仮定するならば、結婚(恋愛)のプレイヤーは、女子より多いことになります。さらに、例えば、40歳以上でもカネや権力などのスペックが高い人が若い20代の女性と結婚するなんてことも結構あることなので、20~39歳+α(=スペックによっては40歳以上)が需要のある男子たちということになります。
ってことは、これ、多くの男子で少ない女子を奪い合うってことで、ライバルが多くて、すげー頑張らないきゃいけないってことです。
基本的には、女子は選ぶ方で、男子は選ばれる方なんです。
うわー、これ、すげーやだわー。
だから、男子は、女子にオゴらなければならないし、優しくしないといけないんだなぁと思いました。
本当に、男に生まれてよかったんでしょうか。。。…

食欲と性欲

自分が好きな藤子・F・不二夫の漫画で『気楽に殺(や)ろうよ』っていう漫画があるんですが、これがすごいんですわ、設定が。
主人公が住む世界は、私たち(読者)の世界とはいろんな価値観が異なっているんです。
その中で、食欲と性欲を比較したものがあるんですが、その世界では、私たちの世界と違って、性欲より食欲の方が恥ずかしく、いかがわしい欲なんです。
種の保存と繁栄に必要不可欠な性欲は、公益的性格を持つが故に罪深いものではなく、むしろ個体の生存にのみ必要不可欠である食欲の方が独善的性格を持ち、罪深く恥ずかしいことであるという考え方が根底にあるからです。
だから、食事中に写真などがポルノになり、乱交パーティならぬ乱食パーティというものが存在するんです。

自分がこの漫画を読んでおもしろいと思ったのは、食欲と性欲というのは結構、並べてみるおもしろいなぁということなんです。
前述の一方は、公益的性格、もう一方は独善的性格っていう反するものもあれば似ているとこもあります。
例えば、どちらも強い快楽が伴います。
そして、その快楽は行為の副産物であるはずが、目的になってしまっているということです。
食欲は個体の生存、つまり、エネルギーを摂取しようとするための欲ですが、「おいしさ」という快楽が先行し、食事とは、おいしいものを食べることが目的のひとつとなってしまっています。
その証拠にエネルギーの低い食べ物を好んで食べたりするわけです。
性欲は種を繁栄させるため、子供をつくろうとするための欲ですが、セックスの快楽自体が目的のひとつとなっています。
だから、避妊具があるんですね。
副産物が目的化してしまう、これは神様も誤算だったでしょう。
そして、どちらも異端行為に走る人が出てくるんです。
マヨネーズをご飯にかけて食べたり、相手を縛ってセックスをしたりと。。。
これは、もともとの目的である個体の生存、種の繁栄には必要ない行為です。
けど、そういう必要ではないことをやってしまう。
いろいろ工夫して、さらに奥深い快楽を求めようとする。

ホント、人間て、すばらしい生き物だなぁ。。。

迷ったら、苦しい方に

迷ったら、笑える方に

これはテリー伊藤の言葉ですが、ここ最近の自分の気持ちは、

迷ったら、苦しい方に

俺は、なんて甘々なんだー!こんちくしょー!と思うことが今年に入って数回。
今年のテーマ変更。これにします。
早速今日、月曜日までに仕上げなければいけない資料が発生して、すげー疲れてたから、明日と休日でやろうかなーと迷ったけど、そこは踏みとどまって、今つくってるぜー!
気持ちいいぜー!

でも、この言葉は、そんな悪い言葉でもないように思えます。

世界で最もすばらしいビジネスモデル

この世には、様々なビジネスモデルがありますが、この世で一番すばらしいビジネスモデルがあるとすれば、それはいったいなんでしょうか?

自分はそれは「宝くじ」ではないかと思います。
なぜなら、確実に儲かるから。
コレ、宝くじを買わない人にはあまり知られていないんですが、宝くじの当選本数ってコントロールされているんですよ。
当たり前ですが、宝くじの当選金額は、全体の購入金額から賄われていて、その差額が胴元のもうけになるわけです。
つまり、胴元が損をする場合は、当選金額の総額(正確には、当選金額+宝くじの制作費などの諸経費を加えたもの)に、全体の購入金額が及ばなかった場合ですよね。
だから、胴元は当選金額の総額が全体の購入金額を超えないようにすればいいんです。
それは、どうやるかというと、宝くじ、主にジャンボ宝くじですが、ユニットという概念を用います。
宝くじの番号は「組」と「番号」に別れていますが、ジャンボ宝くじなどの場合、100000番から199999番までの10万通を1組として、01組から100組までの計1000万通を”1ユニット”として発売されます。
1ユニットごとに必ず1等の番号が入っているので、74ユニット販売された場合は、1等の番号が74個あることになります。
つまり、販売枚数に準じて当選本数が決まってくるのです。
ちなみに、宝くじの配当率は45%くらいと言われています。
他のギャンブルの配当率はどうでしょう?
競馬は75%、パチンコは75~90%と言われています。
宝くじの印刷代・広告などのPR費なんて微々たるものでしょうから、宝くじの粗利率は50%近いと思います。
ボロい商売ですね~。
だから、宝くじは「当せん金付証票法」で定められた全国都道府県と全指定都市、つまり地方自治体しか発売できないことになっています。
(みずほ銀行は、地方自治体の定めた発売計画に従って、宝くじ券の図柄選定、印刷、売り場への配送、広報宣伝、売りさばき、抽せん、当せん番号の発表、当せん金の支払いなどを行っているだけです。)
発売元が自治体ということは収益の一部は自治体の公共事業に使われます。
つまり、言ってみれば宝くじは、税金のようなものなんですね。
こんな格言もあります。

ギャンブルは、国が愚か者に課した税金

言い得て妙ですね。
それでは、なぜこのような非常に不利な賭けを多くの人がするのか。
人間と言うのは、「僅かな確率で大きな利益が得るが、大きな確率で僅かな損をする」と言うケースと、「大きな確率で僅かな利益を得るが、僅かな確率で大きな損をする」と言うケースを比べた場合、期待リターンが同じでも圧倒的に前者を好むのみたいです。
これは宝くじ効果(Lottery Effect)などと呼ばれ、行動ファイナンスなんかでもよく話題になるテーマみたいです。
人間は不思議ですね。。。

やらないリスク

最後にこのブログを書いてから、ずいぶん時間が経ってしまいました。
また、今日から再開しようと思います。

もう、今年になって一週間が過ぎてしまいました。
昨年は、『リスク』というものを意識した1年でした。
事象を考えるとき『リスクとメリット、どちらが大きいか?』と常に意識しましたし、『やっぱり、リスクをテイクしなければ、ゲインはナッシングだなぁ』と改めて実感される出来事が多々ありました。
自分は「石橋を叩いて、割ってしまう」と言われるほど慎重(自分ではそうは思っていないのですが。。)と言われるんですが、昨年一年で少しはその辺の意識改革もできたのかなぁと思ってますし、自分の中ではそれなりのリスクをテイクして、グレートなものをゲットできましたし、チャレンジングな年でした。
と、昨年末ふつふつと考えていたんですが、そもそも考えてみると「やろうと思っていて、やらなっかたこと」もかなりあるなぁと思いました。
ジム通い、英語の勉強、日曜大工、沖縄旅行、そして、このブログ!
あー、これらのことをやったことで得られたものが得られなかったんだぁ~って思った時、やらないって選択にもリスクがあるんだな~と思いました。
というか、よくよく考えてみると、『やるリスク(=失敗するリスク)』より『やらないリスク(=やることで得られたであろうものが得られなかったことで生まれるリスク』の方が多いんじゃないっかって思います。
『やらないリスク』は顕在化しないことが多いので、見過ごされていることが多いだけで、自分は知らず知らずのうちにリスクをとることを選択しているんだなと。
だから、今年は『やらないリスク』を意識して、積極的に行動するようにしたいと、ゆる~く考えています。
そのとっ始めとして、まずブログを再開します。
今年も、何卒よろしくお願いいたします!