今頃、映画「チャップリンの独裁者」を鑑賞する!
1940年 アメリカ
チャップリンという人は、大げさに言えば、この作品を撮るために生まれてきたのではないかと思うほどだ。深く鋭い時代への洞察を笑いに昇華させ、なおかつ、有名な演説の場面での直截な訴えを恐れない、人間性の讃歌。そして、彼はこの映画において初めて喋ることで、例の放浪紳士チャーリーと訣別を図ったのである。映画で何事かを“語る”ということはそれだけの自覚を伴うと、この天才は知っていた。驚くべき真摯さ。ファシズムの恐怖は、彼のそのキャラクターにそれまでのような“無言”のまま状況を切り抜けていく狡猾さを捨てさせ、彼自身の容貌を露にさせたのだ。18年の第一次大戦末期、トメニア(ドイツ)のユダヤ人一兵卒チャーリーは飛行機事故で記憶を失い入院する。ここまでの痛快なドタバタの中に戦争諷刺を盛り込むタッチは、チャップリン映画に親しんだ方なら想像がつくと思う。さて、それから数年後のトメニアは独裁者アデノイド・ヒンケルの天下で、ユダヤ人掃討の真っ最中。そんな時、退院したチャーリーは生まれ育ったユダヤ人街で元の床屋の職に戻る。親衛隊の傍若無人ぶり、特にそれが恋人ハンナ(ゴダート)に及ぶに至り、彼は勇猛果敢かつ抱腹絶倒のレジスタンスを開始。それがどういうわけかヒンケル総統の替え玉を演じさせられることになる展開の妙、素晴らしいギャグの数々はとてもここには書ききれない。ただ目をみはるのは、かの風船状の地球儀と戯れる場面の前に見られるような狂人ヒンケルを“神”としようとする勢力の存在の示唆だ。独裁者の孤独をも憐れみをもって表現する、作者が得た神の視点といったものを感じさせる。傑作という言葉では当然その意義を言い尽くせない神話的作品だ。
<allcinema>
今まで観たチャップリン映画とは、かなり毛色が違った作品でした。何より、チャップリンの怒りが随所に感じられる。独裁者への怒り、ユダヤ人迫害への怒り。
だから、ヒトラー(ヒンケル)の言動に対する揶揄は、この映画を喜劇として観るのなら度が過ぎる。
ユダヤ人迫害の様子は、悲惨すぎて笑えるものではない。
1940年の時点で、このような映画が作られたことこそ、驚くべきでしょうね。その先見の明には恐れ入る。歴史の後知恵で、アドルフ・ヒトラーを悪者にするのは簡単です。でも、これはそうではない。
1940年10月15日にアメリカ合衆国で初公開された。当時のアメリカはヒトラーが巻き起こした第二次世界大戦とはいまだ無縁であり、平和を享受していたが、この映画はそんなアメリカの世相からかけ離れた内容だった。
チャップリンは後年、自伝において「ホロコーストの存在は当時は知っておらず、もしホロコーストの存在などのナチズムの本質的な恐怖を知っていたら、独裁者の映画は作成できなかったかもしれない」と述べている。なお、映画の撮影当時はドイツによるユダヤ人に対する迫害政策と、ゲットーへの強制移送はドイツ国内とドイツ軍の占領地で実施されていたが、ユダヤ人に対する大量虐殺はまだ行われてはいない。
有名な最後の6分間の演説シーンは、もはや映画ではない。
ユダヤ人チャールズ・チャップリンの一世一代の命を懸けた自己主張でした。
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