四両編成の電車が浜大津駅に向かって出発。
浜大津というと琵琶湖で湖水浴で行くイメージですね。
京都人にとって琵琶湖は海ですから。
そして大津は京都以上に歴史を感じる風景がたくさんあるところです。
京都のように観光地として残して来た街並みと違って自然に古びていった感じが何とも言えないですよね。
東海道本線の逢坂山トンネル。
この手前側が大津駅。
明治初期に東海道本線が開通したときはこのトンネルではなく、このトンネルは大正になって開通しました。
トンネルの向こうは山科です。山科側の風景![]()
百人一首で有名な蝉丸の蝉丸神社。
AIに聞いてみると、
蝉丸(せみまる)は、平安時代の伝説的な歌人・琵琶の名手で、盲目であったために逢坂山に捨てられ、琵琶を弾きながら暮らしたとされますが、実像には諸説あり、『今昔物語』では宇多天皇の皇子、『平家物語』では醍醐天皇の皇子とされ、芸能の祖神としても信仰され、能の演目にもなった謎多き人物です。
この京阪電車の大谷から上栄町の間は蝉丸ゆかりの地でもあります。
踏切の向こう側が蝉丸神社。
鎌倉で梶原権五郎を祀った御霊神社を思わせる風景。
飛び出し坊やも蝉丸![]()
この蝉丸神社をさらに京都側に歩いていくと、旧逢坂山ずい道があります。
ここが明治初期に開通した初代東海道本線の逢坂山トンネルです。
旧東海道線はこのトンネルを経て現在の名神高速道路に沿ったルートを通り、伏見の深草で北に折れて現在のJR奈良線のルートを通って京都駅に着きます。
このトンネルは664mの長さ、ツルハシとノミで掘削するしかなかった時代としては大工事でした。
それでも逢坂山の坂をけっこう上った場所にあり、当時はスイッチバックもあったらしいです。
交通量、輸送量の増加で勾配の少ないトンネルが必要となり、大正期に現在の逢坂山トンネルへバトンタッチされ、役割を終えました。
トンネル内は戦時中、軍事研究施設に使われていたそうです。
京都周辺には歴史的な建築物が多いですが、こういう明治期に作られた現代からも可視範囲にある建造物も多く、こちらのほうに歴史を感じてしまいますね。










