こんにちは!4日ぶりの投稿となりました、大学生のahobookです!

ずっと読んでいた本がようやく読み終わったので、紹介させていただきます!

読んだ本は、三島由紀夫著の『金閣寺』という本です!

これは、好奇心、教養、自己成長の中で、教養のために読んだ本です!

 

これは、美しい文章を読んでみたい人におすすめの本です!

よく、三島由紀夫の文章は美しいと言われるので、実際どうなんだろうと思って読んでみたのですが、

文章だけでなく、考え方もめちゃくちゃ美しかったです!笑

 

早速、一部紹介させていただきたいと思います!漢字に関しては、原文そのまま記してあります。

 

吃りは、いうまでもなく、私と外界のあいだに一つの障碍を置いた。最初の音がうまく出ない。その最初の音が、私の内界と外界との間の扉の鍵のようなものであるのに、鍵がうまくあいたためしがない。一般の人は、自由に言葉をあやつることによって、内海と外界との間の戸をあけっぱなしにして、風とおしをよくしておくことができるのに、私にはそれがどうしてもできない。鍵が錆びついてしまっているのである。

 

私は何も見ていなかった。しかしおもうに、有為子は、はじめは恐れながら、私と気づくと、私の口だけを見ていた。彼女はおそらく、暁闇のなかに、無意味にうごめいている、つまらない暗い小さな穴、野の小動物の巣のような汚れた無格好な小さな穴、すなわち、私の口だけを見ていた。そして、そこから、外界へ結びつく力が何一つ出て来ないのを確かめて安心したのだ。

 

雲が山のむこうに立ちはだかり、雷を含んで暗澹としたその縁だけを、金色に輝かせているのを見るときも、こんな壮大さが金閣を思わせた。はては、美しいひとの顔を見ても、心の中で、「金閣のように美しい」と形容するまでになっていた。

 

住職は小肥りしていて、もちろん皺もあったが、一つ一つの皺の中までが、綺麗に洗い込まれている。丸顔で、鼻だけが長くて、流れてきた樹脂が固まったような形をしている。顔がそういう風なのに、剃りあげた頭の形はいかつく、精力が頭に集まっているようで、頭だけがひどく動物的なのである。

めちゃめちゃ美しいですね。笑

自分だったらどういう表現をするんだろうと考えれば考えるほど、すごい文章だなと思いました。

 

考え方についても面白かったので、要約していくつか紹介させていただきたいとおもいます!

 

スポーツは公開するべきではない。公開するべきは死刑だ。戦争中の安寧秩序は、死刑の公開によって保たれていた。実際、空襲中の死体を片付けていた人たちは、快活な様子をしていた。人々が残虐になったり殺伐になったりするのは、例えばうららかな春の午後、よく刈り込まれた芝生の上に、木漏れ日の戯れているのをぼんやり眺めている時のような、そういう瞬間である。

 

優雅な墓はみすぼらしいものである。政治的権力や筋力は立派かつ堂々たる墓を残す。彼らは生前に想像力を持っていなかったから、墓も自然と想像力の必要のないものになる。しかし優雅な方は、自他の想像力だけに頼って生きていたから、墓も想像力を必要とする墓が残ってしまう。死後の人の想像力に物乞いをし続けなければいけないのは惨めである。

 

めちゃくちゃ新鮮な考え方ですね。

どうしたらこんな文章や考え方を思いつくんだろうと思いながら読んでました笑

また時間をおいて読み返したら、読み取り方も違ってくると思うので、また読んでみたいと思います。

 

ちなみに、三島由紀夫は、「美しい文章を書きたかったら、辞書を『読め』、古文を『読め』」と言っています。

辞書や古文を読んでこそ、あの驚異的な語彙力なんだろうと思います。

皆さんも、ぜひ文豪がなぜ評価されているのか、試しに実際に読んで確かめてみてください!