今日はスーパーに買い物に行ってきた。久しぶりだった。

 

自転車は少しふらついたが、なんとかスーパーまで辿りつけた。

 

やはり足がふらつく。歩行障害が始まった。

 

カートをゆっくり押して何とか歩けた。

 

店の中がやたら広く感じる。一歩一歩歩くしかなかった。

 

余計なものを見に行く余裕はなかった。

 

必要なものだけカゴの中に入れた。

 

レジまでなんとか行けた。会計はカードなので簡単に出来た。

 

カートをゆっくり押して店の外まで出れた。

 

カートをしまって自転車まで歩くときにコケてしまった。

 

コケると言うよりしゃがみ込む感じだった。

 

親切な客のおじさんに自転車のカゴに入れてもらい、自転車までたどり着いた。

 

帰りはフラフラだったが、俺も必死だった。

 

自転車で無事に帰宅できた時は安堵したが、いまだ不安は強い。

 

メンタルの問題だが、大問題だった。

 

あの感じではしばらくスーパーへ行けそうにない。

 

ネットスーパーを利用するのが無難だろう。

コロナや雨のせいだと思うが、不安感が強い。

 

不安感が強くなると歩行障害が出る。

 

買い物は雨が続くので、ネットスーパーで食いつないでいる。

 

昼過ぎに不安感がマックスになって作業所へ電話した。

 

不安が強いことを言うと、みんなそう言っていますねと言う。

 

あとヘルパーさんを利用できるか聞いてみると

部署が違うと言うので、こちらから電話させますと言った。

 

俺は電話があるまで待つことにした。

 

電話がかかってくると思うだけでパニックになりそうになる。

 

4時になってもかかってこないので、こちらからその部署に電話してみた。

 

事務的なスタッフが出た。

 

今日の回答は難しいというので、後日でいいと言ったら

そのまま電話は切れた。

 

本当に事務的なスタッフだ。

 

俺は薬を飲んで寝た。

 

毎日こんな日が続くと嫌になるけど、一つずつ片付けていかないとどうにもならない。

 

不安だ。

小学校の時の通学路に川が流れていた。

 

その川端の道が通学路の大部分だった。

 

川はまっすぐに流れていた。道もまっすぐ。

 

河川敷はないコンクリートのブロックに囲まれた用水路という感じだ。

 

低学年の頃は川に何の興味もなく、川端の道を通って学校へ通った。

 

あるとき、川にはいろいな動物がいることに気づいた。

 

ザリガニや小鮒、オタマジャクシ、時折カメやヘビもいた。

 

実際、よく川へ降りて遊ぶ悪ガキも普通にいた。

 

いつしか自分も下りてザリガニを捕まえたいと思うようになった。

 

そう思いながら通学していた。

 

あるとき、だいぶ年上に見えたが悪ガキが川で遊んでいた。

 

俺は足を止めてフェンス越しに眺めていた。

 

その人が、お前も下りて来いよと声をかけてきた。

 

俺はたじろいで黙っていたら、お前何年生だ?と聞いてくる。

 

俺が3年生と言ったら、俺が3年生の時は下りてたぜと言う。

 

手伝ってやるから下りて来いと言ってきたので、俺は下りる決心をした。

 

そこに足をかけて、そこを持ってと丁寧に教えてくれた。

 

ビクビクしながら下りていくと、その子が俺を抱きかかえて川底に下ろしてくれた。

 

水は冷たいというより生ぬるいくらいだった。

 

バケツの中のガリガニを見せてくれた。

 

その子が素手で触ろうとするので、俺は挟まれたら痛いよと言った。

 

彼は構わず器用に背中をつまんで俺に見せてくれた。

 

2人で話しながら川の中をザブザブ言わしながら歩いた。

 

話は合いそうだった。お互い、悪ガキだった。

 

暗くなってきたので、もう帰るよと言ったら、

彼は俺を肩車して道端に手が届くように押し上げてくた。

 

彼は俺に、じゃあまたな。俺はもう少しいるよと言って川の中をジャブジャブ歩いていた。

 

それから彼とは何回か川で一緒に遊んだ。

 

お互い名乗り合うこともない。他愛の話ばかりしていたが妙に気が合っていた。

 

会うたびに仲良くなって、お前大きくなったら何になりたい?という話になった。

 

俺は西城秀樹みたいな歌手になりたいと言ったら、

お前は顔が悪いから西城秀樹みたいになれないよと揶揄う。

 

お兄ちゃんこそ声が変だから歌手になれないよと言い返したら

俺はこんな声でも歌は得意なんだぞと言って、ゲイラカイトのCMソングを歌いだした。

 

裏声の部分がきれいに出ていた。

 

当時の悪ガキはみんな、あの裏声を出すのに腐心していたので驚いた。

 

彼は会うたびに流行りの歌を替え歌で歌って見せた。

 

俺も調子に乗って一緒に歌うこともしばしばあった。

 

とにかく楽しかったが、1年くらいしたら自然と会う機会がなくなってしまった。

 

小学5年の時に俺は親の都合で引っ越しして学校も転校した。

 

彼と再会したのは高校生の時だった。彼はテレビに出て歌っていた。

 

顔と声の独特な感じで分かった。声変わりしてたけど、あの独特な感じは同じだった。

 

それにニヤッと笑ったときに見せた、あの変わった歯並び。

 

思えば川で一緒に替え歌を歌ったのは、夢のデュエットだったなと思う。

 

 

 

 

昨日はいちおう終戦の日だったが、コロナや大雨で考える余裕もあまりなかった。

 

俺の両親は戦前生まれだが、母は2歳で終戦なので戦争の記憶は全くないと言う。

 

ただ戦後だが、母親が29歳で病死して、父親や兄弟3人の世話をするのが大変だったという話はよくする。

 

父は4歳で終戦を迎えた。

 

防空壕の中でグラマンが機銃掃射する音を聞いたのを、かすかに覚えているという。

 

6年前に公園で知り合ったご老人は小学校3年で終戦を迎えたらしい。

 

高学年になったら竹やりの訓練ができると意気込んでいたそうだ。

 

学校で家で採れた卵を食べていたら、先生に「なんでお前がそんなものを食べるんだ!

兵隊さんにあげなさい!」と怒鳴られたらしい。

 

中学生になったら戦車の下に潜り込む訓練をしたという。

 

俺が「それは爆弾を抱えて戦車の下で自爆する訓練だね」というと

ご老人は、「学校がそんなむごい訓練をするわけがない」と否定するのだ。

 

俺は「じゃぁ、なぜ戦車の下に潜り込む必要があるんですか?」と尋ねると

分からないという。

 

面白い話だが、マジで子供心にそう思ってんだろうと推測する。

 

あとは戦後の平和教育の中で、そんなことを思い直す隙もなかったんだろうと思う。

 

俺が子供の頃は戦争体験者は周り親戚に沢山普通にいた。

 

父の兄弟も一人戦死している。

 

なぜもっといろいろなことを聞かなかったのか?

 

聞く機会はいくらでもあったのに。。。

 

悔やまれる。

歳を取ると妙に些細なことで怒りっぽくなる。

 

俺もその兆候が始まっているので分かる。

 

だが、自分に理解できないものは排除しようとするようになる。

 

それだけはちょっとご勘弁をと願いたい。

 

だいぶ昔のことであるが、仲間と神社で人形の写真を撮っていた。

 

神社には秋祭りの準備でたくさんと子供たちや親がいた。

 

俺たちは邪魔にならないように、少し離れた場所で撮影していた。

 

すると自治会の役員らしき老人が4,5人集まってきて俺たちの周りを囲んだのだ。

 

俺たちは何なの?と思っていると

勝手なことをして呉れたら困るじゃないか。帰ってくれ。と真顔で言う。

 

俺は、ハア?っと思ったが迷惑になっては仕方がないなと思って引き返した。

 

それを母に言ったら、カンカンに怒って神社に一人で乗り込んだのだ。

 

自治会の古老や神主が出てきて平謝りさせたらしい。

 

母は「アンタたちのような人間が子供をダメにするんだ!」と言ったらしい。

 

老人たちは平謝り。

 

まあ確かに、そのような人間が役員として子供たちの世話をするようなことは道に反すると思った。

 

俺は行かなくてよかったと母は言う。

 

すぐに手が出る俺の性格をよく知っている。

 

あんな老人にはなりたくないなと思いながらも、なっちゃうのかなー。

 

その時の仲間も5年前に自殺してしまった。

 

時の流れを感じるな。。