さて、まず何から手をつけましょうか。この感情のどの部分を最初に掬い上げましょうか。

お前と呼ばれた王求とわたしですが、伊坂の本で第三者の目線で物語が進められるのは珍しいです。
それぞれの登場人物からの目線で、色々な繋がりを見せる物が伊坂の魅力であった筈ですが、重力ピエロやラッシュライフのような、驚くような繋がりを見た訳ではありません。他の小説に出てきた人が出てきたという訳でもありません。
残念なことにわたしはシェークスピアを読んだことはありません。
ですが、第三者の目線から書くことで戯曲を見ているような感覚になれました。おそらく、銀河鉄道の夜でいう外套の男とでもいったところでしょうか。


王求の人生を思えば少し哀れに思われます。しかし王になる者とは、新藤くんの言っていた環境としての才能ではなく、生来の才能があるのでしょう。
その才能のために多少の障壁が現れましょうが、それもやはり王になる才能の前には無意味であり、王の成長のために用意されたものでしかないのでしょう。
しかし王求は王になるには少しストイックです。
第三者の目線により王求の心情がわからないこと、黒服の女三人、竜など、通常ではあり得ないことが神秘性と戯曲であることを思わせます。
ハッピーエンドでありましょうがハッピーエンドをしかと書かない終わり方が伊坂らしいと思いました。


「夜の深さをさぐるように、どこまで上昇すれば空に触れることができるのか、まるで世界の寛容さを確かめるかのように、飛んでいった。」

「君の番だ。みんなが待っている。早く出てくればいい。」


終わりに相応しい言葉だとおもいました。