太鼓の達人腕自慢最終編

毎回思うに、彼の影響力。ゲーセンで出会う人が皆彼を知っているという

今やピアノ系Youtuberの活動がメインだとしても忘れられていないというのはうれしいよね。

 

あと、思うに3回×3人ともなんというか謙虚で節度ある若者であった。動画を見ていたのに、本人目の前にしても気が付かない。

もしかしてワカモノにとってはこの「距離感」が普通、常識なのかもしれない

CASのあとに見たということもありそんなことを考えながら動画を見た

 

ま、顔出ししたのが最近(4年前)というのもあるか。ピアノに軸足を移し始めたころ。太鼓の人たちは徐々に離れていったのと重なる。面が割れていない、はっきり記憶されていないのも無理はないか

 

撮影もそれぞれ1日がかりで大変だったと思う。全勝、おめでとう!それにもまして皆が知っていてくれていたことが配信者としては何より満足であったであろう。そちらも合わせておめでとう。

 

 

 

 

CASの件

 

まずは一番のツボりどころ、

「10時半の方向にカップル2組」

10時半ってww

あまり聞かない言い方だがよく考えると、正面から左に45度。なるほど

そういった刻みもおかしくはない。表現が斬新なだけでw

 

いろいろ1日動き回った後の一人飯した後に一人花見

この瞬間を静止画ではなく動画として撮っておきたいという

一人で家にいるのとはまた違った、それでも「一人」を満喫できる空間と時間

それを「一人」で過ごすのではなく配信を通してネット上の人々と過ごす

オンとオフの境があいまい。配信業とはそういうものなのかもしれない

 

オンからオフへと完全に切り替われていない中、考えるのは、配信業を取り巻く環境

配信者とリスナーの関係

頭から仕事が離れられない社長業と同じ

従業員ではないが、”200万人”を従える立場

重責は常に感じているであろう

 

 

彼の発言から要旨をサマライズ

 

コメントやツイートによりつながる関係

数が増えるといろんな人、いろんなコメントが出てきてそれだけ悩みが増える

壊れる一歩手前で首の皮一枚つながった状態で続けている配信者も少なくない

自分もコメントは気にしているし、それによりモチベーションが上がることもある

 

ピアノ界隈はネット初心者が多く治安が安定しない

マウント、マナー警察

配信者に向けたアンチやファンチだけではなく、リスナー間でもトラブルを起こす

 

大きな意見に隠れて小さな意見が見えなくなる

どうしたら視聴者さんがフラットに平等に楽しめるのかなと、

こういうことはよく考える

 

いろんな目線で見ているリスナーがいる

抱いている印象と配信者がやっていることとが違うと思う人もいる

なるべく多くの人に自分が面白いと思って作ったことややりたいことをやったものを楽しんでもらえるといい

 

配信者とリスナーとで距離感を間違えるといいことはない

いつからこんなに一部のリスナーのご機嫌を伺うようになったのか

大人の視聴者が増えて気になるようになった

 

 

 

これに関する自分なりの分析と感想

 

彼の理想、そして、その理想と現実とのGAP

新しい情報は何もない。一貫して同じことを言い続けている。それはつまり、今も解決されていないということ

 

彼が実現したい世界は誰もが平等に動画を楽しむこと

それを阻害するリスナー間のトラブル

嫌な思いをしている人に配慮し、もう一方の当事者に対し警鐘を鳴らす

どちらのリスナーも極々少数なのはわかりつつも看過できない

それは彼が、「全員」が動画を楽しむ世界を実現したいと本気で思っているから

この頑固なまでのこだわり。それゆえに、DMで不快な思いを訴えてくる人たちを何とか救えないかと画策する

そんなことでいちいちDMすな!と、切り捨てた(スルーした)としてもだれも非難はしない

世間がどちらを「常識」と見なすかは明白

 

余談

DMでクレームを入れる人は一般企業や行政、政治家に対してクレームを入れるのと同じ感覚なんだろう

自分は何もせずに何とかしてくださいと訴える人達

サービスを提供する側に要求する前に、自衛すること、なんだかの妥協策を見出すこと、自身でやれることはある。

 

「お客様は神様です」とでも思っているのだろうか。

サービス提供側がそれを提唱するのは勝手だが、客がそれを求めるのは全くの間違い

そもそもYoutuberはサービス提供者ではない。リスナーとの間にサービスに関して何一つ契約はないのだから。気づかないのか考えないのか理解できていないのか

そこなんだろうな。そこにひずみがあるように思えてならない

 

ネット上では人が見えない。

老若男女、いろんな人がいるということを想像、前提としておかなければいけない。そのうえでリアル、目の前に人がいる場合と同じように人に対しての気遣いが求められる。

ネットになじみのない人。そしてその人たちが起こすトラブルは、そういった「前提」と「常識」が欠如している

 

 

千人に一人、1万人に一人の小さな小さな黒点

決してなくならないこと、スルーするのが賢明なのも彼は知っている

ただ、それによって自分の動画を楽しめない人がゼロではないこと

彼がこだわっているのは唯一その部分

何事も細部にこだわるプロ気質であることも関係しているのだろう

ゆえにここまで昇りつめ、ゆえにこのような些細なところにも悩む

プラス面でもマイナス面でも突出している

 

彼は今これについてあきらめるつもりはない

むしろ長期戦も覚悟しているように見える

 

この件は、彼と同じ立場、何かを成し遂げ同種の悩みを持っている、わけでもなくそしてトラブルの当事者でもない、その他大勢の部外者リスナーがあれこれ言うことではない

 

彼が苦しんでいる、助けなきゃ、とマナー警察になる

もしくは、彼の苦しみをつまらぬこと、自分が「楽しくない」と感じるその矛先を彼に向ける

 

どちらも間違っている

 

一ファンとしてできることは彼の悩み、起こっていることを事実として受け止め、静かに成り行きを見守る。ただそれだけ

 

 

 

 

 

再び、彼の発言から要旨をサマライズ

 

ストリートピアノ、ビックウエーブに乗った人たち

普通の波に落ち着いた後のムーブメントを考えないといけない

 

ゲーム配信を一からやりたい
10代はピアノ一本でやりたいと思っていた
叶った後からすると現実は違う


クラッシック界隈でも言われている
文化がアナログすぎて発展しない。発展させたい人たちもいるのにユーザ層がインターネットになじみがなく発展が止まっている
やっぱり(音楽とネット配信は)相性が悪いんだなと思った
そこをどうやったら発展していくのかというのを考えるのも面白い

 

 

そして分析と感想再び

 

ネット配信者として生きていくと決めたからには、発展性を考えていかなければならない。ブームは必ず去る。が、また違うブームは来る。それがどれくらいのビックウエーブなのかはわからないが「発展」していくためにはブームは必要

 

彼にはピアノ以外にも好きな事やりたいことがまだある。そちらにもチャレンジしていきたいというのは本心なんだろう

 

ただ、ストリートピアノについても、それを広めた第一人者として、ビックウエーブが去った後の発展も考える「責務」がある認識でいる。おそらく

 

 

昔から街角ピアノというコンテンツはあった

いわゆるストリートピアノ

されどここまでの盛り上がりはなかった。そこそこピアノを弾ける人が思い思いに弾きたい曲を弾く。曲の偏り(クラッシックや懐メロなど)、見せ方、など多くの人を引き付ける何かはなかった。

 

それが、ピアノがうまい人がメジャーな曲を派手に弾く、パフォーマンス性、周りの反応、カメラアングル、諸々の組み合わせで、ここまで多くの人を引き付けるコンテンツに発展した。

もとは「街角ピアノ」という日常の中に溶け込んだ小さな非日常だったコンテンツが、ネット配信を通じてエンタメ性の高いコンテンツに昇華できたのが、ストピによるビックウエーブ化。その火付け役の一人が彼

 

そして今やストピは全国に広がり、個人的な趣味から「ファン」を集うほどの演奏者まで幅広いYoutube配信者が現れた

サムネも視聴を誘う同じようなテイストが流行っている

 

これにより起こったのが、コンテンツのコモディティ化

 

結果

数が増えた故にコンテンツの再生数が分散されてしまった

また、コンテンツの中身、質がピンキリと広がった。誰もがエンタメ性の高いコンテンツを作れるわけではない。一部のプレイヤによりエンタメに持ち上げたコンテンツを多くの「一個人で楽しむ層」がまたもとの「街角ピアノ」に戻してしまった。

 

ビックウエーブが起こったのは、それがエンタメとしての質が高かったから

それが失われたら価値は下がる

発信する側の敷居が下がり発信側の楽しみ、充実感は高まる一方、巷にあふれかえった画一的なサムネのコンテンツにライトなリスナー層や新規リスナーは半分うんざり、離れにつながっている

ビックウエーブでより多くの人がストピ界隈に参入し、一大勢力を成すコンテンツに発展すると同時にコモディティ化が進み、話題性や面白みがなくなりつつある

すなわちそれは衰退を意味する

 

彼はいち早くそれを察したと思う

第一人者であるがゆえに顕著化する前にこうなることは見えていたであろう

 

 

ストリートピアノの今後の発展性をどうしていくか

クラッシックの世界ではネット配信の相性はよくないとのこと

逆に言うと未開の地、開発の余地はあるということ

 

配信者として冷静にチャンネルを成長させていく道を選びつつ、ピアノ、音楽のネクストステージも虎視眈々と思案していると思っている

今回のCASの言葉の端からそれを伺えた

 

 

 

 

目の前にある理想と現実

そしてビックウエーブの先の次のムーブメント

彼が考えている、見据えている世界は広い

一人夜の花見、顔の見えぬリスナー相手の独り言

いつものように悩みや不安を吐露していたが、どこか落ち着いて穏やかだった

そこには一つの山を越え次の山に向けて覚悟を決めた人間がいたように見えた