土曜プレミア公開、サムライに続き新たなprank

海外のサイトを参考にしてるっぽいね。成功しようが失敗しようが、いろいろチャレンジしていく、テーマをもって企画を考えていく、その向上心がザ「彼」なんだよな。1本の動画にいくつもの要素が含まれていて今週もまた楽しませてもらいました。

 

 

 

唐突に伴奏についてふと思ったことをショートに書き記しておこうかと思う

 

以前のブログ記事でも書いたことがあるが、改めて思うに彼は伴奏がうまい

連弾の下のパートもそう。そういったピアノソロ以外のいわゆる脇役であっても、アレンジは手を抜かない、というかむしろセッション相手にインスピレーションされてかその場でひらめくアイデアを試しているように見える。

 

以前コラボした歌手の方がインスタに「歌いやすい」と称賛の声を上げてくれていた。

もちろん歌手とのセッションであれば、歌手が気持ちよく歌えること、それが伴奏に求められる一番の要件であることは間違いない。

その要件は満たしつつどう振舞うか。完全に脇役と徹するのか、対等な存在として打ち出していくのか。

好み、スタンスなのかはたまた一般常識なのか、分かれ道。大抵は前者を選ぶ人が多いし、それがノーマルな概念なのかもしれない。

しかしながら彼は後者を望んでいるように思う。

 

ここ最近では超会議での伴奏、先週の高校生アニソンのビアノ伴奏

超会議でのローリングガールは伴奏だけど、あの大舞台でピアノ1台だったためか、音をたくさん使っていた。アニソンは連弾パートということで思いついたアレンジを盛り込んでいた。どちらも”存在感”ある伴奏だった

 

 

浮かんだのはバッハの平均律

右手も左手も主旋律。

一人で弾くときはこの奏法はあまり用いないように思うけど、連弾やバンド、歌手とのセッションの時には、どちらも「主」であること、まさしくバッハの平均律、それを理想としているんじゃないかと思う。

1曲の中でいろんな役割を演じる。伴奏、バンド演奏の一部と言えども始終「従」には甘んじない。時に「主」となる。ゆえに演奏に華があり、面白さを感じる。

「歌」を聞くためだけではなく「ピアノ演奏」を聞くために動画を回してしまう。

 

 

彼のこと

「人と合わせるのがめっちゃめちゃうまいんですよね。」

「彼にピアノを持たせた瞬間にコミュニケーションお化けになります。」と言っていた人がいたな

セッション、というのも彼のアイデンティティを語るうえで欠かせない。自分や他人、1つではなく複数を合わせる作業、セッションは彼にとって音楽、感性のコミュニケーション。コミュニケーションとは相手の主張、自分の主張があって成り立つ。まさに対等な関係性。

 


 

彼の考え、スタイルは他者との違いを比較することで見えてくることがある

そこに彼の魅力が何なのかを知るヒントがある

ふと、動画を見漁りながらそんなことを感じた