よくわからないが、ひとりで部屋にいると口から出る二酸化炭素も惜しくて、周りの空気は全部水みたいに吸い込みづらくて水の中で溺れている錯覚に陥る。
自分は生きたくないのだろうか。それとも逆に生を感じたいのか。わからない。
が、「わかるとき」と言うやつがいつかあるんだろう、と漠然と思う自分はまだ陸で溺れていてずるずると濡れていく服の重みで海底に沈んでいくときにちらちらと波に揺らぐ朧気な太陽を海水越しに見ている。苦しい、太陽は掴めない。いつまでもがけばいいのだろう。
かと思えば海が心地よいと感じているのも事実だ。苦しいがゆらゆらと優しく、時には激しく波がわたしを揺らす。それが心地よいのだ。
わたしは人の海に溺れているのだ。ひとりになると人の海が気になりだして不特定多数の人々が波のようにさざめき、わたしはそれに揺らされているように感じるのだと思う。だから苦しくて仕方ないのに優しくて厳しくてとても心地よいのだ。
そしてわたしは、海の広大さに甘えている。海に甘えて、包まれ、守られているのだ。
そうか。わたしが息苦しいのは、生きたくないのではなくて幸せだからこそ息苦しいのかもしれない。幸せでも息苦しいときはあるのだ。いまわたしはわかった。
その息苦しさで海面に沈み、もう浮上出来ないと思ったこともあるが、今は浮上しているではないか。わたしは知っている。一回沈んだだけで、浮上出来なくなることなんてないのだ。
わたしはいまも陸で溺れている。
美峰
自分は生きたくないのだろうか。それとも逆に生を感じたいのか。わからない。
が、「わかるとき」と言うやつがいつかあるんだろう、と漠然と思う自分はまだ陸で溺れていてずるずると濡れていく服の重みで海底に沈んでいくときにちらちらと波に揺らぐ朧気な太陽を海水越しに見ている。苦しい、太陽は掴めない。いつまでもがけばいいのだろう。
かと思えば海が心地よいと感じているのも事実だ。苦しいがゆらゆらと優しく、時には激しく波がわたしを揺らす。それが心地よいのだ。
わたしは人の海に溺れているのだ。ひとりになると人の海が気になりだして不特定多数の人々が波のようにさざめき、わたしはそれに揺らされているように感じるのだと思う。だから苦しくて仕方ないのに優しくて厳しくてとても心地よいのだ。
そしてわたしは、海の広大さに甘えている。海に甘えて、包まれ、守られているのだ。
そうか。わたしが息苦しいのは、生きたくないのではなくて幸せだからこそ息苦しいのかもしれない。幸せでも息苦しいときはあるのだ。いまわたしはわかった。
その息苦しさで海面に沈み、もう浮上出来ないと思ったこともあるが、今は浮上しているではないか。わたしは知っている。一回沈んだだけで、浮上出来なくなることなんてないのだ。
わたしはいまも陸で溺れている。
美峰