3月13日~14日
大阪(江坂周辺)へ行きます
対面セッションをご希望の方は
お申し込みください!
13日 16時以降(残席1枠)
14日 午前中(2枠)
*Zoomでのセッションも可能です
ざっくり言えば・・・
奈良時代までの古代日本で、翡翠(硬玉)は装身具、宝石の王様だったんだけど、奈良時代になると、法興寺塔址の勾玉や正倉院宝物の中にある翡翠を最後に、日本史の中から姿を消しました
翡翠は硬玉はモース硬度6.5か7
これだけ固い物質を切断、孔あけ、研磨などの加工するためには、加工される物質よりも硬い物質が必要となります
つまり、 硬玉の孔あけには、硬度8以上の物質が必要で、黄玉、鋼玉、ダイヤモンドなどきわめて限られた物質しかありません
また、硬玉は硬いだけでなく、その質が繊維質できわめて強靱であるという特質ももつので、 硬玉の穿孔は更に難しく、大変な技術を必要とします
ところが、 三内丸山遺跡から発掘されたものはもちろん、他の遺跡から発掘された翡翠玉のどれを見ても、じつに見事な孔があけられているのです
しかし、鉄などの金属製の道具、ドリルなどをもたなかった縄文時代人が、硬玉に綺麗な穴を開けて装飾品などを作っていました
現在では、管状の錐きりで直線的に穴があけられています。細い竹と硬い石の粉を使ってあけたと考えられています
文章だとほんの数行の簡単な手法
でも、その手法は「現代のレーザー光を遙かに凌駕する」と表現されています
それほど高度な技術が、日本には縄文時代には既にあったということです
日本に根付いた民間療法も同じ
和ハーブという名称で呼ばれることもありますが、日本人の体質や弱りに沿った日本にある植物の活用法
近年、その活用が流行していますが
アロマ、ハーブなど西洋の文化、活用法を学び活用されていますが、実は我が家で同じ成分の「そのへんにあるもの」で日々愛用している・・・
なんだ、このことか!!
あるじゃん!ここに!!!
それもまた原点回帰だと思うのです
*過去生のお話・・・
石職人だった私
私と夫はその時も夫婦だったらしいけど、「なんて気の毒な・・・」そんな感想しか浮かびませんでした
ちなみに、平安時代は陰陽師として家族3人
私⇒坊ちゃん⇒夫
で働いていたらしく、坊ちゃんは夫にとっては「パワハラ上司」だったらしい。深く納得しましたが、夫・・・不憫すぎる
そして、それ以上に「いい加減、学んでやめとけばいいのに」とも思ったのでした
友人からのご紹介でしたが、とても楽しかったですよ