一度書いて番外編かよ!という突っ込みもあるかと思いますけど、それは置いといてWハート

かなり、怪しさが増します
異論反論があるかもしれないですけど、それぞれの感じかた、という事でスルーしてくださいね
 
日々メッセージをお伝えしてるんですけど
私は、湧いてきたという表現を使っています
その理由についてお話ししますねウインク
 
 
私が、メッセージを書くとき
『降ってきた』『湧いてきた』という表現を使うのは、昔から神、仏、宇宙、マスター、ハイヤーセルフの違いが分からなかったからです
あと、『どの存在から…』と書くことに強い違和感を感じるから
 
それは、それぞれの言葉の違いではなくて
存在の境が分からなかったから
なんです
 
で、今夜は久しぶりに体調が回復し、瞑想をして聞いてみたので、そのお話をします
 
私は、真っ暗な部屋で瞑想をします
始めると直ぐに眩しい白い光を感じて身体が整い熱くなるんです
そして、周りと自分、部屋と外の境界が溶け合います
 
光と熱が良い感じになったら(表現が難しいんですけど、あえてタイミングをいうならば『ピークを感じたら』でしょうか?)
メッセージが湧いてきたり、聞いてみたりするのです
 
で、今回は『神と言われるもの』について聞いてみました
何と呼べば良い?
 
先程もお話ししたように、神、仏、宇宙、天使、マスター、ハイヤーセルフ
全ての表現に違和感があるので
 
回答は
どの存在もすべて同じ
違いは、伝える(感じる)相手の視点に添った
姿、形、能力、役目が付けられただけ
だから、呼び名もない
とのことでした
 
(私は、あまりスピリチュアルな世界、表現に詳しくはないのですが
こういう状態を『ワンネス』と言うのかなぁと思いながら聞いてました)
 
だから、宗教対立、戦争などの多くの争い事は全て視点(価値観を置く位置)が違うから起きただけ
豊かさと貧しさも、どこに視点をおき、どこにクローズアップするかの違い
 
それに気付けばいのにねぇ
そうしたら、調和の世が訪れるのに
とのことでした
 
 
結局、降ってくる言葉、湧いてくる言葉は、私は『誰からのものですよ』と特定してお伝えできないという結論
 
だから、私の日々のメッセージは
『湧いてきた』としか書きようがないなぁというお話です
 
 
また、瞑想中に、誰かのスピリットを見ることがあります
そのスピリットの形は、『誰か』から与えられた形
その人が龍だと思えば龍だし、狐だと感じれば狐
その人がイメージしやすい、馴染みやすい形をとって現れます
 
だから、私が自分のスピリットを感じるときは『無』の状態
 
使う役割的に得意と思われる形を意図します
こんな時は『龍』(龍でも、色により得意が違うと思っているので心に関する仕事なら赤龍とか…)
こんな時は『風』
などなど
 
もちろん、自然に生き、生活している本来の姿をもつ存在はいます(神と言われる存在です)
が、それらは私たちには全く無頓着
それぞれが為すべきことを、為しているので、私たちに干渉することはありません
(感謝、文句は言うけど…)
 
私のスピリットの使用事例は
・滞りなどを流すときは青龍
・精神的に作用するときは赤龍
・相手の意識に作用するとき、力が必要なときは黒龍
<実例>  全て遠隔で行いました。で、相手の名前は知る必要ない方法です
 
ある人が借り物を返さないからどうにかして欲しい、という依頼でした。その物は、既に不用品とされ、放置してあるのが感じられたので、その物に力を与え、『相手がその物を不要だ』と感じさせるのが一番早い。そして、要らないと思ったときに、返すべき人を思い浮かべるように物から念を出す。そんな風にするときは黒龍に頼みました(何年か返らなかったものが返るまで、4ヶ月くらいかかりましたけど)
 
・日常的に呼ぶときは白龍(オールラウンドプレイヤーな感じ)
・広範囲の咒や穢れを祓うときは風
・人の心、物などの穢れを流すときは水
 
そんな感じです
 
動物はあまり意図しません
理由は分からないです
 
龍が、私にとって一番意図しやすいのかもしれないですね
狐や狼(犬)だと、神使のイメージが強いので
 
そんな感じで、小さな頃からやってます
 
なので、メッセージは誰から?
スピリットは何が何体?
なんて聞かれても『分かんない』としかお答えできないから、分からないと言っていた
そんなお話でしたキラキラ
 
追記 
もちろん、それらが高次のものであるのか、それを騙るものなのかは分かります
どうやって、精査するかというと『密度』『質』を感じるというか何というか…
光の存在は、やはり軽くて細かい 
次元が下がると、重くて荒い
圧倒的に違うのは、光の強さ 
だから、分かりやすいんです