最近身体に意識を向ける事を掘り下げているのですが
すると…身体を無意識で使っていた事に気づき
またそこに記憶や感情までもが根強く埋まっていることがあります
そんな身体と対話する時には「感じる」ではなくて身体を「観じる」
同じ「かんじる」でもその奥深さが違っていて
内観や観察などの字をみても見るよりも
もっと深い部分を観るような
心を込めるような意味があるようで
辞書では
かん・ずる【観ずる】
〈サ変〉よく見つめて,深く考える。観じる。「人生を~」
感じるとも見るとも表すような
「感じて見る」ような意味合い
この「観じる」
観自在菩薩の観でもあるのですが
自在に観る…
見えないものを自在に観ると言う意味
私達の中にある様々な感情がこの世をつくり自分達の環境をつくるということを伝えている…
そんな意味が仏教の中には込められている事に気付かされ感動してしまいました
観音様も「観じる音」
音は波動だから…波動を観じる
心の声や魂の声を観るなのだろうか?
何だかお釈迦様や仏教の意味深さに今更ながら脱帽です
人は内側にある見えないものが満たされていれば幸せになるんですものね