生まれた翌年に戦争が始まり、幼児期は悲惨な3年8ヵ月。
自分を不幸だと思ったことはありません
幸だ不幸だと感じているゆとりがなかったとも云えます。
7,8歳の戦災孤児が上野のガード下でタバコを吸いながら靴磨きをしていました。
盗みもしました。
嘘もつきました。
あの頃 盗み癖がついた高齢の犯罪者が多いというドキュメントを見たことがあります
私が通った学校でも
クラスに親のいない子は何人もいました。
母の日になると
赤と白のカーネーションを1本10円で買って胸につけました。
10円は赤い羽根共同募金のようなものでした。
お母さんのいる子は赤いカーネーション
お母さんがいない子は白いカーネーション
先生はおっしゃいました
「お母さんが亡くなったひとは、
お母さんを思い出して“ありがとう!”っていいましょうね。」
白いカーネーションをつけたお友達には声をかけます。
「お母さん、死んじゃったのに元気に頑張ってて偉いね!」
それを聞くと大抵泣き出します。
さんざ泣いた後、思い出話を始めます。
「私のお母さんね。耳かきがとってもうまかったんだよ。
お母さんのおひざに頭を乗せて、耳掃除をしてもらうとね。
とってもいい気持ちだったんだよ。」
そしてまた、少し泣いて…
あとは元気にみんなでキャーキャー言いながら校庭でデッドボール!
数年続いたその習慣は禁止になりました。
差別だとか
悲しいことを思い出させるのは良くない…だとか
誰もが母親が亡くなったことに触れようとしなくなり
母親を亡くしたこどもは
ひとりで泣くしかありませんでした。
母親の思い出を話す機会もなくなりました。
哀しみや怒りを封印したら…ひとの心はどうなるのでしょうか…
悲しいこと
辛いこと
理不尽なこと
人生で必ず出会うことに三猿でいいのかな?
臭い物には蓋…でいいのかな?
私はずっとそう思っています。
埼玉県の秩父神社には「お元気三猿」の彫り物があるそうです。
「よく見て よく聞いて よく話す」
コロナ禍で生計の道を閉ざされたひとたちは今
精一杯頑張っていると思います。
自分で頑張っているという意識もなく…
必死だから…
「よく頑張ったなぁ!」と思えるのは
コロナ禍が終息して ずっと経ってからだと…
そんななかで
もう怒る気力もありません。
ああ、私たちの血税が…
信仰心のない私ですが
たまに
大愚和尚さんの話しに耳を傾けます。
宗派を超えて素直に耳に入ります。
身近な世間話のようななかに
目から鱗って感じで目の前が明るくなったりします♪(笑)