『1月18日』は心に永遠に刻まれる日。

 我が子、啓子との死別。ともう一つ、この日は家内がくも膜下出血で病院に駆け込んだ日。

 2004年1月18日、朝6時前に自分が会社に行く準備をしていた時に、蒲団の上で家内が頭が痛いと言い出した。普段、何事にも我慢強い家内がかなり痛がっていたので、すぐに救急車を呼び同乗して、緊急対応の小倉記念病院に行った。

 その日は手術が立て込んでいたために、かなり待たされて検査を終えた段階で医師から生死は半分半分と言われたことで、頭が真っ白になり涙があふれ出て泣きじゃくった記憶がある。

 娘の啓子は後から病院に駆け付けて一緒に手術を見守ってくれた。でも、彼女は涙を見せなかったし、翌日は当時大学1年生だったがいつもと変わらず平然と大学に行った。

 

その時に、この娘は自分の将来を見据えて夢の追いかけている、と感じた。 

彼女はその後も学校は休まず通い動揺の素振りもみせなかったが、意気消沈したと思うがその悲痛を耐え忍んでいた。

まさにその姿は母親譲りの忍耐力だったと当時を振り返る。

 

そして、2005年1月18日悲惨な事件となった。

既に19年が過ぎて毎朝、線香を焚き、ひとこと話しかけて一息ついている。

「供養とは亡くなった人が喜んでくれる暮らしをすること」と或る記事にあった。

 供養はどうかと思うが、精一杯楽しんで生きている。