本日のランチはアルプラザ金沢敷地内にある魚屋さん「魚笑」さんで刺身定食の並をいただきました。
並、上、特上とランクが上がるとドンドングレードアップしていきますが、並でも十分なボリュームがあります。お魚は新鮮でいつも満足でリピーターの仲間入りをしています。
ぜひ、お試しを。
 
 
 
 

 
小松空港の1階で不思議なイベントやってました。





「2018/06/17」はクリップブログで投稿しました。
終わりに

さて、長編《行基と明覚の夢対談・山代陸軍病院史》を読んで頂だき、誠にありがとうございました。現在、この陸軍病院跡地はどのようになっているのか。草が生え茂り、このまま放置すると、やっかいなことになりかねません。町民が望んだ「共浴場」の建設を無視し、前市長は、共浴場建設拒否の理由と跡地利用方法を明らかとせず、現在放置し、市長を退任しました。一部を駐車場としてのみ利用させているが、多額な利子の支払を続けるつもりだろうか。寺前新市長の手腕が問われることになりそうです。住民の皆さんも是非この陸軍病院の跡地利用について関心を持ち、山代の地にとって最良の利用策を提言していただきたいものです。 

本陸軍病院史については、加賀市史、やましろ、永井泰蔵氏の研究記録簿、浅野甚一氏の市民向け配布物、その他各種資料など、山代地区の偉大なる郷土史家や議員の書籍、書物、記録等を参考にさせて戴き、感謝申し上げたい。また、47年前に他県から当地に転居してきた私が、勝手にご当地の歴史の一部を紐解いた関係上、私説が優先した箇所も多々有ったかと存じます。登場する関係者の方々にご迷惑をお掛けした箇所が有ったとすれば、お詫び申し上げます。
これを機に、「山代温泉の湯」について、住民が更に興味を持ち、天が与えた財産、地が与えた利益に関心を持ち、住民のために、どのように保存、管理すべきかを検討してもらいたい。


         山代温泉まちづくり推進協議会  総務理事 荒木昭義
                    (広報やましろ編集員)
  登壇する歴史上の人物像・寺院など追録

霊宝山薬王院温泉寺(真言宗)
神亀2年(725)、行基が白山登山の道中、カラス(霊鳥)の導きを受けて温泉を発見し、入浴して効能を感じ、自ら薬師如来、日光菩薩、月光菩薩、十二神将を彫刻して、温泉の守護神にした。長徳3年(997)、花山法皇が北陸地方を巡ったとの伝えも有り、荘園の寄付や、勅願所(天皇の命令で国家を鎮め譲ることを祈願した寺社)として栄えた。
また後年、明覚上人が七堂伽藍を建立。寺号もこの時に付けられた。
平安時代末期には、白山五院の一つとして、江沼地方の白山信仰の拠点になり、末寺や別院を数百保有。天文21年(1552)には、越前朝倉義景の兵火により焼失したが、江戸時代前期に大聖寺藩主前田利治の遺言により再建され、「お薬師さん」として親しまれている。
以来、再興伝祚の霊泉山代の守本尊として遍く崇拝されている。
平成八景の一つで、朱塗りの山門をくぐり抜けると、静寂な境内には、十一面観世音菩薩をはじめ多くの文化財がある。さらに境内山上には、明覚上人を供養した五輪塔が建ち、借景の萬松園一帯が紅に染まる秋の紅葉は、ひときわ壮麗である。
十一面観世音菩薩は、平安時代初期の一木造(一本の木から彫りだしたもの)の仏像。
白山五院の一つ、大聖寺の別当慈光院の本尊だったが、慶長5年(1600)大聖寺城の山口玄蕃が滅びたとき、兵火をさけるため池に投げ込まれ、その後、山下神社に祀られていたが、明治になって薬王院温泉寺に安置された。石川県指定文化財。
温泉堂
白山末寺の温泉寺は、言うまでもなく、加南の温泉堂群の一つであるが、所在は必ずしも明確ではない。しかし一応、山代薬王院をその後身と考えてよいだろう。
加南の温泉堂の縁起が、粟津大王寺を除いて、山代薬王院・山中医王寺など、いずれも行基を共通の創始者に求めているのは、もとより史実ではない。畿内を中心に、幅広く人民の間に足跡をのこした行基であるが、その行基が、このあたりまで足を伸ばしたわけではない。しかし、温泉が療治の場であったころ、疾病を高価な祈祷や薬石によって癒す手段を持たなかった古代・中世の人民が、病苦をのがれる手だてを温泉に求め、その温泉を守護する神仏の創始者を、すぐれて在野的な仏教徒として著名であった行基に仮託したのは、決して理由のないことではなかった。むしろ、行基という高名な民間仏教徒を共通の祖としているところに、特定の領主の氏寺とも異なり、村落単位の住人の結束の場であった村堂とも異質な、温泉堂の特殊性が鮮明に示されている。

白山五院
白山を神のいる山として、その神が麓の人々の生活を守護するという「白山信仰」の中心になっていた寺院で、温泉寺、柏野寺、極楽寺、小野坂寺、大聖寺の五寺をさす。
現存するのは温泉寺だけで、薬王院温泉寺の「白山妙理大権現」(加賀市指定文化財)は、白山信仰のためのものである。また、平安時代中期の「白山之記」によると、白山五院のほかに白山三箇寺として那谷寺(現在の寺は江戸時代初期に再興されたもの)、温谷寺、栄谷寺があったとされている。
白山妙理大権現堂は、薬王院の十一面観世音菩薩を納めてある建物。明治2年(1869)の神仏分離令によって、現在の服部神社に合祀されている白山権現社(御神体は十一面観世音菩薩)から移された。もともと白山権現社は地域の守り神で、現在でも密教(大日如来が説いたと言う奥深い教え)の寺院は混淆になっている。
十一面観世音菩薩は、長い間温泉寺本堂の中に祀られていたが、昭和39年(1964)現在の位置に、源泉の方を向いて再建された。

高僧行基
天智7年(668)~天平勝宝元年(749) 奈良時代の高僧。
父は百済系渡来人氏族の末裔西文氏(かわちのあやし)一族の高志氏才智とされる。母は河内国(のち和泉国)大鳥郡の蜂田首(現在の家原寺)の出身。
河内国大鳥郡(現在の堺市)に生まれ、15歳で出家、道昭を師とし、法相宗に帰依する。
24歳の年、受戒。初め法興寺に住し、のち薬師寺に移る。やがて山林修行に入り、この間に優れた呪力、神通力を身に付けた。37歳のとき、山を出て民間布教を始める。
和銅3年(710)の平城遷都の頃には、過酷な労働から役民たちの逃亡・流浪が頻発し、これら逃亡民のうち多くが行基のもとに集まり私度僧になった。霊亀3年(717)、朝廷より「小僧行基」と名指しでその布教活動を禁圧される。この時の詔には、「妄に罪福を説き(輪廻説に基づく因果応報の説)、朋党を合せ構えて、指臂を焚き剥ぎ(焼身自殺・皮膚を剥いでの写経)、門を歴て仮説して強ひて余の物(食物以外の物)を乞ひ、詐りて聖道と称して、百姓を妖惑す」とある。また僧尼が許可無く巫術(舞を以て神を降す)により病者の治療をすることも禁止している。こうした弾圧にもかかわらず行基集団は拡大を続け、養老6年(722)には、平城京右京三条に菅原寺を建て、以後、京住の官人層(衛士・帳内・資人・仕丁・采女など)や商工業者などにまで信者を広げていった。養老7年の三世一身法は自発的な開墾を奨励し、これを機に池溝開発始め、各地の派し堤防を築いたり、寺院や道路の建設、湧水や温泉の掘削をした。行基の活動は急速に発展、その声望は各地に高まった。
神亀2年(725)に泰澄と出会い、白山権現の由来を聞き、この後、行基は泰澄の通った越前大野~白山のコースをたどって白山に行き、帰りに山代で温泉を発見し、開湯したと言われている。やがて、行基の影響力を無視し得なくなった朝廷は、天平3年(731)、高齢の優婆塞・優婆夷の得度を許し、天平12年頃までには行基を薬師寺の師位僧(上級官僧)として認める方針をとった。同年の恭仁京遷都を境に、新京造営・大仏建立といった政府の事業に行基とその弟子の参加がみられるようになる。聖武天皇は行基への傾倒を深め、紫香楽遷都直後の天平17年正月には、異例の大僧正に任じている。また、平城遷都後の天平19年(747)には、光明皇后が天皇の眼病平癒を祈り、行基から命じて新薬師寺を建立したという。天平21年(749)1月、聖武天皇に戒を授けた。その翌月、菅原寺東南院に遷化し(82歳)、遺言により火葬に付された。
行基は高僧であるとともに歌人でもある。平安時代中期の拾遺集や今昔物語、十訓抄、古事談などにも逸話と共に、行基作の歌を伝えている。

    
    百くさに 八十くさそへて 賜ひてし
       乳房のむくい 今日ぞ我がする  (拾遺1347)

     (釈)百石に八十石を添えてお乳を与えて下さった母上の
                  乳房への恩に今私は報いることだ。

*人は赤子の時、母乳を百八十石飲むとの仏説に拠るもので 人間味溢れる代表的な一首である。
行基による開湯伝説がある温泉は全国に多々ある。
温泉伝説には、二通りがあり、「鳥類バージョン」と「病人バージョン」がある。
鳥類バージョンは、不思議な雲がたなびき、湯煙がありカラスなどの鳥類が癒されていたなどの発見説。
病人バージョンは、病人が無理難題を訴え、それを行基が何気なく受け止め、時には、身体の腫れ物(膿)を吸い出してやったところ、病人の身体がボロボロに崩れ、中から金色に輝く仏が現れる。この仏は温泉の行者で、温泉を開放して多くの病人を救いなさいとの伝えで温泉を開発したとされる伝説。
行基が発見したとされる主要温泉伝説
     山代温泉・山中温泉・東山温泉・草津温泉・野沢温泉・湯田中温泉
     有馬温泉・木津温泉・湯河原温泉・塩江温泉など

泰 澄
泰澄の生没年は不詳。奈良時代の中期の山岳修行僧。
白山の開山者と言われている。越前国麻生津(福井市)に生まれ、少年の頃から福井県の越知山に登り、白山に行きたいと願っていた。養老元年(717)二人の弟子と共に初めて白山に登り、十一面観世音菩薩に通じて悟りを開いたという。その後、3年間白山にこもって修行した。このような修行が都でも知られるようになり、天皇を守る僧侶(護持僧)になって「神融禅師」の位をもらった。人々から「越の大徳」と呼ばれる中で、神亀2年(725)行基と出会い、白山権現の由来を伝えたという。この後、行基は白山に行き、途中の山代の温泉を発見したとされる。また、天平9年(737)に大流行した天然痘をしずめたので、大和尚
 (法印大和尚位の略)の位をもらい、その後「泰澄和尚」と呼ばれた。

花山法皇
安和元年(968)~寛弘5年(1008)。第65代天皇。第63代冷泉天皇の第一皇子。叔父の円融天皇のあとを受けて即位したが、中宮の死と藤原兼家・道兼の裏切りの為、わずか1年9ヶ月で京都東山の花山寺に入り出家した。なお、位を譲って仏門に入った天皇を「法皇」という。時に19歳だった。突然の出家について「栄花物語」「大鏡」などは、寵愛した女御藤原忯子が妊娠中に死亡したことを素因とするが、「大鏡」では更に、藤原兼家が、外孫の懐仁親王(一条天皇)を即位させるために陰謀を巡らしたことを伝えている。兼家の三男道兼は、悲しみにくれる天皇と一緒に出家するとそそのかし、内裏から元慶寺(花山寺)に導いて出家させた。ところが天皇落飾の後、道兼はそのまま逃げてしまい、天皇は欺かれた事を知って、歯ぎしりをしたと伝えられている。
出家後は比叡山・熊野・播磨書写山を転々とし、厳しい修行を勤めたあげく、大変な法力を身に付けたという。正暦の頃、帰京し、近衛南・東洞院東にある邸に住んだ。この邸は後に花山院と呼ばれ「花山法皇」の追号の由来となった。だが、晩年には忯子の妹と関係を持とうとしたところ、内大臣藤原伊周との間で揉め事(両者が交際していた妹はそれぞれ別の妹であったが、伊周が法皇に横恋慕されたと勘違いしたのだと言う)を起こして、遂には伊周と弟・藤原隆家が法皇に矢を射掛けて、矢が法皇の袖を突き通した上に、別の矢によって法皇の従者を死亡させるという事件が起こった。(長徳の変)
花山法皇は当世から「内劣りの外めでた」等と評され、乱心の振る舞いを記した説話は「大鏡」「古事談」に多い。その一方、絵画、建築、和歌など多岐に渡る芸術的才能に恵まれ、ユニークな発想に基づく創造はたびたび人の意表を突いた。「拾遺和歌集」の選者である。

「温泉寺略縁起」によると、花山法皇は北陸を旅した時に、山代温泉に浴したとされている。その夜、精舎(寺院)の建立をするよう夢のお告げがあり、その後、随僧であった明覚が七堂伽藍を建立し、これが霊方山薬王寺だとされている。なお、勅使町の法皇山や那谷寺などにも花山法皇にちなんだ伝説が残っているが、現在のところ花山法皇が北陸を訪れた記録は確認されていないのである。
ちなみに、勅使町の「法皇山横穴古墳群」とは、6世紀後半から7世紀後半に造られた、自然の地形を生かした横穴の古墳。被葬者は分からないが、総数は八十基を超える。一つの墓に何人かを葬る家族墳と考えられる。国指定史跡となっている。名前の由来は花山法皇の御陵と言う伝説に基づいている(ゆかりの地とも言われる)が、定かではない。
  
明覚上人
天喜4年(1056)~嘉承元年(1106)の説もあるが定かではない。
平安時代中期の天台宗の学僧である。温泉房又は唯心房と号し、また賀州上人とも称せられた。比叡山延暦寺に入って覚厳に師事して天台教学を学んだ。比叡山に五大院を開創した安然を慕って、悉曇学(しったんがく)を修学し、加賀国温泉寺に移り住んだとある。
その寺が山代温泉の薬王院温泉寺であり、初代住職(第三世とする説もある)となった。
悉曇(インドの梵字・サンスクリット文字)は奈良時代に中国から伝来し、天台宗の僧たちが研究した。その後、明覚は独学で、漢訳された仏典の訳語の違いを研究し、日本の「あいうえお五十音図配列」に大きな影響を与えた。
「悉曇大底」「反音作法」「四家悉曇記」「悉曇要訣」「梵字形音義」などを著す。これらの著書の多くには「加州隠者明覚撰」とあり、加賀で作成されたことが明白である。これらの諸著書の中で仮名による反切の方式を述べ、「五十音図」を示した。

山代温泉の守護仏を祀る薬王院温泉寺後方の薬師山には「メカクシサン」と呼ばれる供養の五輪塔があり、現在は祠が建てられている(国指定重要文化財・明治31年に温泉寺住僧明覚上人の供養塔と断定された)
薬師山境内には多くの自然が残されており、樹齢約300年のヤブツバキを見て、与謝野晶子は「九谷なるかまが作るも山代の薬王院に咲けるも椿」と詠んだ。推定樹齢700年のスダジイなども多く群衆している。「メカクシサン」に関する言い伝えがある。昔から五輪塔に触れると眼がつぶれると言われ「眼隠しさん」が変化した言葉と考えられる説や、眼病に効験ありと言われ、「明覚さん」の転訛とも言われている。
この五輪塔は各輪正面にのみ、蓮弁円相の中に五点具足を加飾した種子による大日真言が、立体的にデザインされた蓮台紋様の上にあらわされている。その優雅さと、塔全体の安定感のある形態、火輪のわずかな反り、種子の明瞭な薬研彫りなどから、制作年代は下っても鎌倉時代の範疇と推定される。空・風輪は風化が進んでいるものの、全体に保存状態は良好で我国の墓塔の変遷を知る上でも、貴重な資料であると言われている。昭和53年保存のために設けられた覆屋の中に安置されている。明治35年ころ、萬松園公園を造るため発掘しようとしたが、言い伝えを信じる人たちは発掘したがらなかった。ところが勇敢な男が掘り起こして石棺のふたを開けると、埋葬した原形のままの白骨があり、風化していたため空気に触れて骨はバラバラになってしまった。発掘した男は、その夜から奇妙な熱病になり、三日後に死んでしまった。恐ろしい事なので、人々が再びもとの位置に安置したと伝えられている。
第九章 戦後の陸軍病院跡地と温泉権

行基 「さて、総湯の温泉問題は解決したようだが、昭和20年に終戦を迎え、その後、陸軍病院跡地はどうなったんだ。これも住民の関心事だろうなぁ。何分にも無償で提供した土地だからのぅ。また、陸軍が2万円で買った温泉はどうなったんじゃ。」
明覚 「はい、組合側と国との間で昭和11年の和解協定書の文言の前提や解釈で、双方の意見が異なり、源泉使用権についての訴訟がおきました」
行基 「やっぱり問題が起きたか。協定書の内容も具体的では無かったからのう」
明覚 「昭和33年に加賀市合併で山代財産区が設立され、その初代正木哲郎管理会長が要望書を厚生省に提出したんです。その内容の一部に、明治45年山代分院創立当時、不用となりたる場合には、優先町へ払い下げとの契約があったとされているんです。不幸にも昭和12年6月の山代大火の折、役場が類焼し関係書類を焼失したので、当時の具体的な契約内容が不明ですが、そのような記憶があるので、何卒財産区に優先払い下げ下さるようにと要望しています」
行基 「と云うことは、温泉所有権が厚生省にあることを認めているようなもんじゃな」
明覚 「国は、温泉の使用権を当然有していると解釈していますから、病院を廃止した後に、公務員の保養所(共済組合連合会)を建設することを目的として、昭和32年4月に温泉定期供給契約書を締結しているんですよ。その概要の一部は次の通りです」

1・この契約で温泉とは、国立山中病院山代分病棟敷地内に国が掘削した温泉源から国が採取した温泉をいい、分湯とは、該温泉を供給することをいう。
2・将来この温泉権[昭和11年8月11日付国(元陸軍省)代表者と山代町鉱泉営業組合員正木哲郎外16名との協定書第1条による権利]を処分する場合は、優先的に共済組合連合会に対して譲渡することを考慮するものとする
3・一日100石の温泉を分湯する
4・分湯料として一ヶ月3000円とする。
国立山中病院厚生事務官と非現業共済組合連合会(後の国家公務員共済組合連合会)との間で締結した契約書概要
             契約締結日 昭和32年4月1日

行基 「明覚や、厚生省は土地や温泉の権利を要望した財産区に譲渡してくれなかったのか」
明覚 「そんなに簡単ではありません。更に、昭和36年、鉱泉宿組合側は国立病院が廃止されたので、温泉の供給契約の目的が消滅し汲み上げ使用する権利を喪失している。よって汲み上げを禁止すると訴訟したんです」
行基 「国は自分のものだと解釈し、連合会に賃貸しようとしているし、どっちの言い分が正しいのか、分からんな。明覚や、ややこしなったなぁ」
明覚 「和解協定書の締結時点で、温泉専用権が組合側にあることを前提として解釈していた組合側と、国側は代金を支払い温泉使用権は自分のものと解釈していた。これは解釈の相違が争点となったのです。この訴訟に対して、地裁で和解案が提示され、双方と参加人などは、これに同意したのです。請求主旨と和解条項の骨子は次のようです」

請求主旨と和解調書

昭和36年に原告(いづくら・あらや・西野屋の経営者)が被告国として訴訟した主旨。
(請求主旨)原告等は先代から山代温泉に対するいわゆる温泉専用権を承継している。専用権とは地下の源泉から温泉を独占的に汲み上げた上、これを引湯して使用することを慣習法上認められた排他的な利用権でいわば一種の物権的権利である。従って、原告等は温泉専用権を侵害する者に対しその侵害の排除を請求しうる権能を有する。
陸軍病院がなした削井工事に仮処分の申請をし勝訴したが、昭和11年に次のように和解した。
1・国は山代温泉に対する温泉旅館業者側の源泉専用権を認めること
2・業者側は適当な地点において一大削井を試み温泉の大量湯出を図ること
3・傷病兵療養のため陸軍側において温泉増量の必要が有る事を認め業者は協力すること
4・字山代(山代町)、国(陸軍)ともに業者側の承諾無く新堀削をないこと
この諸点において意見が一致し11年8月11日温泉旅館業者側に温泉専用権があるとの前提のもとに、和解協定書が締結された。
終戦後陸軍は廃止、厚生省の所管に引き継がれ名称も国立山中病院山代分院と改定。
一般傷病者の治療に切り替えられ、温泉は引き続き使用された。
昭和34年4月1日山代分院は廃止された。
昭和36年8月11日病院敷地(八の74番の1、4279坪9勺)から温泉汲み上げ場所を含む74番の3、敷地1坪を分筆登記し、鉱泉地に地目変更、陸軍病院がなくなりこれを使用することを認めた「温泉供給契約」と解すべきだが存続期間を特に定めなかった。しかし、国立病院も廃止されたので、供給契約は目的の消滅となるべき。鉱泉地から汲み上げ使用する権原を喪失。汲み上げ禁止を請求する。
昭和41年3月25日金沢地方裁判官村田義弘が提示した和解条項
(和解条項)原告、国、共済組合、鉱泉組合、財産区は山代温泉を保護し、その利用の衡平を図り共存共栄的発展に一致協力することを確認した上、次のような条件で和解する。

国は、鉱泉地1坪から一昼夜200石を超える温泉又は鉱泉を汲み上げない。
国及び共済組合は、敷地で新温泉堀削をしない。
200石に満たない場合は、国は現在の井の深度以上に堀削又は適宜な設備を講ずる。尚不足する場合は組合、財産区は連帯責任で無償により不足量を補給する。
その補給費用は共済組合が負担する。
200石以上自噴する場合は、超過分を組合に無償で給付する。費用は組合が負担。
原告は、昭和36年の訴訟を取り下げる。
被告国はこれに同意する。    
  参加人山代鉱泉営業組合、山代財産区、国家公務員共催組合連合会

行基 「汲み上げを禁止するよう提訴したのに、この和解条項から推察すると、国の鉱泉地から湧出する温泉200石は、国のものだと確実に認めたようなものじゃな」
明覚 「そのようにも受取れますね」
行基 「明覚上人や、益々温泉問題が複雑になってきたなぁ。そもそも温泉は、ワシが見つけられるくらい自然の恵みじゃなかろうか。確かに鉱泉宿組合側は、これを古来より利用してきたもので専用権を有し、代々が承継し独占的に地下源泉から温泉を汲み上げ、これ引湯して使用することを習慣とした。これは認めねばなるまい。しかし、この権利を売買する事も可能ではないのか。陸軍が大枚2万円を支払い、これを売買により権利を取得したと解釈したのも理解できる。現在、鉱泉宿組合では、第三者に転売出来ないよう規約を締結しているようなので、新旅館経営会社は、旧経営者(組合員)から転貸で温泉を利用している。但し、組合の承諾が必要だとも聞いている。厳しい管理下におかれているようだ」
明覚 「行基和尚、良くご存知で。そうらしいです」
行基 「本来、温泉は住民のものであって欲しいよなぁ」
明覚 「実は明治23年に山中村役場から山代村役場に山代温泉の形態、所有権、使用状況など温泉権についての問い合わせがあり、山代村役場は同年8月13日に回答した公文書が残っているんです。次のように記載されています」

   坤第三十四号
原湯  鉱泉地反別壱歩  持主 亀谷龍雲外参百壱名
         地価 壱千四百弐拾円四十三銭七厘
 
総湯  主反別壱畝拾九歩
         地価 弐百十弐円六拾八銭九厘

取締ノ方法
総湯ハ湯番両名ヲ常住セシメ、之レヲ監守ス。湯番者、湯持総代ノ指揮ヲ受ケ、総湯ニ関スル取締及ビ清潔法掃除方ハ勿論、毎週此者ヲシテ湯ノ交換掃除方等ヲ執行セシム。
又、夜間ハ十時後三回湯側等ヲ巡羅ス。

 費途ノ収支
一・原泉鉱泉地租ハ、使用人温泉宿業永井捨次郎外十七名ヲシテ之ヲ収納セシム。
一・総湯仝上地租ハ字山代部落住民之ヲ負担ス。
一・原泉鉱泉使用料トシテ毎年金参拾円使用人永井捨次郎等ヨリ山代部落ヘ支出ス。
一・総湯ノ費用ハ永井捨次郎外十七名之ヲ負担ス。字山代部落住民ヨリ使用料トシテ収納スル金参拾円、総湯ノ費用トシテ、之ヲ使用者ヘ支出ス。
一・総湯入浴者ヨリハ別途湯銭ヲ徴収セズ。
一・区ノ営造物トナスノ有無。
当温泉各温泉宿屋毎戸浴室ノ設ケアルヲ以テ、浴客ハ専ラ内浴ニ入湯ス。
惣湯ハ字山代部落住民ノ専ラ入浴スル習慣ニシテ、住民ハ主権者ナルモ、従来ノ慣例ニヨリ総湯ヲ温泉宿屋ニ使用セシメ、建物等ノ保存、且其費用ヲ支弁セシムルニヨリ、該使用権ハ温泉宿屋ニアリ。依テ今一区ノ営造物トナス等ノ必用無之ニヨリ、目下ハ従来ノ儘之ヲ存置スルノ見据ナリ。

右亨第百三拾六号第依頼ニヨリ及御回答候也

  明治二十三年八月十三日
    石川県江沼郡山中村役場御中
               石川県江沼郡山代村役場   印

行基 「ここに出てくる原湯持主の亀谷龍雲とは誰なんじゃ、村長か、それとも村民の責任者か」
明覚 「はい、実は私の後輩で、当時の薬王院の住職なんです。温泉に関しては、村民代表ではなく、私の寺院が責任者だったようですね。また、亀谷住職が明治7年に記録した《当山歴代記》では、薬王院の私が第一世で、当亀谷住職は、第三十七世となっています。
この時の山代村の世帯数が301軒だったのではないかと、この公文書により推定できます」
行基 「明覚や、原泉鉱泉使用料を山代部落へ支出するとあるが、これは何を意味するのか」
明覚 「良く分かりませんが、旅館側が使用料を支払っていたのでしょう。江戸時代中期において住民が利用する総湯の名称は、惣湯という名称を使っていました。この[惣]という字には、次のような意味合いが有ります」

鎌倉末期から室町時代に発達をみた村落における村民の自治組織で、名主の中から選ばれた乙名、年寄、沙汰人などを中心に、寄合いにより掟を定め、入会池・灌漑用水などの共同管理や年貢納入の請負などを行った(百科事典より)
また後に発表された、温泉評論家石川理夫さんの文章には「温泉は元来共有(惣有)財産」と記載しており、惣という字の意味を深く考えたいものである。

行基 「つまり今の総湯の前には、惣湯と名乗り、村民が所有し、管理していたのかも知れんな」
明覚 「行基和尚。これ以上温泉に関して深入りすることは止めましょう。現在の住民が考え、後世の人々が正しく判断するでしょう。それより、もっと住民も旅館側も、薬王院の存在の意義を考えて欲しいものです」
行基 「左様じゃな。薬王院を大事にしなきゃ、バチが当たるぞ」
 
終戦後の陸軍病院跡地などに関しては、次のような経緯を辿る事と成りました。

昭和21年4月 国立金沢病院山代分院を経て国立山中病院山代分院に移管される
昭和23年2月 大蔵省から厚生省に所管換となる
昭和25年7月 山中病院山代分院から山中病院山代分病棟に名称変更
昭和32年4月 厚生省が当該敷地の内、一部を非現業共済組合連合会(国家公務員共済組合連合会の前身)に売却。両者間で「温泉定期供給契約書」締結
昭和34年3月 国立山中病院山代分病棟閉鎖
昭和36年7月 鉱泉組合が、国立病院も廃止されたので汲み上げ使用する温泉の目的を喪失したので汲み上げ禁止を請求し金沢地裁に訴訟。
昭和36年8月 厚生省は病院敷地1坪(山代温泉八74番1) を分筆し鉱泉地に地目変更
昭和36年11月 厚生省は当該敷地の一部を更に国家公務員共済組合連合会に2度目の売却
        同時に鉱泉地1坪なども売り払う予定としたが鉱泉組合より提訴あり保留。
昭和39年12月 国家公務員共済組合連合会が某銀行(保養所)に敷地の一部を売却
昭和41年3月 鉱泉組合と厚生省が昭和36年7月提訴の和解成立(金沢地裁より和解案提示)
昭和42年9月 厚生省が鉱泉地1坪、宅地(ポンプ小屋敷地)3坪を国家公務員共済組合連合会に無償貸付を開始
(土地賃借料 年間10,846円 配湯料 年間656,640円)
平成12年8月 国家公務員保養所「山代荘」(KKR)営業停止

行基 「病院から、国家公務員の保養所に跡地が変わり、それも時代の移り変わりで、終息を向かえることになったのか」
明覚 「温泉の使用権だけは、明らかにされず解決出来ないまま、空き地となりつつあるんです」
行基 「加賀藩主から譲受けた薬王院の土地を、山代村が半ば強制的に格安で買収し、陸軍に無償提供した曰く因縁付きの広大な土地であり、風光明媚な場所だけに、放置されてもなぁ」
明覚 「そんな折、県内外の建設業界に、この跡地を宅地造成して売却する計画のチラシが出回りました」
行基 「そりゃ困ったもんじゃ。どうする明覚や。こんなところが宅地造成されては大変だぞ」
明覚 「はい、そんな噂やチラシを見た地元区長会幹部が即座に行動しましたよ」
行基 「そうか、住民がいよいよ動き出したか」

平成12年9月 山代温泉区長会が国家公務員共済組合連合会及び厚生省に対して、当該土地売却の折は、是非地元を優先的に考慮されることを要請(請願書を送付)
9月28日、共済組合理事長寺村信行氏から、区長会長宛返書あり、国、県市を優先的に売買交渉し、不調となれば一般競争入札するので地元区も購入可とした。また、引湯権は厚生省に返還したとの回答あり。
厚生省からは返書無く、調査の結果、総務部で保管されて無視されていた。
平成12年9月 国家公務員共済組合連合会から加賀市へ購入の意志ありやと照会あり。
平成12年10月 区長会は山代住民に対してKKR跡地に市民湯建設に関するアンケート実施。アパート含め全世帯4750部に対し配布し、回収1859部、賛成及び条件付き賛成が93.8%となる。

行基 「区長会も素早い行動をしたもんじゃのう明覚や」
明覚 「はい当時区長会理事をしていた、ホレ、この和尚と私の夢対談を書いている者が、厚生省や共済組合への請願書を作成し、臨時区長会を開いている時間が無いし、当時の区長会長と理事2名のみの署名で、緊急発送しました。また、共済組合からの回答を得て、地元住民の同意を得ることが出来たら、この地を取得し、現在地の歴史的な総湯とは別に、加賀市民が利用出来る大型の共同浴場が建設可能と考えまして、山代史上初めての住民アンケートを作成し住民の意見を乞うたのも、この者でした」
行基 「折角行動したのだから、この者の夢が叶えば良いのじゃが」
明覚 「はい、アンケートの結果に基づき、区長会は更に、山代各種団体長の皆さんの署名を集めて、加賀市に陳情しました」   

平成12年10月 山代温泉区長会が加賀市に対して、KKR跡地・源泉の取得を要請。「市民福祉浴殿」(仮称)に活用するよう陳情書を大幸市長宛に提出。
鉱泉営業組合が共済組合連合会及び厚生省に対して、鉱泉地無償譲渡を請求。
平成13年7月 区長会は、加賀市議会議長宛、当該地に総湯の建設を要望。
平成14年3月 加賀市土地開発公社がKKR跡地を共済組合連合会から取得(2億2,500万円)
同時に市議会議員などを中心に跡地利用検討委員会を設置(市長の要請)
平成14年9月 厚生労働省から加賀市に鉱泉地1坪の売却打診あり。
平成15年8月 鉱泉営業組合、厚生労働省、加賀市が鉱泉地の取扱について協議
厚生労働省が加賀市に鉱泉地を取得要請。鉱泉組合はこれを強固に否認
やむなく厚生労働省は組合に対して売却することで国、市、組合が了承
平成15年9月 加賀市は組合が取得した場合、源泉を市に利用させてもらうよう要請
平成15年12月 厚生労働省が当該地を永井俊二郎(組合は法人格無く個人名で登記)に売払。代金は不詳だが、一説によると売買額は数百万円(800万円程度か)
 ・山代温泉八74番1 鉱泉地 3.3㎡
 ・八74番4 宅地 9.91㎡
平成18年12月に当該地の所有者は永井俊二郎・山下拓治、吉田眞啓共有
平成18年1月 鉱泉宿組合、加賀市、土地開発公社三者間で「当該源泉の利用に関する確認書」を締結  1日当たり160石以内を総湯に供給する
8月、大幸市長の強い要請により、山代温泉総湯再生検討委員会が設置され、これにより、KKR跡地での大型駐車場や露天風呂付の市民湯(総湯)建設は夢と化した。
平成21年4月 土地開発公社から当該地を加賀市が利息付加した額で買収(237,043,536円)
山代住民が希望した「総湯」が別の場所で建設されたので、現状は一時的に駐車場として利用されている。今後の利用目的は不詳。高い駐車場である。

第十章 行基と明覚の別れ

行基 「ところで明覚上人や、おぬしは薬王院の裏山(薬師山)に、廟があり、《めかくしさん》と呼ばれ、供養の五輪塔(国指定重要文化財)が有るそうじゃな。毎月10日には有志が集い、顕彰会を開いてくれている。うらやましいことじゃ。ワシなんか、山代の温泉を発見した最大の功労者なのに、祭事などが全く無いんじゃよ。精々、開湯1300年という山代の宣伝広告物に時々出てくるだけのこと。最初に見つけたお湯も無くなるし、トホホ。寂しい限りじゃ。明覚上人、ワシは全国で発見した温泉がどのような状況になっているか心配になってきた、ここらで山代をお暇し、また千の風になって見回って来るよ」
明覚 「行基和尚、また機会があったらお会いしましょう。今、山代温泉まちづくり推進協議会では、この薬師山の再開発公園化や私が約950年前に発表した《あいうえお五十音配列図》調査研究を始めまして、全国に発信するようです。ひょっとすると、陸軍病院跡地を利用する大規模な計画になるかも知れません」
行基 「そりゃ、素晴らしい。10年後に再会出来るかもしれんな。楽しみじゃ。是非実現されることを遠地より祈っているよ。それじゃ、さらばじゃ。」

行基はそう言い残して、全国各地に言い伝えられている行基開湯の地に向かって飛び立った。明覚は、その後姿を追いながら、山代の地で新たな温泉掘削の許可を得た「温泉開発」等がこれから新たに温泉を掘ることになるだろうが、その結果、陸軍病院事件の原因と同じように、現存の山代源泉が減少したり涸渇するような事態にならない事を祈りつつ、静かに五輪塔の祠に自ら身を修めたのである。新しく掘削されるであろう温泉と既存の源泉が別の水脈で湯量豊富となり、山代の地が名実ともに湯の街として、人々がこの恵に感謝し、笑顔が絶えないことを願いつつ・・・・・

山代の金沢衛戍病院山代分院については、泉鏡花著の小説「みさごの鮨」に出ている。大正時代の山代温泉での人情話小説であるが、細やかな描写で当時の温泉地の風俗が描かれ、存在した「第九師団衛戍病院」が山代の名勝となっていると記載あり。

(原文一部記載)
ここに、第九師団衛じゅ病院の白い分院がある。薬王寺、万松園、春日山などと共に、療養院は、山代の名勝に入っている。絵はがきがある。御覧なさい。病院にして名勝の絵になっていたのは、全国ここばかりであろうも知れない。この日当たりで暖かそうなが、青白い建ものの、門の前は、枯葉半ば、色づいた桜の木が七八株、一列に植えたのを境に、もう温泉の町も場末のはずれで、道が一坂小だかくなって、三方は見通しの原で、東に一帯の薬師山の下が、幅の広いなわてになる。桂谷と言うのへ通ずる街道である。病院の背後をしきって、うねうねと続いた松まじりの雑木山は、畠を隔てたばかり目の前に近いから、遠い山も、険しい嶺も遮られる。ために景色が穏やかで、空も優しい。真綿のような処々白い雲を刷いたおっとりとした青空で、やや斜めな陽が、どことなく立渡る初冬の霧に包まれて、ほんのりと輝いて、光は弱いが、まともに照らされては、のぼせるほどの暖かさ。が、陰の袖は、そぞろに冷い。・・・・・

今ではこの分院の建物や門柱などを知っている人は、山代でも少なくなっている。小説の表現は、大正時代の山代温泉の様子を知るのに、かなり信憑性が高いと思います。泉鏡花本人の体験かと思われる主人公と、芸妓小春との一時の心の交流がほろ苦く展開する小説であり、是非読んでいただきたい。
第八章 新源泉の湯量と配分

行基 「そうか。後々の問題は別として、さて、新堀削温泉はどの程度の湯が湧出したのかなぁ」
明覚 「はい、予想以上に出たようで、昭和12年には次のように温泉配湯量が決定しています。」
★ ★★★★★
あらや350石
くらや350石
大のや350石
たまや350石
吉野屋290石
白銀屋260石
田中屋250石
出蔵屋220石
吉田屋200石
花 屋200石
かもや200石
山下屋200石
やまや180石
わたなべ180石
木 屋180石
西のや180石
桜 館180石
松の屋180石

「共浴場」の配湯量は昭和11年8月8日協定締結による字山代(町)に500石と今回100石が増量された。更に共同汲湯として昼夜を通じて100石を配給されることになったので組合側分は上記の通り計4,250石で、町分を合わせて総合計4,950石になりました。

行基 「18軒の旅館には相当の量が配湯されてたんじゃのう。それほど、当時の旅館に入浴者数が有ったのかなぁ。逆に、当時は各町民宅に内湯が無い時代だから、共浴場(総湯)には毎日町民が大勢入っていたと想像するが、この湯量で足りたんかのう」

明覚 「行基和尚。山代の新掘削温泉以前の配給状況の統計資料によりますと、当時の温泉利用者は次の通りです。この資料は昭和10年1月4日に山代町長小畑甚一氏が共浴場入浴統計調査を発表したものです」
年度 年間総湯入浴総数 1日平均数 1日間総湯量 平均1人1日分湯量
昭和7年 1,024,137人 2805人 177石 6升3合
昭和8年 1,038,289人 2844人 177石 6升2合
昭和9年 1,049,775人 2875人 177石 6升1合
★1日間総湯量177石の内訳
[穂積源泉より流出量160石 共浴場内自然湧湯量17石]

年度 年間宿屋入浴総数 1日1宿平均数 1日1宿平均湯量 1人1日分湯量
昭和9年 279,125人 80人(回) 80石 1石(1000升)
浴客平均10名一人3回(30回)
家族女中平均15名一人3回(45回)日帰平均(5回)

行基 「宿屋の者と住民では160倍の違いか。住民は内風呂が無く、また、年々人口も増加したから大変だったろうなぁ。6升程度では、頭も洗えんわな」
明覚 「はい、数年後の昭和11年には、新源泉を堀削し共浴場への協定配湯量が600石になりましたから、少しは改善されましたがね」
行基 「ところで、実際に掘削した場所は組合側の地となったそうじゃが、町側は、どんな方法でお湯の権利を最終的に主張する方策をとったんじゃな」
明覚 「どうも、湯量を定めただけで、組合側の鉱泉地に対して、地上権設定や要役地の設定はしなかったようですよ」
行基 「後々、問題がなかったから良かったが、浅野議員の苦労が無駄だったのか。今もこの件について問題は起きてないんだろうか」
明覚 「はい。後に湯量を増量するために、この源泉の隣地(今度は町側の所有地)に第二号源泉を掘削したんですが、これには、組合側が地役権を設定したんですよ」
行基 「さすがに抜け目がないのう。その後に町民側と組合側にトラブルが起きなければそれで良し。恵の温泉を双方が有意義に使用することが一番良いことなんじゃよ」

第七章 山代新源泉掘削に関する疑問点  
 
行基 「やれやれ、私の発見した自然湧出温泉は無くなってしもうたのか。寂しいのう。新しい山代温泉の幕開けのためにはやむを得ないわい。時代の移り変わりじゃ、きっぱり諦めるとするか。トホホ・・・」
明覚 「行基和尚。自然湧出温泉が無くなっても、後世まで、あなたの名前は、この山代温泉に今もなお言い伝えられていますよ」
行基 「ほう、そうなんかい。何と伝えられてるんじゃ」

約1300年余り遡った神亀2年(725年)、聖武天皇の代に全国行脚の旅に出ていた行基が山代あたりに紫色にたなびく雲を見て、引き寄せられるように向かっていくと、湧き出る泉に翼を休める一羽の烏がいた。不思議に思い、手を浸すと温泉であった。

行基 「やれやれ、これじゃ、ワシが見つけたのか、烏が見つけたものやら・・・・・」
明覚 「和尚、山代では盛大に1300年祭も行われたんですよ。偉大なる人物とされてます」
行基 「そうか、そうか。忘れんで欲しいもんじゃ」

行基 「さてさて、これで総て山代の温泉問題は解決したんじゃな」
明覚 「でも少し疑問も残りますよ和尚。この和解骨子だけでは、不明な点も多々有ると思いませんか。例えば、2万円で温泉の権利を陸軍は組合から買ったのか、つまり、使用権を陸軍側が所有したのか、それとも、永久賃貸料の一括支払なのか、慰籍料という言葉の意味をどう解釈するのか、これは当時の協定者のみ知っているのです。しかし、この協定書(山代町の保管分)が今現在も見当たらない。過去に勤務していた役場職員に問い合わせたら、加賀市に合併したとき、関係書類を整理したが、これに関する資料は見当たらなかったそうなんです」
行基 「協定書の骨子だけしか分からんのか、具体的な内容は不明・・・」
明覚 「協議内容や協定の詳細は分からず仕舞いです。そんな資料が有ったかも分からないんです」
行基 「何はともあれ、山代鉱泉宿組合、国(陸軍)、山代町の三者合意で協定書を締結した。これによって町民は今までの組合に対する湯量や湯質の不満点について納得したのかいな。また、その具体的な内容などをどのようにして町民に知らせたんだ。町新聞の号外でも発行したのか」
明覚 「はい和尚、組合側と町側は、以前から紛争していました共浴場の湯量問題について、陸軍との和解協定書以外に、組合側と町側が別途に新温泉に関する和解協定書を締結しましてね。当時の町会議員の中に、その内容を詳しく文章にして知らせた者が居ました」
行基 「ホホウ。町役場の広報ではなく、議員個人が自発的に書いて知らせたのか。いったい誰なんじゃ」
明覚 「はい。浅野甚一氏という議員でして、和解協定案及び本人が色々な角度から調査をした結果に基づき、本人の見解を記した次のような文章を印刷し、町民に配布致しました」
行基 「ホゥ、その人物の子孫は、今でも山代に住んでおられるのか」
明覚 「はい、浅野輝夫氏と言う息子さんが、現在いろは草庵の隣で煙草屋をされておられます」
      
「温泉問題ニ就テ」
町民諸君ニハ湯ノ問題カトンナ解決ニナッタカ能ク御存シナイ方モアリマセウカラ、町会議員ノ責任上、湯ノ問題ヲ御参考ニ御知ラセ申シマス。陸軍側ト温泉組合ノ事件カ和解成立ト同時ニ山代町ニモ温泉湧出井ノ堀削ノ必要ヲ感シ、組合側ト町側トノ和解協定案ヲ作成致シマシタ其ノ内容ハ

(和解協定案) 注記[文中の「山代町字山代」とは山代町(役場)のことを指す]

第一條 山代鉱泉営業組合ハ山代町字山代ト協力ノ上、同組合ト陸軍省トノ間ニ於ケル温泉使用禁止請求事件等ノ和解成立ヲ契機トシ、新温泉ニ因リ組合員及共浴場ノ使用湯量ノ増加ヲ図ル目的ヲ以テ、第一期工事トシテ地内ニ約五百尺程度ノ温泉湧出井ヲ掘削スルモノトス。          
第二條 前條削井ヨリ新温泉湧出シタル為メ、現在温泉ノ各泉源ニ影響ヲ及ホシ湧出ノ減少ヲ来タシタル場合ハ、先ツ該新温泉ヲ以テ、其減少シタル湯量ヲ補填シ之ヲ原状ニ回復スヘキモノトス。
前項影響ノ有無ヲ證スル為メ、前條削井工事着手前各泉源ノ湧出量及ヒ配湯量ヲ調査確定スルモノトス。
第三條 前條減少湯量ヲ補填シタル以上ノ増量ハ之レヲを弐十分シ、其ノ弐ヲ山代町字山代 ニ配給シ、残十八ハ組合全員十八名ニ各其ノ壱宛ヲ配給スルモノトス。 

行基 「ホホウ、陸軍の慰謝料で第一期工事として約150mの新温泉を掘り、湯量の増加を図ることになったんじゃな」
明覚 「はい。新温泉掘削により、既存の温泉量を確保出来ない場合は、新温泉を優先的に配布するんです。その為に工事前に各自の湯量などを調査するそうです」
行基 「今度こそ、争い事はいかんから、公平に分配する必要があるぞ」
明覚 「はい和尚。その上に更に余量がある場合には、それを20等分し、町側にその内の2を配布し、残りの18分は組合員18名に1づつ配布する案です」
行基 「よしよし。良い案じゃ」

第四條 前條新温泉ノ増量カ壱千五百石以上ニ上ルトキハ、特ニ前條ノ配給方法ヲ廃シ、左ノ通リ処分ス。
    甲・現在山代町字山代カ組合員穂積他家治方泉源ヨリ温泉ノ供給ヲ受ケアルヲ廃シ新温泉ヨリ一昼夜ヲ通シ三百五十石宛直接配給ヲ為スモノトス。  
    乙・組合員永井新吉及ヒ同穂積他家治ハ各其ノ邸内泉源ノ温泉ヲ使用シ而シテ右新吉方ノ湯量以上ニ右他家治方泉源ヨリ湧出スル温泉ヲ新温泉ニ加算シ、其合算増量ヲ十九分シテ右新吉及ヒ他家治ヲ始メ組合員十八名及ヒ山代町字山代(前号三百五十石ノ外ニ)ニ各壱宛ヲ配給スルモノトス。
    丙・前項ニ依ル温泉配給ノ場合、穂積他家治氏ノ配湯量カ同氏泉源湧出量ト増量十九分壱ト合シテ永井新吉氏ノ配湯量ヲ超過スルモ其超過量ヲ新温泉ニ加算セス、即チ他家治氏ノ泉源ヨリ樋管等ヲ以テ、引湯セサルモノトス。此ノ場合、新吉氏ノ配給ヲ他家治氏ト同量ニスルモノトス。
第五條 第一條第一期工事ノ削井ニ因リ、一千石以上ノ増量ヲ得サル場合ハ他ニ適当ナル地所ヲ選ミ、第二期工事トシテ更ニ温泉湧出井ヲ掘削スルモノトス。
第六條 第一期、第二期ノ削井ニ因リ予期ノ増量ヲ得サル場合ハ、組合ハ山代町字山代ト協議ノ上、更ニ湯量増加ノ方法ヲ講究スヘク、組合及山代町字山代双方合意アルニアラサル限リ、如何ナル名義ニ拘ハラス、単独ニテ削井其他温泉ニ妨害トナル危険アル工事及ヒ一切ノ設備ヲ為スコトヲ得サルモノトス。
第七條 第一期、第二期削井工事費及ヒ調査費等一切ノ経費ニ付テハ山代町字山代ハ、第三條ニ依リ温泉ノ配給ヲ受クル場合及ヒ該工事ニ因リ予期ノ目的ヲ達シ得サリシ場合ハ其ノ五分の壱、第四條ニ依リ温泉ノ配給ヲ受クル場合ハ、其ノ三分ノ壱ヲ負担シ、其ノ余リノ経費ハ組合ノ負担トス
新温泉ノ維持管理ニ要スル一切ノ費用ニ付テモ又同シ。

行基 「なになに。新温泉の増量が1500石以上になった時は、第三條の配給方法を変更して、共浴場に新温泉より一昼夜350石と、更には増量が見込める時は、組合員と同様に19等分して配布するんじゃな」

明覚 「もし1000石以下であれば、他の場所で第二期工事をしますし、それでも足りなければ、湯量増加方法を双方で協議することになってます。しかも、組合員同士、足並みを揃えるために今までと異なり、単独での工事を一切認めないとしました」
行基 「よくぞ、組合側も町に対して、大幅譲歩したもんじゃな」
明覚 「はい、町側も湯に関しては一歩も譲らなかったのです。その経費負担割合等も取決めました」
行基 「ところで明覚、町側は組合に対して以前に訴訟を起こしていた問題は、どう処理したんじゃ」
明覚 「はい、和解協定案には、更に次のように記されています」

第八條 組合ト山代町字山代トノ間ニ於ケル訴訟事件ハ、組合ト陸軍省トノ間ニ於ケル訴訟事件ノ和解成立ト共ニ之レヲ取下ケ訴訟費用ハ各自弁トス。
第九條 山代町字山代ハ、組合ト陸軍省ノ和解契約ニ参加シ、組合ノ義務ニ付キ共同シテ、其ノ責ニ任スヘキコトヲ承認ス。
第十条 新削井ニ関スル一切ノ届出手続等ハ、山代鉱泉営業組合ニ於テナシ、山代町字山代ト協議ノ上、同温泉ヲ管理スルモノトス。
                         以上

行基 「十カ條による組合側と町側の協定案の内容を住民に知らせたわけか。わしは良い案だと思うがな。内容も具体的だし、問題なかろう」
明覚 「いやいや行基和尚。この素案は組合側が提示したものなのか、事前に町側と協議したものかは不明ですが、浅野町会議員は、この協定案に対して、色々と問題点を指摘しているんですよ。また、協議会でも提起したようです。それらを町民には次のように続けて知らせました」

右ノ通リテアリマシテ之レヲ町会ニ議決(八月十日)スル迄ニ、弐回ノ協議会ヲ行ヒマシタ。然シテ右ノ内、尤モ骨子トナル部分ハ、第三條、第四條、第七條、第十條ト思ヒマス。
一・湯 量 割
削井後ノ現在ノ湧出量テハ共浴場側ノ配湯量ハ第四條ニ当リマスカラ、三百五十石ニ増量ノ十九等分ノ壱トテ全湯量ノ約十分の壱程度ニナリマセウ。私ハ協議会ニ於テ、此増量ノ配湯割当ヲ弐十当分シテ、其ノ弐ヲ町側ニ然シテ、残リ十八ヲ壱ツ組合側ニ当テタナラハ如何カト要求シマシタカ、町側ノ議員ノ要求通リニ成ラス、前記ノ通リ確定シタ。此ノ要求セル精神ハ組合側ノ壱旅館ト町側ノ共浴場トハ、其ノ入浴世帯ニ大ナル相違カアルカラテアッテ、私ハ当然ノ要求ト思ッタノテアリマス。

行基「ホホゥ。浅野氏は、工事による新湧量の割り当ては、350石に増量分19分の1を共浴場に貰っても、それは全湯量の約10分の1程度にしかならぬ。全湧量を20等分して、その内の2を共浴場に、残りの18を組合側に割当すべきではないかと唱えたか」
明覚「はい。1組合員旅館の入浴者数より、共浴場の入浴者数がはるかに多いのだから、当然の主張だと言ったんです」
行基「それもその通りじゃ。よう言ったわい」
明覚「しかし、聞き入れられなかったようです。更に浅野氏は問題点を追求しているんです」

二・経 費
第七條ノ経費負担ハ、今日ノ湧出量テハ三分の壱ノ町側ノ負担トナリ、残リハ組合側ノ負担トナリマス。町側ノ湯量割当リ約十分の壱ニテ、経費負担ハ三分ノ壱テハ、重イテハナイカト御考ヘノ方カアリマセウ。此ノ負担ノ重イ事ハ、町側ハ世帯カ大テアルカラ、組合旅館ヲ援ケルト言フ大精神ニ外ナラナイモノテアリマス。従ッテ、削井工事ニ依リ湯カ壱ヶ所ニ吸集スル関係上、今迄ノ源泉ハ其ノ資格ヲ失フカラ、古来ヨリアル山代町字山代ノ源泉モ当然資格ヲ失ヒ、従ッテ、組合側ヨリ年々六百円ヲ町側ニ受ケ入レタル此ノ純利益金五百円内外ノ損失ハ当然「マムカレ」ヌモノテアリマス。
三・神 前 協 定
八月十日和解協定案ヲ議決シ、数日ヲ出テスシテ、組合対陸軍側トノ和解モ神前ニ於テ成立シタルモノテ、私モ之ニ参加シテ真心カラ湯ノ沢山ニ出ル様又組合側モ陸軍側モ神前ニ「ヒサマ」ツキ祈願然シテ将来ノ幸福ヲ祈ッタノテアリマス。
四・堀 削 場 所
堀削場所ハ和解協定案ヲ議決シタルトキハ未タ決定セス、従ッテ町側ノ共有地ニナルカ又組合側ノ共有地ニナルカ、之レハ権威者加藤博士ニ御任セシテアッタノテ有マス。

行基 「なるほど費用の負担金については、問題があるのう。第7条によると町側の湯量割り当てが10分の1なのに、経費負担が3分の1では、不公平じゃ。しかし、町側の世帯が多いのだから少ない組合旅館を支援しようと、大判振る舞いするのであると住民に言い聞かせたのか」
明覚 「はい和尚、しかし、古来より町側の源泉も工事で井戸が一本化されるために失う事になりますし、それを利用して得る純益五百円ほどが入らなくなり、町側の損失は免れないのです」
行基 「財政が厳しいときでもあり、これも大変じゃのう。町の収支も昭和7年より赤字に転落してるからなぁ」
明覚 「町役場では8月11日に和解協定案を決議し、浅野議員は後に服部神社で実施された陸軍と組合の和解協定調印式にも参加し、神前に膝ま付き湯量が沢山出るよう参加者全員で心から祈願したそうです」
行基 「陸軍、組合、町側が一丸となって将来の山代の幸せを祈った歴史的な瞬間じゃな」
明覚 「そうなんですが、調印式の時は、まだ新掘削場所が未確定だったんですよ」
行基 「明覚や、それじゃ何かい。町側の土地に掘るのか、それとも組合側の土地にするのかは、偉い加藤博士に任せたままで、調印式を迎えたのか。どちら側の共有地に掘るかで、湯の権利がギクシャクしないのか。また揉めるぞ、心配じゃのう」
明覚 「そう言えば、似たような話が以前にも有りましたね」
行基 「そうなんじゃよ。陸軍病院を山代に設置する時に、温泉を町のものか組合のものを使うか、はっきりと決めないで、来てくれれば何とかなると結論は先送りしたなぁ」

五・泉源地所有権
堀削ニ依リ其ノ湧出スル場所ハ当然泉源地ニ指定サル可キモノテスカ、其ノ所有権ヲ組合側ニスルカ町側ニスルカト言フ事ハ、決定シテ無カッタノテアリマス。故ニ堀削場所カ孰(イズ)レテアッテモ、所有権ハ共有スルコトカ尤モ公平テアリ、何十年来ノ湯ノ争ヲ解決スルニ、此ノ事カ非常ニ大切ナ事ト思ヒマス。
六・加藤博士―ノ指示ニヨル削井地
堀削ケ所ハ、現在ノ場所仍テ町側共有地ヨリ壱尺程離レタ組合ノ共有地ニ指定サレマシタ。私ハ、泉源地ノ所有権ハ組合側ト町側ト対等テナケネハ成ラント主張シテ居タモノテ、其ノ後十月七日ノ町会ニ此ノ事ヲ町長ニ要求スルト共ニ、町長ノ御考ハ如何カト質問セル処、町長ハ地益権ヲ附シテ其レテ良イト言フ事テアッタ。尚十月十一日ノ町会ニ於テ、私ハ此ノ問題ニ付テ、更ニ町長ニ如何ナリマシタカト質問セル処、町長ハ地益権ヲ附シテ置ク事ニ決メタト御返答テ私ハ非常ニ驚キマシタ。又同会議ニ於テ某議員ヨリ此ノ所有権ニ就テ、組合ト云フ中ヘ町ト云フモノカ加入出来ン様ナ事ヲ言ワレタルニ付キ、私ハ出来ン事ハ仕方カナイカラ何等カ考ヘネハ、町側ノ不利テアルト言ッテ居タノテ有マス。

行基 「なるほど、堀削場所は当然泉源地に指定されるべきものであり、その場所がどちらになるかその取扱によっては、何十年来の湯の争いが解決するか否か、非常大切なことなんじゃな」
明覚 「所有権は確実に定めておかないと、後世において又争いが起きますので、浅野氏は、所有権を共有することが公平であると、この時は主張したんです。ところが、加藤博士は泉源地を次のように決めたのです」
行基 「何じゃって、加藤博士は町側の地ではなくて、少し離れた組合側の地を指定したのか」
明覚 「はい、行基和尚。それで浅野議員は、泉源地の所有権は対等でなければならないと主張し、町長に要求したら、地益権を付けるから良いではないかと返答したんです。その会議の席では、ある議員(多分組合側の議員のことと思われる)は、所有権について、組合に町側が加入することは出来ないと申された。つまり所有権を共有することは出来ないということです、浅野氏は出来ないのなら仕方ないが、何らかの方策を講じなければ、このままでは町側が不利になると言ったのです」
行基 「気骨のある議員じゃのう」

七・所有権ト地益権
私ハ、議員ノ責任上所有権ト地益権トノ法的研究ノ必要ヲ感シ、金沢ニテ参日間調ヘテ来マシタ。其ノ結果、町側カ所有権ニ加入モ出来マス。又所有権ヲ持ッテ温泉ノ使用権アルモノハ第一次的権益テアリ、又地益権ヲ附シテ使用権アルモノハ、第二次的権益テアル事ヲ発見シタモノテス。

行基 「浅野議員は金沢まで行き、3日間も調査したのか。こりゃ真剣じゃのう」
明覚 「はい、その結果、町が所有権に加入することも出来ることが分かりました。また、所有権が有ることによって、温泉の使用権のあるものを第一次的権益と称し、所有権が無くて地益権を付けて使用権を主張するものを、二次的と称することが判明したのです。どちらでも権益があることが判明したのです。

浅野議員は括りとして次のようなお願いごとを町民に語りかけたのです。

八・町民の自覚
皆様如何テ御座イマセウ、今日迄町側ニ地価壱千円ノ泉源地カアリマシタカ、堀削ニ依リ湯ヲ吸集セラルル為メ、泉源地カナクナリ、現在掘削ニ依リ温泉ノ出ル所ハ、組合側ノ泉源地テ、町側カ其ノ所有権ノ中ヘ加入出来ナイトキハ、山代町字山代ニ現在ヲ限リ泉源地カナクナルノテス。之レテハ先祖ニ対シ申訳アリマセン。然シ乍、皆様御喜ヒ下サイ。町側カ所有権ニ加入スル事ハ、公平テアリ対等テアリ正論テアリ、協定ノ精神ニ沿フト言フ事ハ、仍テ、天ノ声テアルト同時ニ町一般ノ幸福ニナリマスカラ、町民諸君ヲ吾々先祖伝来ノ泉源地カ今正ニ死スカ生ルカノ、危険状態ニアリマスカラ、此ノ主旨ニ御賛成下サイマシテ町当局ヘ御申達下サイマス様、切ニ御願ヒ申上ケマス。
現山代町長ハ御存知シノ通リ、温泉問題ヲ解決シテ戴ク可ク政民提携シテ選ンタモノテス。然シテ、町円満ノ中ニ温泉問題ヲ解決スル事ハ、誠ニ結構テアリマスカ、此ノ処ニ町民ノ特ニ注意セネハ成ラン事ハ、政民提携町円満ト云フ美名ノ袖ニカクレテ、町民一般ノ利益ニ成ラン事ヲセヌ様ニ、議員及ヒ町当局ヲ監視セネハナリマセン。皆様、人ハ仲ノ良イトキハ良イ仕事モ出来ルカ、又、悪イ計画モ行ヒヤスイカラ、此ノ重大ナル温泉問題ノ解決ニ今少シ、関心ヲ以テ下サル様、重ネテ御願ヒ申上ケマス。

  昭和11年11月8日   山代町々会議員  浅野 甚一 
町民各位

(要約)
町民の皆さん。どうでしょう。今までは地価千円の泉源地が町役場にありましたが、今回の掘削により、湯は組合側の地に吸収され、町側は湯が無くなります。又、所有権を共有出来ない時は、これで全て温泉の権利は無くなります。これでは、先祖に対して申し訳がない。でも皆さん喜んでください。町側が所有権に加わる事は、公平、対等、正論であり、協定の精神であり天の声です。また、町民の幸せですから、みなさん。どうか先祖伝来の湯が危険状態にありますので、私の主旨に賛同して、町側に申し出てください。今の町長は温泉問題を解決するために選んだ人です。円満に解決しなければなりませんが、円満という美名のもとに町民の利益にならないことをしないように監視する必要が有ります。《人は仲が良い時は良い仕事が出来るが、また悪い計画も行いやすいから、この重大な温泉問題の解決に、住民がもう少し関心を持つよう御願いしたい。》

浅野議員は住民に和解協定案と心情を、このような最後の名文で結んだのであります。
当時の町長は次の方でした。
         (注)昭和11年2月11日~12年9月28日までの町長  庄田明吉氏

明覚 「長い間、源泉について、組合側と町側(町民)との争いが続きましたので、そのことを浅野氏は憂慮していたのでしょうね。陸軍との和解と同時に、町内の争いごとにも終止符を打たなければ、子々孫々まで、遺恨を残す事になると感じたのでしょうね」
行基 「自然の恵みを争いごとに使っちゃいかんのだよ。それで、この浅野議員の活動は、報われたのかな。結果はどうなったんじゃ。どんな協定が組合側と町側で締結されたんじゃ」

昭和11年の統一源泉(第1号泉)は鉱泉営業組合の共有地に掘削された。この当時、町会議員の浅野甚一は「温泉問題ニ就イテ」という意見書の中で、字山代も組合とともにその統一源泉の鉱泉地所有に共有者として加わるべきことを主張し、私文書を発表した。これは近代的土地所有権の法理からしても字山代の温泉に関する権利関係をもっとも強固なものとする方法であった。
温泉に関する協定では、新源泉(第二号泉)の源泉及びその鉱泉地ともに字山代と営業組合員の共有とすること、更に現在使用している第一号泉の鉱泉地所有に字山代が共有者として加わる事を明記している。これにより土地所有権の法理に基づく温泉の共同化の第一歩が実現された。その協定の主要な条項は次の通りである。

協定事項
この協定において、山代町字山代管理者・山代町長を甲とし、鉱泉宿営業組合員を乙とする。
1・甲乙は共同して新たに源泉を掘鑿する。この掘鑿地点は十八字内において、科学的調査を経て最有効の場所を選ぶものとする。
2・右掘鑿によって、温泉採取に成功した場合、その源泉の所有権は甲乙の共有とする。その持分は別に定める。新源泉地の地盤(即ち土地)の所有権も亦同様である。
3・現在の温泉の地盤の所有権は乙に属しているが、今回甲もその共有関係に加入するものとする。
4・新源泉から採取する温泉の配分及び処分は、甲乙協議して決する。但し、乙が現在引湯使用する量の外に更に営業拡張上必要とされる量を併せて乙のため確保するものとし、一面乙は甲の大温泉境建設のための使用湯量が成るべく多量であり得る様協力するものとする。
5・新源泉の掘鑿の費用及び爾後の管理費用は、現在及び新掘鑿による配湯量の比率によって負担する。

行基 「明覚や、少しづつ問題も解決方向に進んでいるようじゃ。良かった,良かった。一件落着。これも温泉寺のご加護のお陰かも知れんぞ。感謝を込めて、また、これからも山代を守護してくれるよう薬王院温泉寺に参拝してこよう。そして完成した新総湯で一風呂浴びてくるとするか」

腰かけていた門柱を離れ、二人は浮遊しながら、薬王院への道すがら、更に話し続けた。

行基 「しかし、この町議も大したもんだのぅ。町民に分かりやすく、解説しようとしたんじゃな。これで一件落着じゃ。で・・・結論的には、お湯は誰のもんなんじゃ。明覚上人や」
明覚 「はい、結論から言いますと、はっきりしませんのですよ。」
行基 「と言うことは、これからも同様なことが起きる可能性があるんかね。明覚や、どうなんじゃ」
明覚 「さあ、歴史は繰り返されると言いますからね。陸軍との和解協定書の骨子を既に説明しました《慰謝料》の文言は、正式な和解協定の文書では、《慰籍料》と表記されていまして、これが何を意味するのか、どちらも同一語ですが、なぜ、《籍》という文字を使ったか。また《陸軍省は組合側に2万円を支払う》ではなく、《2万円を交付する》と記載されています。更に《200石に満たない場合は陸軍で堀削するか適宜なる設備をしても良いし、それでも量が確保できない場合は、鉱泉営業組合が責任をもって不足量を補給する》と書かれています。解釈によりますが、これは、陸軍が2万円で組合から権利を買ったものと理解出来ますよ」
第六章 大陪審の判決と和解

それから2年経過後の昭和7年に、大審院は次のような判決を下したのであった。

(判決文)
昭和五年 第二千五百八十九号 判決正文
  上告人   国  右代表者第九師団経理部長 萩阪 厳比古
  被上告人  石川県江沼郡山代町字山代十八の四十七番地
                       正木哲郎外十六名
右当事者間ノ鑿井工事停止仮処分申請事件ニ付名古屋控訴院ガ昭和五年九月二十六日言渡シタル判決ニ対シ上告人ヨリ全部破毀ヲ求ムル申立ヲ為シ被上告人ハ上告棄却ノ申立ヲ為シタリ
  (主 文)
 本件上告ハ之ヲ棄却ス
 上告費用ハ上告人ノ負担トス
  
(理 由)
上告人ハ上告人ノ本件鑿井工事ハ国家ノ公法的行為ニ属シ且正当ノ権利行使ニシテ何等不法行為ニ非ル旨ヲ第一審以来極力主張シタル所ナリ、而シテ若シ上告人ノ右ノ主張ガ正当ナリトスレバ被上告人ノ請求ハ全然其理由ナキニ帰シ従テ本件仮処分申請ハ当然却下セラルベキ筋合ナルヲ以テ、本件鑿井工事ガ国家ノ公法的行為ナリヤ否又正当ノ権利行使ナリヤ否ハ実ニ本件ニ於ケル唯一ノ争点ナルコトハ寸毫ノ疑ヲ容レザル所ナリトス、然ルニ原判決ハ本件鑿井工事ノ遂行ガ法律上許容セラルベキヤ否ヤノ点ニ関スル当事者双方ノ論争ハ之ヲ本案訴訟ニ於ケル判断ニ譲ルベキモノトナシ前記重要ナル争点ヲ遺脱セルモノニシテ破毀セラルベキモノナリト確信スト云フニ在リ。 
然レ共地下水ノ利用ハ温泉ノ如キ場合ニアリテモ法令ニ別段ノ定メナキ限リ其通過スル土地ノ所有者ニ於テ之ヲ利用する権限ヲ有スル事勿論ナレ共其利用ハ他人ノ有スル利用権ヲ侵害セザル程度ニ限ラルベキハ論ヲ俣タズ、若シ、故意又ハ過失ニ因リ他人ノ有スル利用権ヲ侵害シタルトキハ不法行為トシテ其責任ヲ免レズ、而シテ不法行為ノ状態ノ存続スルモノアルトキハ被害者ニ於テ其不法行為ノ現状ノ除去ヲ請求シ得ル権利ヲ有スルヤ論ナシ、此事タルヤ国家ガ土地ヲ所有シ公物ノ設置若シクハ保存ニ仮疵アルガ為メ第三者ノ利用権ヲ侵害シタル場合ナルトニ因リ異ル所ナシ、不法行為ノ責任ハ其行為者ノ何人ナルヤニヨリ之ヲ区別セザルヲ以テナリ、従テ、原審ノ説示スル所正当ニ非ズト雖モ被上告人ノ本件請求ヲ許可シタル点ニ於テ結局正当ニ帰スルヲ以テ此ノ点ノ不当ハ未ダ以テ原判決ヲ破毀スルノ理由ト為スニ足ラズ論旨ハ理由ナシ

以上説明ノ如クナルヲ以テ民事訴訟法第三百九十六条第三百八十四条第九十五条第八十九条ニ則リ主文ノ如ク判決シタリ。

大審院第三民事部  裁判長判事  三浦久美 
       判事  佐藤共之 古川源太郎 細野長良 神原甚造

(要約)
国の申出によると、工事は国家の公法的行為、かつ正当な権利行使であり、何等不法行為でないことを一審以来主張してきた。この主張が正当ならば組合員側の請求は、全く理由の無いものとなり、従って本件仮処分申請は当然却下するべきものとなる。本件井戸掘削工事が国家の公法的行為であるかどうか、また正当な権利行使であるかどうかは、本件における唯一の争点であることは少しも疑うところではない。従って、原判決は本件井戸掘削工事の遂行が、法律上許されるかどうかの点に関する双方の論争については、これを本案訴訟における判断に譲るべきものとする。重要なる争点については、下級審において、もれ落ちているものであり、当方ではこれを破棄するべきものであると確信していると言う。 
しかしながら、地下水の利用は温泉用であっても、法令に別段の定めが無い限り、通過する土地の所有者において、これを利用する権限を有するのは勿論であるが、その利用は他人の有する利用権を侵害しない程度に限られる。もし、故意又は過失によって、他人の有する利用権を侵害したるときは、被害者において不法行為の現状の除去を請求できる。これは、国家が土地を所有し、公共施設若しくは保存に不備があるために第三者の利用権を侵害する場合でも同様である。不法行為の責任はその行為者が誰であろうとも区別しない。従って、原審の示したことは正当でないといえども、組合側の本件請求を許可したことについては、結局のところ正当であるといわざるを得ず、これを不当とする原判決を破棄する理由とはならない。

行基 「大陪審の判決も出たか。長かった裁判も漸く終わったのう」
明覚 「はい和尚。結局のところ、陸軍の工事を一時的に止めてくれとの仮処分申請の判決で、古来よりの使用権が組合側にあるとの申立てを全面的に認めたのです。但し、工事を廃止し復旧工事を要請した温泉の所有権など、本案訴訟は、裁判が進まずに終わったのですよ」
行基 「そうすると、陸軍が主張した自己の私有地である地下から湧き出るものは、誰のものであるかの所有権については、結局触れない結論となったのか」
明覚 「そうなんですね。平成の現在でも温泉の使用権は有っても、所有権については、法的に無いようです」
行基 「しかし、それだけでも組合側は、よく戦ったよなぁ。鼠が象と争ったわけだからのぅ」

このように仮処分申請についての最終判決が下った。当時は旭日のごとき勢いの陸軍を相手にして、一民間の鉱泉宿業組合が大陪審まで争い、そして一部使用権に対してのみではあるが勝利したのであった。

行基 「陸軍に勝訴した組合側の勇気と自信が強い力となって、その後の山代温泉の繁栄の原動力となったかも知れないなぁ」
明覚 「和尚。今の山代旅館組合員総てが旧来の鉱泉宿組合員ではないので、やはり温泉に関して難しい問題を抱えているようですよ。源泉に関しては第一組合と第二組合が有るようですから・・・・」
行基 「そうか。権利関係は難しいもんじゃ。誰もが既得権を第三者に開放するのは、嫌なことじゃからのぅ。温泉の権利関係も大事だが、それよりも温泉街としては旅館関係者だけの問題ではなく、山代住民とも仲良くすることが必要であり、肝心なことなんじゃ。加賀市に合併して、町単位と言う存在観や価値観、それを束ねる町長のような立場の者が居ないことが、大きな問題じゃと思う」
明覚 「そうですよね。山代が繁栄していた時期には、百万石という旅館の社長吉田豊彦氏がおられまして、そのお方が、号令を掛ければ、山代が大きく動いた時も有ったんですがね」
行基 「ところで明覚や、話を元に戻そう。判決を聞いた陸軍はその後どうしたんじゃ。温泉の引用権とか所有権の問題もさることながら、分院内で湧出した温泉を、使用してはならないとなったのだ。このままでは湯量不足で、療養所の存続が不可能にならんのか」
明覚 「はい、そうなんです。陸軍も所有権より、病院の湯量不足を解消したかったのが、元々の争い事の始まりだった訳ですから、どうしても温泉は欲しい。従って、その後に、双方で協議の結果、次のような和解に向かって進んで行ったんです」

当時は未だ戦時中、満州事変から支那事変へと移り変わり、やがて山代鉱泉宿業組合は、昭和11年8月11日に国(陸軍)と和解し、その内容を「協定書」に盛り込んだ。また、必然的に山代町字山代(町民側)も、組合と国の和解契約に参加することを条件として、鉱泉宿組合に対する訴訟を取り下げた。陸軍と鉱泉宿業組合との和解、つまり「協定者」の調印式は山代温泉の当時県社服部神社の境内で厳粛に行われた。和解の骨子は次のような内容でした。

国(陸軍省)、山代鉱泉営業組合(17名)、山代町字山代(町長庄田明吉)による和解協定

協定書骨子
1・陸軍省は金沢衛戍病院山代分院構内に設けたる削井を利用し、一昼夜を通じ200石を限度とし温泉又は鉱泉を使用するものとす。
2・陸軍省は山代鉱泉営業組合へ慰籍料として金2万円を交付するものとす。
3・第1条削井の湧出量一昼夜200石に満たざるに至りたるときは、該削井の深度以上に之を掘削し若しくは適宜なる設備を構ずるものとす。
前項によるも尚不足を生ずる場合は、山代鉱泉営業組合は責任を以って右不足量を補給すべきものとす。
前二項の補給工事により200石以上自噴したるときは其の超過温泉又は鉱泉は山代鉱泉営業組合に給付するものとす。
4・陸軍省は字山代より一昼夜80石の温泉又は鉱泉供給を受けある現契約は之を廃棄するものとす。
5・当事者における本問題に関する一切の訴訟事件は、本協定と同時に取り下げ訴訟費用は各自弁たるべきものとす。

組合側はこの陸軍より支払われた慰謝料2万円を基にして新源泉掘削とその電力揚湯に踏み切り、その完成と同時に旧来の自然湧出していた一切の源泉を廃止消滅させ、山代温泉の源泉が集中管理となった。新源泉の掘削は、松乃家旅館(現在の源泉公園横の井戸)床下で、日本鑿泉㈱が工事を請け負った。この新源泉を第一号源泉とした。
第五章 金沢地方裁判所の判決

組合側の提訴から、4ヶ月ほどの審理が尽くされ、地裁の判決時期を迎えることとなる。

行基 「明覚上人。裁判の行方はどうなったのじゃ。気になるのう。陸軍相手だから旅館側に勝目が無いように思うが・・・」
明覚 「はい、数回の審理を経て、いよいよ地方裁判所の判決が下ったのです。それは訴訟してから4ヶ月を経過した昭和5年7月16日のことでした。蒸し暑く、扇子の音が響きわたる法廷で、汗を流しながら、裁判長は次のような主文及び事実書を読み上げたそうな」

(主 文)
被申請人ハ当座昭和五年(ロ)第四十八号鑿井工事廃止並ニ復旧工事請求事件ノ判決確定ニ至ル迄石川県江沼郡山代町字山代所在金沢衛戍病院山代分院敷地内ニ於テ実施中ノ鑿井工事ヲ停止シ且其堀鑿井ヨリ清水温泉ノ汲出ヲ為スベカラズ。

(要約)陸軍側は「工事廃止及び復旧工事請求」事件の判決が確定するまで、分院の敷地内で実施中の井戸工事を停止し、かつ、その井戸より清水や温泉を汲み上げてはならない。
   
このように判決したのです。組合側は当初から、次のような二通りの訴訟を起していたのですが、この判決は、仮処分申請に対する判決で、本訴が確定するまでの間は工事を止めなさいと命じたのみなのです。

【掘穿工事停止の仮処分申請】と【鑿井工事廃止及び復旧工事施行の本訴】

明覚 「何じゃって、明覚上人や。結論は陸軍が工事を停止するだけの仮処分申請だけが認められ、掘った場所を元に戻してくれと言う工事廃止及び復旧工事施行の本訴分は、後回しになったのか」
明覚 「そうなんですよ。申請人(組合)側の申立内容については次のように事実関係を主文後に読み上げたのです」

(事 実)
申請代理人ハ主文記載ト同趣旨ノ裁判ヲ求メ其理由トシテ
1・申請人等ハ石川県江沼郡山代町字山代ニ於テ、温泉宿ヲ営ムモノニシテ、古来ヨリ同所小字十八ノ温泉ヲ引用シ各自ノ営業ニ供シアルモノナリ。
2・申請人等ハサキニ金沢衛戍病院山代分院ニ於テ、給水設備ノタメ其敷地内一隅(山代温泉地区線ヲ去ルワズカニ2、3間ノ箇所)ニ六百尺ノ深井ヲ堀鑿セントスル計画アルヲ聞知シ、若シコレガ実施ノ場合申請人等引用ノ温泉ニ如何ナル影響ヲ及ボスヤ計リ知ル能ハザリシヲ以テ、昭和三年五月以来数回ニ亘リ之ガ廃止ヲ求メタルモ、被申請人ニ於テハ該鑿井工事実施ノ場合申請人等引用ノ温泉業ニ悪影響ヲ及ボス時ハ、復旧工事ヲ施ス程度ニ於テ考慮スベシト称シテ之ヲ承諾セズ、昭和五年二月二十一日該工事ニ着手シ引続キ之ヲ実施アルモノトス。
3・然ルニ同年三月十三日午前十時頃ヨリ、申請人等引用ノ温泉湧出量ハ漸次減少シ、温度モ亦異常ニ低下シタルニ付大イニ驚キ其原因ヲ調査シタル処全ク前記鑿井工事実施サレ、既ニ堀鑿セル抗口(目下四百八拾尺掘鑿)ヨリ揚水シタル為多量ノ温泉湧出シタル結果ナルコトヲ発見シ、被申請人ニ対シ揚水ノ中止ヲ交渉シ居レル折柄、同日午後三時頃ニ至リ、申請人等引用ノ温泉ハ涸渇シ全然湧出セザルコトトナリ、営業中止ノ余儀ナキニ立至ルベキ現状ヲ呈シ、之ヲ目撃シタル被申請人ハ漸ク該工事ノ実施ヲ中止シタル為、幸ヒニ漸次温泉湧出シ、翌朝ニ至リ約八分通リ原状ニ回シタルモ未ダ全ク旧ニ復セズ、困難ヲ極メツツアルモノナリ。
4・以上ノ事実ニシテ申請人等ハ被申請人ノ鑿井工事ノタメ、古来該温泉ヲ引用セル既得ノ権利ヲ侵害セラレ多大ノ損害ヲ被ムルヲ以テ、被申請人ニ対シ該鑿井工事ヲ廃止シ原状ニ回復スル適当ナル工事ヲ施設スベク請求スルモ之ヲ肯セズシテ不日、又、再ビ該工事ヲ続行セントスル意向ナルヲ以テ、余儀ナク其請求ニ付本案訴訟ヲ提起スルニ及ビタルモノナリ。

(要約)
  1・申請人等は、山代で古来より温泉を引用して温泉宿を営業しているものである。
  2・分院では、給水設備と称して敷地内に深い井戸を掘る計画をしている。これが実施されると申請人の温泉に与える影響は大きく、計り知れないほどである。従って、昭和3年5月以来数回廃止を求めたが、万一被害が発生した時に復旧工事を行なうべきであると言って承諾せず、昭和5年2月21日工事に着手し、現在も行なっている。
  3・同年3月13日午前10時頃より、申請人の温泉が減少し、温度も低下したので原因を調査すると、分院では既に多量の温泉が湧出したのを発見。分院に汲み上げの中止を交渉。午後3時になると温泉は全て枯渇したので、営業中止が余儀ない状況となった。この状態を見た陸軍は工事を停止したので再び温泉が湧出。翌朝には従来の八分通り復活した。しかし、全面復帰は困難である。
  4・以上は事実であり、陸軍側は、組合側の古来よりの温泉引用の既得権を侵害し、被害も甚大なため工事を廃止し、原状復帰の工事をするように請求したが、これに応じず、更に工事を続行する意向があるので、やむなく本案訴訟することにしたのである。

行基 「厄介ごとが起きたもんじゃ」
明覚 「はい、事実関係を見ると、組合の言わんとしていることも分かるんですが・・・・ところで行基和尚、身体も冷えてきたので総湯に入って来ましょうよ。何でも市民湯が完成しますと、昭和46年に山代住民の多額な寄付で完成させた、そこの総湯が壊されて、なんでも、シンボル湯を造る計画らしいですよ。この総湯に入れるのも、これが最後かも知れません」

そう言って二人揃って浮遊しながら、入浴銭も払わずに総湯に浸かった。
行基「やっぱり気持ちがエエのう。ナマンダ~ブ、ナマンダ~ブ」

総湯から上がってきた行基和尚と明覚上人は、向かいの《はづちを》に立ち寄った。椅子に座り、総湯に出入りする人々を眺めながら、明覚は、陸軍病院裁判の続きを話した。

5・然ルニ右本案訴訟御審理中猶ホ該鑿井工事ヲ継続セラルルニ於テハ、再ビ温泉湧出量ノ減少ヲ来スコトハ前記事実ニ依リ明カニ証明シ得ラルルノミナラズ、之ガ完成(残百二十尺掘鑿未了)ノ暁、申請人等引用ハ全ク涸渇シ営業廃止ノ惨状ニ陥ルコトハ自明ノ事実ナリト請フベク、被申請人ハ前記温泉湧出量ノ減少ニ付之ヲ一時ノ現象ニ過ギズトシ、将来果シテ斯ノ如キ悪影響ヲ及ボスヤ否ヤハ、該工事完成ノ上ニアラザレバ判明セズト主張シ、若シ悪影響ヲ及ボス場合之ガ復旧工事ヲ実施スル程度ニ於テ考慮スベシト、極メテ曖昧裡ニ工事ヲ進行セントスルモ、該工事ハ申請人等引用ノ温泉ニ悪影響ヲ及ボスコトハ、今ヤ推定ノ問題ニアラズシテ既ニ現実ノ問題ニ属シ、且被申請人ハ当初単ニ給水設備ヲ理由トセシモ漸次温泉湧出ヲ計リ申請人等ヨリ分譲シアル温泉量ノ不足ヲ補フ目的ヲモ有スル旨声明スルニ至リシヲ以テ、従テ其目的ニ出デタル該鑿井工事ノ完成シタル場合ハ、同一方向ニアル温泉脈ハ悉ク之ニ向ッテ集中シ、上層ニ住スル申請人等引用ノ温泉ノ全部枯渇スベキコトハ、火ヲ見ルヨリモ明カニシテ、一朝斯ノ如キ事象ヲ現出スル以上、之レガ復旧ハ絶対ニ望ミ得ベカラズ、遂ニ申請人等ノ既得ノ権利ハ消滅シ山代温泉ハ廃絶スル次第ナルヲ以テ、申請人等ノ既得ノ権利ヲ保全スルタメ、該掘鑿工事ノ停止セラルルコト緊要ニシテ尚本案提起後幸ヒニ掘鑿工事ハ停止セラレタルモ、既ニ掘鑿セラレタル井ハ汲水ポンプヲ設備シ何時ニテモ之ヲ使用シ得ベク、而シテ之ホヲ使用シテ揚水スルトキハ申請人等ノ引用スル鉱泉量ニ重大ナル影響アルコト明カナルニ依リ其禁止ヲ得タシト述ベ尚以上ノ事実ニ付釈明トシテ
(1)申請人等ガ山代町字十八ノ温泉地区内数ケ所ヨリ湧出スル温泉ヲ引用スル権利ハ古来ヨリ申請人ニ於テ当然有スルモノナリ。而シテ申請人等ニハ自己ノ所有地内ニ湧出シ居ル温泉ヲ使用シ居ルモノナリ。又他ノ土地ニ湧出スル温泉ヲ契約ニヨリ使用シ居ルモノアルモ、右湯ヲ使用シ始メタル年代ハ余程旧キ以前ノコトニシテ其年代ハ判明セズ。
(2)被申請人ノ本件鑿井工事ガ申請人等引用ノ温泉ニ悪影響ヲ及ボシタルタメ該工事ノ廃止ヲ求ムル権利ハ、温泉ハ古来ヨリ申請人等ガ使用シ居ルモノニシテ、申請人ガ其ノ使用ノ権利ヲ有スルモノナルニ拘ラズ被申請人ガ隣地ニ井戸ヲ掘鑿シタルタメ申請人等ノ使用スル湯ノ分量ヲ減少セシムルハ之即チ古来ヨリ有スル申請人等ノ権利侵害トナルヲ以テ其阻止ヲ求ムルモノナリ。他人ガ自己ノ権利ヲ実行スルニ付テ他ノモノノ権利ヲ侵害セザル程度ニ於テ実行スベキモノニシテ、自己ノ権利ト雖モ他人ノ権利ヲ侵害スルトキハ当然其権利ノ実行ヲ廃止スベキモノナリ。

(要約)
  5・訴訟中であるにも関らず、まだ工事を継続している。これが完成すれば、従来の温泉は枯渇し、営業廃止は明らかである。しかし、陸軍側はこの減少する温泉は一時の現象に過ぎず、将来において悪影響を与えるかどうかは、工事が完成しなければ分からぬ事と主張し、万一の場合は復旧工事すれば良いと曖昧な判断で工事をしている。今では推定の問題ではなく、現実的な問題として、同一温泉脈につき、全部枯渇することは明白。組合側の既得権は消滅し、山代温泉は廃絶する。従って、権利保全のために、緊急に工事を止めても、現状はポンプの設置があり、何時でも使用できる状況にある。禁止せよと組合側は事実関係を次のように述べた。

  (1)組合側が、山代町字18の温泉地区内数ケ所より湧出する温泉を古来より引用する権利は当然有る。そして組合側には、自己の所有地内に湧出する温泉を使用し、他の温泉も契約使用しているが、使用し始めたのは古い時代で年代は判明していない。
  (2)陸軍側の本件工事が旅館側の引用温泉に悪影響を及ぼしたため、当該工事の廃止を求める権利は、温泉は古来より組合側が使用しているものであり、その使用する権利を有するものであるに限らず、陸軍側が隣地に井戸を堀ったために、組合側の使用する湯の分量を減少させたのは、古来より有する組合側の権利を侵害したことになるので阻止を求めるものである。他人が自己の権利を実行するときは、他のものの権利を侵害しない程度で実行すべきものであり、自己の権利といえども、他人の権利を侵害するときは、当然その権利の実行を廃止すべきものである。

行基 「何々、古来より湯を引用する権利は組合側にあるから、他の者が、自分の土地を掘って温泉が出ても、元の温泉を侵害するのは、ケシカランと組合側は申し立てたのか。この私が山代で温泉を見つけた時に、所有者をはっきりしとけば良かったんじゃがのう」

行基は自分が1300年前に見つけた温泉を、当時のヤタガラスに管理を頼んだ事を悔やんだ。
そして、全国津々浦々の地で自分が発見した温泉が、山代と同様の問題が起きていないか心配になってきた。

行基 「明覚上人や、聞くところによると、平成18年11月に山代のホテル関連会社(温泉開発)と称する会社が、石川県に対して山代温泉大和町での温泉掘削許可を求める申請をしたと聞く。ところが県は、19年1月に県環境審議会温泉部会の答申を受けて不許可処分を通告した。だが同社は訴訟を行い、金沢地裁の一審判決で、[掘削が既存の源泉の温度や成分などに影響を及ぼすとは認められない]と県に掘削許可を命じたそうじゃないか。しかし県は、20年12月に不許可処分の取り消しを命じた地裁の判決を不服として名古屋高裁に控訴した。理由は[掘削により既存の源泉に影響が出る可能性があり、控訴審で判断を仰ぎたい]としたそうだが、陸軍の掘削問題から80年の年月を経て、同様の裁判沙汰が起きたもんじゃのぅ。この行方は町民も鉱泉組合側も気になるじゃろなぁ」
明覚 「和尚、そうなんですよ。温泉開発側は、徹底的に組合と戦う姿勢をみせていますので、鉱泉宿組合は、ヤキモキしていることでしょうね。結論はどうなることやら。万一同社が掘削し、温泉が湧出した場合は、現在建設中の市民湯に半分を無償で提供しても良いと強弁しているそうですよ。市民湯とシンボル湯が完成すれば、温泉量が不足するのではないかと言われていますので、町民には吉報ですがね。しかし、争いはコリゴリですよ」

行基 「明覚や、裁判用語は難しいし、同じ事を繰り返す言語が多くて、かなわんなぁ。今年からは、一般国民が裁判員になって、法廷に立つことになったらしいが、難解な法律用語が取り交わされると選ばれた国民は困るだろうに・・・」
明覚 「分かりました。原文と要約の両方で説明しますよ」

明覚は、原文と並行して、一つ一つ確かめるようにして行基和尚に要約しながら続きを語りだした。

(3)而シテ本件ニ於ケル権利ノ侵害ハ広キ意味ニ於ケル不法行為ニシテ相手方ノ故意ヲ過失ニヨリ他人ノ権利ヲ侵害シタルモノナリト述ベ更ニ相手方ノ答弁ニ対シ、
(4)申請人中松本幸一・穂積他家治・永井寿・角谷重太郎ノ四名ハイズレモ現在各所有地内ヨリ湧出セル温泉ヲ使用シ申請人吉野恒ハ山下甚太郎所有地ヨリ湧出セル湯ヲ契約ニヨリ使用シ居リ申請人山下甚太郎ノミハ字山代区ノ所有地ヨリ湧出スル湯ヲ契約ニヨリ引用シ其他ノ申請人全部ハ何レモ申請人等ノ共有地タル山代十八ノ百二十番地ヨリ湧出セル湯ヲ「大溜」ヘ引キソレヨリ更ニ各自宅ニ引用シ居ルモノナリ。
(5)申請人等ノ温泉ニ何等カカノ一時的変動アリトセバ夫ハ山代町営共浴場ノ関係工事ノ為メナリト被申請人主張事実ハ否認ス。昭和五年三月十三日被申請人ニ於テ掘鑿セル抗口ヨリポンプニテ湯ヲ汲ミ出シタル為メ申請人側ノ湯ガ減少シタルモノニシテ本件掘鑿工事ノ結果影響アリタルコトハ極メテ明カナリ。

(要約)
  (3)組合側の申し立てによると、本件の権利侵害は、広い意味における不法行為で相手の故意による行為を、過失によって他人の権利を侵害したものであると申し立て、更に陸軍側の答弁に対して組合側は次のように述べた。
  (4)組合側の内、松本幸一、穂積他家治、永井寿、角谷重太郎の4名は、いずれも現在各所有地内より湧出する温泉を使用しており、また吉野恒は山下甚太郎の所有地より湧出する湯を契約により使用し、山下甚太郎のみは、字山代区の所有地より湧出する湯を契約により引用し、その他の旅館側の者は何れも組合側の共有地である山代18の120番地より湧出する湯を「大溜」へ引き、そこから各自宅に引用しているものである。
  (5)組合側の温泉に何らかかの一時的な異常があるとすれば、それは山代町営共浴場の関係工事のためであると陸軍側は主張するが、これを否認する。昭和5年3月13日の陸軍側において掘削した抗口よりポンプで汲み上げたため、組合側の湯が減少したもので、これが影響したことは明白である。

行基は膨大な裁判記録を眺めながら呟いた。
行基 「明覚や。少し疲れたわい。甘い羊羹(夜の梅)でも食おうかのぅ」

そう言いながら、総湯前にある、江戸時代の職人、菓子屋源五郎が旅人の僧を助け、そのお礼に羊羹の製法を教わり、後に大聖寺藩主より梅鉢の紋を使うことが許された瑓永昌堂の看板を指差した。この店舗の屋根構いは古風かつ重厚な感じである。この建物自体、元々は吉田屋旅館を買収し、改造したものである。

明覚 「和尚、甘いものも良いですが、少し喉が嗄れてきましたので、そこの総湯で販売されている温泉玉子をツマミにして、お酒にしませんか。」

辛党の明覚がゴクンと唾を飲み込みながら言い出した。
行基 「おっ、酒か、悪くないのぅ。確か、専光寺前にある江能酒造という造り酒屋に、[太鼓の縁]という地酒があったはずじゃが。それを飲みたいなあ」
明覚 「残念ながらその酒造会社は、とうの昔に、無くなりましてね。それよりも和尚。山代酒商組合の若手経営者等が酒米五百万石と言う銘柄のコメを頑張って耕作し、それを原料にして、私のお薬師寺から湧き出る清水を加えて造った[純米酒やましろ]が新たに山代名物となっているらしいですよ。それを飲みましょうよ」

明覚は完売されていないことを祈りながら、急いで酒屋に走った。

行基 「うまい!!。こりゃ口当たりが良いのう、美味じゃ」

二人の胃袋に新酒が沁みわたり、至福のひと時であった。

(6)昭和五年二月十一日ヨリ鑿井ニ着手シ同月二十三日ニ至リ初メテ湯ガ湧出シタルトノ主張ハ不知ナリ、同年三月十三日ニハ申請人等ノ湯ハ約七寸五分八厘迄減少シ同月二十六日申請人代理人ニ於テ実地検分シタルトコロニテハ従前ヨリモ尚約五分減ジ居レル状態ナリ。
(7)本件鑿井場所ト温泉地区ノ境界線トノ距離ニ付テハ、測量シタルコトナキモ目測シタルニ凡ソ四、五間位アリト認メラレ而シテ鑿井ノ箇処ト現在被申請人側ニ於テ使用シ居ル浴槽間ノ距離ハ凡ソ十間許リナリ、申請人側ニテハ現在金沢衛戍病院山代分院ニ対シ一日八十石ノ湯ヲ分与シ居ルコトハ争ハザルモ同分院ニハ一日二百石乃至三百石ノ湯ヲ要スルコトハ争フ、右山代分院ノ現在ノ収容人員ハ三十名位ニシテ平均略々同数人員ヲ収容シ居ルモノナレバ、相手方主張ノ如ク一日二百石乃至三百石ヲ要スルコトナシト述ベ・・・・、
(要約)
  (6)陸軍側は昭和5年2月11日より工事に着手し、同月23日に初めて湯が湧出したと主張しているがこれは不明である。同年3月13日には組合側の湯は約7寸5分8厘迄減少し、同月26日に組合側代理人において実施検分したところでは、従前よりも更に約5分減っている状態であった。
  (7)分院の掘る井戸の場所と温泉地区の境界線との距離は、測量してないが、目測によると,およそ4~5間位(8メートル前後)と認められる。そして井戸の場所と現在陸軍側で使用している浴槽間の距離は、およそ10間ほどである。組合側では、現在分院に対して一日80石の湯を分与していることは争わないものの、同分院には、一日200~300石程度の湯が必要であると申し立てている点は争う。山代分院の現在の収容人員は30名位であり、平均して同程度を収容しているものであり、陸軍側の主張するような、一日200石から300石の湯は必要ない。このように組合側は述べた。

行基 「明覚や。陸軍の新井戸掘削場所と組合の源泉場所との距離は、4~5間位なのか。そんなに近いところで掘っているのか。そりゃ、出なくなる恐れがあるわなぁ。」
明覚 「和尚、組合側の温泉湧出地との距離ではござらぬ。分院の敷地と山代村の他の土地との境界線からの距離ですよ。ここで問題なのは、少ない療養収容人員なのになぜ大量の温泉が必要であるかと言うことも、争点にしているんですよ。」
行基 「ほう、陸軍では、まだまだ戦傷者が出るだろうと予想していたんだろうな。まさか、昭和5年の時点で、昭和20年まで続いた第二次世界大戦も視野に入っていたとは思えんがのぅ。」

尚被申請代理人ノ抗弁ニ対スル反駁及前記本件申請理由ノ申述ベノ補充トシテ
一・申請人等ノ温泉引用権ニ付テハ
(イ)其本質ハ其温泉湧出地ノ所有権ガ何人ニ属スルカニ拘ラズ其湧出スル温泉ヲ他人ヲ排斥シテ独占引用スル権利ニシテ準占有権ナリ
(ロ)本来温泉ハ渓谷又ハ河川ニオケル普通流水ト同様ニシテ之ガ引用ハ何人ト雖モ自由ニ為スコトヲ得ベキモノナルモ、或ルモノガ或人ヲ排斥シテ之ヲ専用スルニ至リ、其専用ニ付慣習発生シタル時ハ其者ハ独占的ニ之ヲ引用スル権利ヲ取得シ、他人ハタトヘ温泉湧出地ノ所有者ト雖モ之ヲ侵害スルコトヲ得ザルニ至ルモノナルコトハ古来本邦一般ニ認メラルル原則ナリ。
(要約)
組合側は更に陸軍側代理人の抗弁に対する反論及び申請理由の補完として次のように述べた
 1・申請人(組合側)等の温泉引用権について                          
  (イ)温泉湧出地の所有権が誰のものであるかにかかわらず、その湧出する温泉は他人を退けて独占引用する権利であり、準占有権である。

【注】民法180条において、占有権は、自己のためにする意思をもって物を所持することによって取得する。と定めている。物が我々の支配内にあるときは、これを占有するものとし、占有があれば、その占有が正当な権利に基づくものであるかどうかを問わず、一律にこれに基づいて占有権を生ずるものと解釈する

  (ロ)本来温泉は渓谷又は河川における普通流水と同じで、これを引用できるのは誰でも自由であるが、これをある者が、他人を退けて専用した場合、その専用について習慣が発生した時は、その者は独占的にこれを引用する権利を取得し、他の者は、たとえ温泉湧出地の所有者と言えども、これを侵害してはならないことは、古来より一般に認められる原則である。
     
行基 「なるほど、一理有るわなぁ明覚や」
明覚 「さようで。しかし自分の土地から湧き出るものは、自分の物のようにも思えますがねェ。この見解では、先に見つけたものや権利を先に主張した者が全てに有利であったり、その地域における権力者が古来より有利な立場にあれば、総て独占してしまうことにならないのか。過去にこのような事が多々有ったんだろうなぁ」

これからの国際社会に於いても、近隣諸国が我国との国境近辺の海中で、資源の開発を行っていることが、紛争の種にならぬのか。行基、明覚ともに将来地球上で資源が枯渇した時や、資源の確保を狙った開発行為などが、また戦争を引き起こさないかと頭を抱えた。

二・(イ)被申請人ハ其所有地内ニ鑿井工事ヲナスコトニヨリ申請人ノ温泉引用権ヲ侵害シタルモノナリ、被申請人ハ右工事ハ国家ガ公共ノ利益ヲ目的トシタル純然タル公法上ノ行為ニシテ私法上ノ責任ヲ負フベキモノニアラザル旨主張スレドモ、被申請人ガ金沢衛戍病院山代分院ノ敷地及建物其他一切ノ設備ヲ所有シ之ガ管理ヲ為スコトハ公権作用ナリト雖モ同時ニ其設備ニ対スル所有権又ハ占有権ハ純然タル私法関係ニ於テ之ヲ有スルモノナリ、従テ被申請人ガ土地所有者トシテ為シタル本件工事ノ温泉引用権ヲ侵害スル以上申請人ガ司法裁判所ニ私権保護ノ請求ヲ為スハ当然ノ事理ニ属ス。

(要約)
 二・(イ)陸軍側は、所有地内に井戸工事をすることにより、組合側の温泉引用権を侵害したものであって、陸軍が申し立てているように、この工事は国家が公共の利益を目的とした純然たる公法上の行為であり、私法上の責任が及ばないものであると主張するが、それは違う。分院の施設を所有し、管理することは確かに公権作用であるが、その所有権又は占有権は私法関係による所有である。従って、土地所有者として実施したこの工事により温泉引用権を侵害する以上、組合側が司法裁判所に私権保護の請求をすることは当然の事由である。

明覚 「ところで行基和尚。話が変わりますが、ここに完成した市民湯の浴室内に、地元作家にお願いした九谷焼の藍色の陶板をはめ込んだそうですよ。」
行基 「ホゥ。立派になったか。そう言えば、現《はづちを》の場所に昔建っていた《わたなべ旅館》の浴槽内や壁面に九谷焼の色絵大皿が何枚も埋め込んであったもんじゃ」
明覚 「そうでしたなぁ。湯船に浸かっていたら、誰かに見られているようで恥ずかしかったもんです」
行基 「明覚や、市民湯の建物が完成したので、この場所からは浴槽内が丸見えじゃ。この石垣の上では、具合が悪くなってきたので、場所を変えんか」

二人は、浮遊しながら、いろは草庵を飛び越えて、元陸軍病院跡地のタイル張の門柱に移動した。

行基 「ありゃ。昔の白漆喰に赤レンガをはめ込んだ立派な陸軍病院の門柱が無くなって、チャチな門柱になってしもうたわいのぅ」
明覚 「うまく座れますかな和尚」
行基 「どっこいしょ。あれ、昔の病院跡地の前方の一部が駐車場になっているぞ」
明覚 「はい、加賀市は総湯の仮駐車場として提供しているようです」

と言いながら二人は門柱に腰かけ再び話を続けた。

(ロ)被申請人ハ土地所有者ガ其土地ヲ掘鑿シテ地中ノ温泉ヲ利用スルコトハ其権利ニ属スルトコロニシテ之ガ為メニ偶々隣地ノ所有者ノ温泉ニ影響スルモ夫レハ法律上許サレタル権利行使ノ結果ニ外ナラザレバ之ヲ以テ違法ニ他人ノ権利ヲ侵害スルモノト云フヲ得ザル旨主張スルモノナル、権利行使ノ結果他人ニ損害ヲ与ヘタル場合ニ於テ被害者ガ或ル程度ノ損害ヲ認容スベキモノナルコトハ其権利ヲ認メタル当然ノ結果ニ外ナラズト雖モ其被害ノ程度ガ吾人ノ日常ノ経験ニ照シ社会観念上被害者ニ於テ甘受スベカラザルモノト認メラルルトキハ、既ニ権利ノ範囲ヲ超越スルモノニシテ所謂権利ノ濫用ト謂ワザル可カラズ、果シテ然ラバ権利ノ濫用ニヨリ侵害ヲ受ケタルモノハ其レニ対シ妨害ノ排除ヲ請求シ得ルハ当然ナリト謂ハザルベカラズ。
(ハ)尚権利ノ本質ヨリスルモ権利ハ一定ノ利益ヲ享受シ得ベキ法律上ノ力ナルガ故ニ他人ノ権利行使ニヨリ其利益享受ヲ妨害サレタル事実上ノ事態発生シタルトキハ其妨害ヲ排除シ従来通リ其利益享受ヲナシ得ベキ状態ニ復セシムル法律上ノ力ナカルベカラズ。
(ニ)然リ而シテ申請人ハ古来鉱泉業者トシテ唯一ノ生活資料タル山代温泉ノ引用権ヲ有シタルモノナルトコロ、被申請人ノ本件鑿井工事ニヨリ著シク其引用権ヲ侵害サレタルモノニシテ被申請人ハ本件工事ハ仮ニ土地所有者トシテノ権利行使ナリトスルモ其ハ範囲ヲ超越シタル権利ノ濫用ニシテ申請人等ハ山代ニ於ケル温泉引用権ヲ妨害セラレタルモノナレバ被申請人ニ対シ之ガ妨害ヲ排除シテ原状回復ノ請求ヲ為シ得ベキモノナリト述ベ疏明トシテ(以下略) 

(要約)
 (ロ) 土地所有者がその土地を堀り、地中の温泉を利用する事は、その権利に属するもので、その為に隣地の所有者の温泉に影響したが、それは法律上許される権利行使の結果であり、これもって違法に他人の権利を侵害するものと言うのは如何であるかと陸軍側は主張するが、権利行使の結果、他人に損害を与えた場合において、被害者がある程度の損害を容認すべきものであり、その被害の程度が万人の日常経験に照らし、社会観念上、被害者において甘受出来ないと認められる時は、権利の範囲を超越した権利の乱用であり、侵害を受けたものは、それに対して妨害の排除を請求することは当然である。

 (ハ) 権利という本質から考えると、権利は一定の利益を受ける法律上の力であるが故に、他人の権利行使により、その受ける利益を妨害された事実上の事態が発生したときは、その妨害を排除し、従来通り、その利益を受けられるような状態に復させることが法律上の力であるべきである。
 (ニ) 従って、組合側は古来鉱泉業として唯一の生活材料である山代温泉の引用権を有するもので陸軍側の井戸工事により著しくその権利を侵害された。陸軍側は本件工事は仮に土地所有者としての権利行使と言うが、その範囲を超越した権利の濫用であり、組合側は山代における温泉引用権を妨害されているので、陸軍に対してこの妨害を排除して原状回復の請求をしたものであると述べた。(以下省略)

明覚 「和尚。温泉の引用権については、当時は確たる事例が全くない状況だったんです。従いまして組合側の弁護士も、事実関係を述べながら、最終的には、《疏明》と言う言葉を使っているんですよ。また、陸軍側の反駁(はんぱく:他人の主張や批判に対して反論すること)にも同様な言葉を使用しています」
行基 「何じゃ、その《疏明》とは・・・・」
明覚 「国語辞書によりますと、《疏明》とは、確信ではなく、確からしいという推測を裁判官に生じさせる当事者の行為となっています。つまり、確たる証明に至たらない程度の証拠の時に使う用語で、《証明よりワンランク下の証拠。本当らしい》の意味のようです」 
行基 「と言うことは、裁判史上初めてのことかいな。判決が難しい訳だ」    
明覚 「和尚。今迄解説したものは、金沢地方裁判所の判決文中の申請人である組合側の申立事実関係の部分でして、この後には被申請人即ち陸軍の主張が続くんです」
行基 「そうか。両方の言い分を聞かんといかんぞ。陸軍側も力だけで押さえ込もうとしても駄目だろうからなぁ。理論が大事じゃ」

金沢地方裁判所の判決文の《事実》の中で、被申請人即ち陸軍の主張に触れて次のように述べられている。

一・申請人等ハ温泉業者ナルコト、及申請人中、松木幸一・穂積他家治・永井寿ノ三名ハ各々現在宅地内ニ湧出スル温泉ヲ其他ハ「大溜」ト称スル一ヶ所ニ湧出セル温泉ヲ使用シ居レルモノナルコト、被申請人国ハ其所有地ニシテ且山代温泉地区外タル金沢衛戍病院山代分院地内ニ於テ六百尺ノ深井ノ掘鑿ヲ計画シ目下四百八十一尺掘鑿シタルコトハ争ハザルモ其ノ余ノ申請代理人主張事実ハ総テ争フ、殊ニ申請代理人主張ノ本件鑿井工事ガ不法行為ナリトノ点及申請人等使用ノ温泉ハ湧出量ガ現在モ尚八分通リ復旧シタルママ原状ニ復セズトノ点ハ認メズ、申請人、吉野恒ハ山下甚太郎所有地ヨリ湧出スル湯ヲ使用シ居ルコトハ争ハザルモ、山下甚太郎ハ山代区ノ所有地ヨリ湧出スル湯ヲ引用シ居レルヤ否ヤ不明ナリ、而シテ「大溜」ニ集合スル湯ト申請人等ノ共有地タル山代十八ノ百二十番地ヨリ湧出スル湯ナルコトハ争フ。

二・而シテ、第一、本件掘鑿工事ノタメ申請人等使用ノ温泉ニ対シ学理上何等ノ影響ヲ及ボスコトナシトス、若シ最近申請人等使用ノ温泉ニ対シ何等カ一時的ノ変動アリタリトセバ、目下申請人等ガ自ラ為シツツアル山代町共浴場トノ関係工事ノ為メナルヲ被申請人掘鑿工事ノ為メナリト誤信シタルモノナルベシト思料セラルル、被申請人ノ本件鑿井ハ昭和五年二月十一日実施シ同年二月二十三日迄二百九十四尺掘鑿シタル処其時初メテ摂氏六十度ノ温泉ガ地表ヨリ約十尺内外ノ箇処迄湧出シ居リ更ニ同年三月十日迄ニ四百八十一尺掘鑿シ同日ヨリ現今迄ハ工事ノ都合上右掘鑿ヲ中止シ居レリ
第二、被申請人ハ申請人等主張ノ権利ヲ認メズ、本件工事ノ如ク被申請人所有土地内ニシテ且山代温泉地区外ニ於テ為サレタル工事ニ関シテハ殊ニ然リトス。
第三、本件工事ハ明治四十四年山代町ニ設置セラレタル第二、三、四、八、九、十三、十四、十五、十六ノ九ケ師団(現今ハ第十三、十五師団ハ廃止)ノ傷病兵ノ療養ノタメノ金沢衛戍病院山代分院ノ給水又給温水ノ改善ヲ目的トセル軍事的公益施設ニシテ何等申請人等ヨリ攻撃ヲ受クベク違法又ハ不法ノ責任ヲ発生スベキモノニアラズ。

(要約)
  一・組合員側の各自は、それぞれに所有する地区内湧出温泉や大溜の湯を使用している。国側はその地区外の分院所有地で、六百尺の井戸工事を計画し、現在四百八十一尺まで掘削したことは認めるが、それ以外の組合側代理人が主張する事実については総て争う。特に本件井戸工事が不法行為とする点及び組合側の使用する温泉は湧出量が現在も八分通り復旧しているのに、原状に復していないと言う点については認め無い。申請人吉野恒は山下甚太郎所有地より湧出する湯を使用していることは争わないが、山下甚太郎は山代区の所有地より湧出する湯を引用しているのかどうかは不明である。そして、大溜に集合する湯と組合側の共有地である山代18の120番地より湧出する湯であるかどうかは争点とする。

  二・第一に、本件工事のため組合側使用の温泉に対し、学理上何等の影響を及ぼす事はないものである。もし、最近その温泉に一時的に変動が有ったとすれば、現在、組合側などが自らの為に行っている山代町共浴場との関係工事の為であって、それを陸軍側の工事の為と誤信しているものと思われる。陸軍側の井戸は、昭和5年2月11日実施し、同年2月23日迄二百九十四尺掘削したときに初めて摂氏60度の温泉が地表より約十尺内外のところ迄湧出しており、更に同年3月10日迄に四百八十一尺掘削し、同日より今日迄は工事の都合上右掘削を中止している。

第二に、陸軍側は組合側主張の権利を認めず、本件工事のように陸軍側所有土地内で行ったもので、かつ山代温泉地区外の工事に関するものである。   
     
第三に、本件工事は明治44年山代町に要請されて設置した第二、三、四、八、九、十三、十四、十五、十六の九ケ師団(現在第十三、十五師団は廃止)の傷病兵の療養のための金沢衛戍病院山代分院の給水又給温水の改善を目的とする軍事的公益施設であり、何等組合側から攻撃を受けるような違法又は不法の責任が発生するべきものではない。

行基 「いやぁ。困ったわね。既存の温泉に変動を与えているのは、陸軍の工事ではなく、いまだ解決していない組合側と町民側の共浴場の問題が引き起こしたものと、話をすり替えてきたのか。それも、要請されて山代に来た陸軍病院が国益のために行っていることに違法性がないと言わんばかりじゃのう。」
明覚 「行基和尚。前にも指摘したように、早く町民との問題を解決してこなかったツケが、ここにきて表面化したようですなぁ」  
  
第四、尚被申請人ガ本件掘鑿ヲ計画スルニ至レルハ左ノ如キ事情存スルモノニシテ、即抑々本件山代分院ハ明治四十四年其設置ヲ見ントスルヤ、北陸各温泉地ヨリ其設置希望ニ付激烈ナル競争アリ結局申請人等山代区ニ於テハ、陸軍ニ於テ必要トスル湯量ハ自由ニ供給スベシトノ申出ニ基キ其設置ヲ見ルニ至リタル然ルニ愈々其設置成ルヤ、申請人等中ニハ其余剰温泉ヲ放流シ居レル者アルニモ拘ラズ申請人等温泉宿側ハ何等温泉ノ分割ヲ為サズ己ムヲ得ズ山代共浴場ニ於テ使用セル温泉ノ一部ヲ分割セルモ、其結果ハ共浴場ニ於テハ湯量不足ヲ来タシ分院ニ於テハ湯量不足ノ上ニ其温度ヲモ低下シ相共ニ至大ノ苦痛ヲ感ズルノミナラズ、右分院ニ於テハ給水モ亦充分ナラズ、サリトテ莫大ノ国費ヲ投ジテ設置シタル分院ノ移転ノ如キハ素ヨリ容易ニアラズ、右両様ノ改善方ニ就テハ陸軍当局ニ於テ多年ノ研究調査ヲ為シ漸ク本年度(昭和四年度)ニ於テ本件鑿井計画ノ実施ヲ見ルニ至リタル次第ナリトス。
然レドモ陸軍当局ニ於テハ、徳義上申請人等ヘ懇請シ置クヲ可ナリト信ジ、昭和三年五月以来或ハ金沢憲兵隊長・石川県保安課長ヲ経テ又ハ相共ニ本件申請人等ト折衝シ為メニ本件工事ノ着手モ昭和四年末ニ近キ五月二十一日迄遅延シ今亦申請人等ニヨリ本件ノ如キ何等正当ノ理由ナキ攻撃ヲ受クルガ如キ被申請人ノ迷惑甚シキモノナリト述ベ、尚金沢衛戍病院山代分院ニ於テハ、従来給水モ不足シ湯量モ不足ナリシヲ以テ本件鑿井工事実施ノ結果、給水、温泉何レトモ湧出スレバ之ヲ使用スル目的ニテ掘鑿ニ着手シタルモノナリト釈明シ、更ニ・・・
  
(要約)
第四に、陸軍側が本件の井戸掘削を計画したのには、次の事情がある。山代分院を明治44年に設置をしようとした時に、北陸各温泉地では、その設置を希望する激烈な競争となったが、山代の組合や山代区では、「陸軍に於いて必要とする湯量は自由に供給すべし」との申出に基づき、山代に決定したものである。しかしながら、その設備は組合側においては余剰温泉を垂れ流している者もあるにも関らず、宿側は何等温泉の分割をしないので、やむを得ず共浴場において使用する温泉の一部を分割した。その結果、共浴場に於ては湯量不足を来たし、分院に於ては湯量不足の上に温度も低下し、多大な苦痛を感じている。更に、分院では給水も充分でなく、膨大な国費を投じて設置した分院の移転も容易に出来ない。この給水と温泉の改善について、陸軍当局に於いては多年に研究調査をし、昭和4年度に本件井戸の計画を実施した次第である。
陸軍当局においては、徳義上組合側等に懇請し、対処してくれると信じ、昭和3年5月以来或は金沢憲兵隊長・石川県保安課長を経て、又は、随時組合側と折衝をした為に、本件工事着手も昭和4年5月21日まで遅延したのに、今更、組合側より何等正当の理由がないと攻撃を受けるのは迷惑である。山代分院では、従来給水も不足し、湯量も不足しているので、工事の結果、給水、温泉何れも湧出すれば、これを使用する目的で工事に着手したものであると釈明する。

行基 「覚えているかな、明覚や。この夢対談の初めの頃、山代村からの陸軍病院招請の説明をしてくれた時に、私は、これは後々問題になり、心配じゃと話した時のことを・・・・・・」
明覚 「エート、どこの部分でしたかな」
行基 「山代に分院を設置するために、当時の永井村長、横井区惣代らが、明治43年に陸軍大臣子爵寺内正毅宛に提出した設置願い推奨文の内容が、後々に問題になると、その説明を聞いた時に指摘したんじゃがのぅ。もう一度その文章を見てみよう。ほれ、次のようになっているぞ」

今回連合師団ノ療養所常設セラルルニ際シ、本村ハ現在共浴場四個ノ内、三米四方深サ九十糎ノ浴槽二個ヲ患者用トシテ供給シ、猶他ニ電気浴等ノ設備セラルル場合ハ、是亦泉量自由ニ補給可致候。勿論敷地ハ場所ノ如何ニ拘ラズ全部献納可仕候ニ付、特ニ本村ニ御指定ヲ仰ギ度、本村会ノ決議ヲ経・・・・略

明覚 「陸軍側の申し立ての中では、確かにこの文面に記載してある(泉量自由に補給可能)との文言を強調しておりますなぁ」
行基 「陸軍病院に来て欲しいばかりに、なりふり構わず請願書を書いたんだろうな。石川県のみならず全国各地の温泉地で、分院の誘致競争が激しく行われていた時代じゃからのぅ」
明覚 「来てくれたのは良いけれど、肝心の温泉も、生活に必要な給水もままならずでは、陸軍当局も黙っちゃいないわなぁ」

一・本件鑿井工事ハ国家ガ其財産上ノ利益ノ為メニスル所謂経済的行為ニアラズシテ、公共ノ利益ヲ目的トスル純然タル公法上ノ行為ナルコト明カナレバ、公法ノ適用ヲ受クルモノナルコト寸毫モ疑ヲ容レズ、従テ仮リニ数百歩ヲ譲リ本件鑿井工事ノ結果申請人等ニ損害ヲ及ボシタリト仮定スルモ、法令ニ特定ノ規定アラザル限リ国家ニ於テハ私法上ノ責任ヲ負フベキモノニ非ザルコト論ヲ侯タズ

二・土地ノ所有者ハ法令ノ制限内ニ於テ自由ニ其土地ヲ使用スルノ権利ヲ有シ、其権利ノ範囲ハ土地ノ上下ニ及ブモノナルコトハ、民法第206条及同法第207条ノ規定スル所ナリ、故ニ法令ニ別段ノ規定ナキ限リ土地所有者ガ其土地ヲ掘鑿シテ地中ノ温泉ヲ引用スルコトハ其権利ニ属スル所ナルヲ以テ之ガ為メニ偶々隣地所有者ノ温泉ニ影響及ボスコトアリトスルモ、是レ法律上許サレタル権利行使ノ結果ニ外ナラザレバ、之ヲ以テ違法ニ他人ノ権利ヲ侵害スルモノト云フヲ得ザルコトハ論ヲ侯タザル所ナリトス、而シテ本件鑿井工事ハ傷病兵ノ療養ニ使用スベキ温泉設備ノタメニナシタル、適法ナル権利行使ナルヲ以テ仮令其結果申請人等ノ温泉湧出量ニ影響ヲ及ボシタリトスルモ被申請人ニ於テ何等ノ責任ナキコト毫モ疑ヲ容レズ。

三・本件鑿井工事ハ傷病兵療養上一日モ早ク其完成ヲ必要トシ若シ仮処分ニ依リ施行ヲ停止セラルルガ如キ場合ニ於テハ測リ知ルベカラザル不利不便ヲ蒙ルニ至ルベキ事情ニ在ルモノナリ、右ノ次第ニシテ本仮処分申請ハ毫モ理由ナキヲ以テ却下ノ裁判アリタシト述ベ疏明トシテ (以下略)

(要約)
  一・この井戸工事は国家がその財産上の利益のためにするような、いわゆる経済的行為ではなく、公共の利益を目的とする純然たる公法上の行為であることは明らかである。従って、公法の適用を受けるなどは想定外である。仮に数百歩を譲って、本件工事の結果、組合側に損害を及ぼすと仮定しても、法令に特定の規定が無い限り、国では私法上の責任を負うべきものではないと考える。

  二・土地の所有者は、法令の制限内において、自由にその土地を使用する権利を有している。その権利の範囲は土地の上下に及ぶことは、民法第206条、207条に規定されている。従って、法令に別段の規定が無い限り、土地所有者がその土地を掘削し、地中の温泉を引用することは、その権利に属するもので、このために隣地所有者の温泉に影響を及ぼす事が有っても、法律上は許される権利行使である。これを違法であり他人の権利を侵害すると言うのは、論ずる必要が無い。そして、本件工事は、傷病者の療養に使用する温泉施設のための適法な権利行使である。その結果、仮に温泉湧出量に影響を及ぼしたとしても、陸軍側に何等の責任も無いことは疑いない。

  三・本件工事は、傷病兵の療養上、一日も早く完成させる必要が有る。もし、仮処分により、工事施工を停止させられた時は、計り知れない不利不便を受けることとなる。従って、本仮処分申請は、理由が無いとして、裁判所において却下されたい。(以下省略)

行基 「何となく陸軍の言い分も分かるような気もするなぁ。ところで明覚や。いったい民法の206条、207条には、何が書かれているんじゃ」
明覚 「はい、次のように記されています」

(民法第206条) 所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分する権利を有する
(民法第207条) 土地の所有権は、法令の制限内において、その土地の上下に及ぶ。

行基 「なるほど、陸軍側の申し立て根拠は、この民法の条文を前面に出してきたんじゃな。しかし、既に金沢地裁の主文で、結論が出たんじゃなかったかな」
明覚 「そうなんです。陸軍側には工事廃止及び復旧工事請求事件の判決が確定するまで、分院の敷地内で実施中の井戸工事を停止し、かつ、清水や温泉を汲み上げてはならないと結論しました。」
行基 「その理由が分かるか」
明覚 「はい、判決文中理由書が添付されていて、次のように記載されています」
      
  判決文中理由書
申請人等ハ執レモ居町山代町ニ於ケル温泉業者ニシテ夫々同町山代地内ノ自己所有地其他ニ湧出スル温泉ヲ使用シ其業ヲ営ムモノナルコト。
被申請人ハ同字内ニ陸軍傷病兵ノ療養ヲ目的トスル金沢衛戍病院山代分院ヲ設置シ居ルモノナルガ右申請代理人主張ノ如ク予テ右分院敷地内ニ其療養上ノ需用ヲ充ツル清水又ハ温泉ヲ採取スル為深サ六百尺ノ鑿井ヲ計画シ昭和五年二月中右工事ニ着手シ現在約四百八十尺迄掘鑿シタルコト。
更ニ申請人等使用温泉ハ石川県令温泉取締規則ニ定メラレタル山代温泉地区内ニ所在シ而シテ前記山代分院ノ鑿井箇処ハ右温泉地区ノ近距離ニ在ルモノナルコトハ当事者間争ナキトコロニシテ更ニ申請人等使用ノ温泉ト叙上ノ如キ地位的関係ヲ有スル被申請人ノ前記鑿井ニ付テハ既ニ其工事着手後深サ百九十四尺ノ掘鑿程度ニ於テ其坑内ニ高温ノ温泉湧出シタルコトハ被申請代理人ノ自認スルトコロニシテ更ニ成立ニ争ナキ疏甲第八号証ノ一(本件仮処分申請後其本案訴訟ニ付施行シタル鑑定ノ書面)ニ依レバ現ニ該鑿井工事ニ就キ既設ノ埋没鉄管ヲ利用シ之ニ揚水ポンプヲ掛ケ一昼夜平均百石乃至三百石(其最高量ハ仮リニ被申請代理人主張ノ本件鑿井ノ計画・温泉所要量ニ従ヒタルモノ)ノ汲出作業ヲ実地ニ為シ其影響ノ有無ヲ申請人等使用ノ温泉中ノ自宅ニ湧出スル温泉二ケ所及申請人等中共同使用ノ温泉俗称大溜ニ付検シタルニ右汲出ニ因リ何レモ夫々湯量ノ減少ヲ来セシコトヲ認メ得ベク叙上ノ右事実ニ徴スレバ被申請人施工中ナル係争鑿井工事ノ遂行乃至汲出ノ為申請人等使用ノ温泉ニ不利ノ影響ヲ及ボシ其程度ノ如何ニ依リテ其温泉宿営業上ニ担当ノ損害ヲ生ズル虞レナキニアラザルコトヲ看取シ得ベク之ニ反シ一方被申請人ニ於テハ前記療養所ニ要スル温泉ニ付テハ従来其使用温泉ニ付テハ山代町経営ノ共浴場ヨリ其分与ヲ受ケ現
在モ猶之ヲ継続シ居レルコト。
被申請代理人主張自体ニ徴シ明カナルコトヲ彼是推考スルトキハ本件ニ於テハ前叙影響ノ有無ノ外申請人等ハ古来ヨリ温泉引用権ヲ有シ且其権利ノ内容トシテ同人等引用温泉ノ附近ニ於テハ他人ノ温泉掘鑿ヲ為サシメザルコト得ルモノナリヤ否ヤ又被申請人ノ本件鑿井ハ国ノ公法的行為ニ属シ且正当ノ権利行使ニシテ毫モ不法ナキモノナリヤ否ヤ等ノ本案請求権ノ存否ニ関スル争点ハ之ヲ本案訴訟ニ於テ決スルヲ相当ト認メ該本案訴訟ノ終結ニ至ル迄継続スル権利関係ニ付キ著シキ損害ヲ避クル為メ一時被申請人ヲシテ該鑿井工事ヲ停止セシメ且其既設工事部分ニ拠ル揚水ヲ禁ズル趣旨ノ本件申請ヲ相当ノ理由アルモノト認ム。
位テ本件申請ヲ許容シ主文ノ如ク判決ス
  金沢地方裁判所民事部   裁判長判事  阪口  清
               判 事    松浦弥太郎
               判 事    田中 一郎
  右正本也
      昭和五年七月十六日
  金沢地方裁判所民事部   裁判所書記  林 惣次郎

(要約)
申請人の組合側は、山代に居る温泉業者で、それぞれ山代地内の自己所有地その他に湧出する温泉を使用し業を営む。被申請人の陸軍は、同地内で傷病兵の療養を目的として分院を設置しているが敷地内に療養上の需要を満たす清水及び温泉を採取する為に、深さ六百尺の鑿井を計画し、昭和5年2月中右工事に着手し現在約四百八十尺迄達したこと。更に、組合側の使用する温泉は、石川県令温泉取締規則に定めある山代温泉地区内に在り、分院の井戸掘削の場所は、組合側温泉地区の近距離に在ることは双方認める。更に、組合側使用の温泉と地位的関係にある陸軍側の井戸については、既に工事着手後深さ百九十四尺程度においてその坑内に高温の温泉湧出したことは、陸軍側も認める。証拠鑑定の添付書面によると、既に井戸には埋没鉄管を利用し、揚水ポンプにより一昼夜百石から三百石の汲出作業を実地し、影響の有無を組合側使用の自宅湧出温泉二ヶ所及び共同利用の大溜を点検したところ、何れも湯量の減少を来たした事は認めるべく、係争の井戸工事の遂行及び汲出のため、組合側に不利な影響を及ぼし、その程度によっては、温泉宿営業上に相当の損害を生ずる恐れあることは、見て取れる。一方陸軍側は、療養所に必要な温泉については、従来山代町営の共浴場より分与を受けて現在も継続中である。よって、影響の有無のほか、組合側の温泉引用権として、引用温泉の附近で他人の温泉掘削を止めさせることが出来るかどうか、また、陸軍側の本件工事は国の公法的行為であり、かつ、正当な権利行使であり不法では無いかどうか等の本案請求権に関する争点は、これを本案訴訟において決定するのが妥当と認める。当該本案訴訟の終結に至るまで、継続する権利関係については、著しき損害を避けるため、一時被告陸軍側は、掘削工事を停止し、既設工事部分での揚水を禁ずることが妥当であると認める。従って、本件申請を容認し、主文の通り、判決する。
 
明覚 「和尚。このように肝心の温泉所有権や引用権等については、鑿井工事廃止及び復旧工事施行の本訴で決するべきであって、現時点における地裁の判断とすれば、それが確定するまでの組合側の損害を避けるため、陸軍による掘穿工事停止の仮処分申請のみ一時的に認めるとしたのです」
行基 「そうか、組合側も不服じゃが、これでは陸軍側が納得せんじゃろうな。」
明覚 「そうです。陸軍側はこの判決を不服として、直ちに名古屋控訴院(現在の高等裁判所)に上告したんです」
行基 「そうか。更に裁判で争うことになったんじゃな。それでどうなった結果は・・・」
明覚 「はい。上告から2カ月後の昭和5年9月26日に名古屋控訴院の判決が出ましたが、結果は地裁と同様でした」
行基 「そうか、同じだったか。それで陸軍はあきらめたのか、それとも当然ながら、更に上告したのか」
明覚 「はい。陸軍側は最終審である大審院(現在の最高裁判所)に上告致しました。時の陸軍としては、これは国事行為であり、ましてや民間の旅館ごときに負けるはずがないと思っていますから、最後まで争いに挑みましたよ。何分にも戦は得意中の得意ですから・・・・」