前に読んだ筆者の最新刊。
『心はどこへ消えた?』も自腹だったので、「これも気にいるっしょ?」と新刊を勧めてくるAmazon。
その策略にまんまと乗ってしまい、どうせ図書館にはまだないか、あっても長い長い待ち行列でしょうと、さっさと買ってしまう。
訳あって、今月は書籍代が予算超過
まあいいか、まだ旅行にも行かないし、行く気もしないし。
さて、臨床心理士の最新刊、面白くて一気に読んでしまいました。
個人情報をいくらか脚色した実例を挙げながら、「こころ」の取り扱いの一例を紐解く。
自分にも「ぎくり」と思い当たる実例があったりして、そんなつもりはなかったが、実用的な側面もある。
知人や友人に本を勧めるのは、難しい。
イヤミにとられる可能性があるし、「私のこと、そんなふうに思っていたの?」と勘ぐられるリスクもある。
だから直接は勧めないけど。
生真面目で、サボることに罪悪感を感じるタイプのひと、ワタシの周囲にはゴロゴロいるんです。
そういう傾向のある人に、読んでみてほしいな、と思った。
座禅会に何度も足を運んだ30代。
四国の遍路道を歩いてまわった40代はじめ。
ワタシの「こころの処方箋」は、仏教だったように思う。
座ること、黙ること、意味がわからなくても経を声に出すこと、ただひたすら歩くこと。
その経験から得たものは、言語化しにくい。
この本に書かれていることは、いちいち腑に落ちた。
仏教に限らないだろうが、宗教的な実践には、心理学の知見と通底するところがあるように思う。
「カウンセリングを受ける」というのは、なかなかにしんどい経験らしい。
鍼灸治療と似ていると思った。
心身の不調に苦しむたいていのひとは、対症療法を求める。
腰痛や肩こりを治してほしい。
よく眠れるようにしてほしい。
スッキリさせてほしい。
それなりに気概のある鍼灸師は、覚悟を決めて、長く通ってほしいと思っているはず。
それは金儲けのためではなく、こじらせてしまった心身の不調を整えるには、それだけ時間がかかるということ。
根本的な治療のためには、一時的に体調が悪化したようにみえることがある。
施術者を信じて続けてほしいのだけど、その段階で「ちっとも良くならないじゃない」と止めてしまうひともいるだろう。
(開業していないから、実態は知らんけど)
どうやら、心理カウンセリングも同じらしい。
カサブタを剥がし、つらいからと当人が避けてきた「こころの深いところ」に向き合わねばならない、らしい。
「眠れるようにしてほしいだけ」というひとが、選ぶだろうか。
お金・時間・覚悟が必要なのだ。
鍼灸治療も同様なのだが、長時間かけてこじらせた問題は、長時間かけて向き合わなくてはならない。
はて?「向き合う勇気」があるんだったら、カウンセラーなんて要らなくない?
自分でできるんじゃない?
おそらく、「向き合う勇気」が必要だけど、それができないひとと付き合うところから、「カウンセラーのしごと」なんだろう。
心理学を専攻しようと考えるひとの「傾向」に触れた箇所があった。
ワタシも常々、まったく同じように考えていたので、自分の見識の正しさを示してもらったように感じた。
読みやすいのに、内容は深い。
いい本だと思います。