図書館で借りた本📖
【読書メモ】
◆第1章 障害と文化 ー展望ー
障害に関する比較文化的研究
障害の定義
文化的要因が関与
機能障害、能力障害
「弱い相対主義」
現代欧米の言説「平等が望ましいという前提」
p.27
欧米における障害は国の枠組み、法的・経済的・生物医学的制度の内に存在し、それによって生まれている。
p.29
多くの社会では、出生時障害は、人間としての属性と人であることがすでに確立した時期で起こる後天的な欠陥よりも、非人間的であると見なされるようである。民族誌学の諸文献には、擬人化されず、死ぬことが期待されている移入時に関する多くの報告が含まれている。
人間としての属性に関する文化的概念化は多様
家族の一員であることや子どもをもっていることは、働く能力や外見よりも人であることにおいて遥かに重要な社会もある
自立と依存
自律性と関係性の間のバランス
社会組織の特徴 3つの重要な問題
1.障害のある成員を世話できる家族の能力とは何なのか
2.社会の職業構造が、損傷のある人々をどのように受け入れているのか
3.障害者のための特別なプログラム・施設・組織の存在に関すること
障害とジェンダーの違い
「ライフサイクルのどの時点で障害が発生するのか」非常に重要
家族の社会的・経済的地位における差異
乞食として直接的な報酬を得ることができる
障害のある「娘」「息子」の結婚は、「婚資」の増減に反映
◆第2章 人であるものと人でないもの 中央ボルネオのプナン・バの人々における障害と人であること
「精霊」重度の身体的障害児
1975年に老女との間に交わされた会話
プナン・バ:1500人くらいの少数民族集団、中央ボルネオ、焼畑農業、業老、狩猟、採集
階層化されている、少数の「貴族階級」と多くの「庶民」、第二次大戦後のかなり長い間奴隷がいた(貴族の世帯の一部)
儀礼の変化
人間の出生は生理学プロセスであり霊的なプロセス
男性を創造者、女性を滋養者とする理解
新生児の身体は肉体的な容器、祖霊が子どもの中に永続的に宿って初めて「本物の人間」になる
双子は社会的不名誉
先天的な重度の身体障害は個人を境界上の地位におく
「人間でないもの」「精霊」
精神疾患等は、非人間の精霊によって引き起こされ、肉体の魂を二次的な地位にまでおとしめる
社会の中の特別なカテゴリーの人々、妖術師
プナン・バの人々は、身体的・精神的に損傷のある人々がその状態に対して責任があるとは考えていない
人であることは第一に社会的諸関係と結びついている、個別性は軽視されていない
仕事、儀礼、家族生活が密接に統合されている。
西洋社会とは違う(ほぼ逆)
ロングハウスの空間的なレイアウト
嫡出の子どもをもつことの重要性
→養子縁組、「責任の表現」、その行為者と配偶者は最大限の敬意を受ける
→自分の子どもがいないままでいる人は、プナン・パの中にはほとんどいない
「完全な人」であることを否定されたままで終わる者はいない、構造上障害者はいない社会
祖先たちの行きた化身→適切にケアすることが道徳的義務
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なんか、ときどき手に取る「あのシリーズ」と見た目が似てる
「○○を知るための▲▲章(エリア・スタディーズ)」
たとえば、こういうやつ。
似てると思ったら、出版社が同じなのでした。
「芋づる式読書」の流れで、ボルネオ島の先住民族に関心をもった。
この本はさまざまな地域の「障害と文化」に関する「ちょっとお硬い文章」を集めたもの。
ボルネオ島の部分だけ、丁寧に「読書メモ」を記しながら読んだ。
残りは、興味を引いた部分だけ、ざっと目を通しました。
子どものころには、「ちょっと足りない子」でも働ける場が、そこそこ存在していた。
口コミとか、経営者の温情だったのだろうか。
ちょっとした雑用とか単純な作業、急がなくていい仕事、掃除などを頼んでいたようだった。
そうした職場は次々と姿を消して。機械化されて。
次は、AIの進展によって、「そこそこ賢い人たち」の働く場が減っていくのだろう。
残るのは、「AIの先生」になれるような人、NHKテレビ「プロフェッショナル 仕事の流儀」に近い質の仕事ができる人に限られていくのかもしれない。
だからといって、障害者にも「ちょうどよい仕事」と居場所があって、「個人的な能力」より「社会的な振る舞いの巧みさ」が重んじられるような先住民の社会のほうがいいっていうほど、ワタシもピュアじゃない。
学ぶところは、たくさんあると思う。
生、死、家族、人間とは?など、自分たちのものさしで考えていても腑に落ちないとき。
ふと、違う価値観を覗いてみると、視界がひらけそうな気がする。
「気がする」だけだけどね。