カルチャーラジオ「文学の世界 生誕200年 ドストエフスキー・現代へのメッセージ」

 

第2回「苦痛を愛する」に触発されて、「地下室の手記」を読みました。

 

 

 

 

 

 

私が考える「文学の価値」とは、時代を超えた普遍的な「なにか」を感じさせる、考えさせること。

 

この本もしかり。

 

ただ、この本の「率直な感想」を「ここに」書く勇気を、私は持たない。

 

現代日本に跋扈する、「単純」でわかりやすい人権概念や人間観に反するし、多くの人の気分を害することは間違いないから。

 

率直で冷静な意見交換が出来る友人との直接対話でのみ、私は「思い」を語りうるだろう。

 

「直接」といっても、画面越しだがね真顔

 

人文科学とかリベラルアーツと呼ばれるものは、今の教育では軽視されているらしい。

食っていくには役に立たないから。

 

恥ずかしながら、かつて、私にもそうした感覚はあった。

中学・高校の国語で文学作品を読むのはナンセンス。

論説、せいぜい良質な随筆を読めば十分であり、論理的な文章を読み書きする力を養うべきだ、と大真面目に考えていた。

「考える力」を養うにも、それが最善だと。

 

今は変わった。

文学作品を読むには想像力が必要だし、読書を通じて「考えること」は貴重な経験だ。

 

とはいえ。

この1週間、何冊かの本を並行して読んでいた。

読書三昧といえば聞こえはいいが、「大人」としてどうなのよ?

 

ゲームを手放せない子供(大人もいるようだが)と、あんまり変わらないぞ滝汗