昨日のわたしのブログに書いていたこと

脳の難病の元同僚の彼女の

あんらくし、の件

わたしがラインで

あんらくしが検討出来るなんて
羨ましいよ

わたしも、もし?
宝くじとかが当たったら

あんらくし、を検討したい

と、伝えると

彼女からは
宝くじ、きっと当たるよ

と、慰めの言葉の返信をもらいました

それにしても?どんなことの慰めの会話なのか?
宝くじが当たることだけの話であれば

ふつ~の会話であれども

宝くじ当たってほしいのが
あんらくしを検討するためって

あんらくしの検討の為に
宝くじが当たってほしいなんて
それこそ、去年のわたしには想像も
し得なかったこと魂が抜ける


そして、彼女に
あんらくしを検討出来ることだけでも

羨ましい、って
伝えることで

彼女は少しは自覚してくれたかも?
自分自身の今の状況であっても

人から羨ましがられる事もある

それは、同じ難病であっても
資金がないと
あんらくしの検討さえも出来ない

( ゚д゚ )彡そう!つまりは、選択の余地なしで
これからの未来の予測される状態と

向き合っていかなければならない人達も
確かに存在している

でも、彼女は選択肢がある
夢ではなく、リアル化出来る可能性も
大きいかも?という彼女の今の現状

それは、同じ難病で
あんらくしを選びたくても
資金がなく、検討することすらも出来ない人達と
あえて比べると

彼女は幸せであるとも捉えることも出来る


( ゚д゚ )彡そう!こうやって
少しずつであっても
小さなこと?からであっても

今の自分自身の状況であっても
幸せな事があるということに気づいていくことも出来る

まずは、気づくことからはじまる

もちろん、気づかずに
嘆き悲しんだとしても

その選択にも良し悪しはなし


それにしても、今の人類の幸せなことは
先進国?資本主義国?の合法で

あんらくし、を実行していることの凄さ

ある意味での合法での
死をもコントロール出来ることは
幸せなこと?




どんな形であっても
生かし続けることにフォーカスしているイメージの
今の医療ばかりに

意識がいっていたけども

生に光を強く当てると
隣の
死にも光が当たり

これまでには見えなかったモノが
見えてくる


そして、死は闇ではない

死のあちらの世界こそが

わたし達の本来の居場所

本来の還る場所だからこその

死を恐れる人達が多いのでしょう🌏