先日の👇のブログには

相手の本来の力を信じるしかない

というような事を書いてアップした後
この表現の仕方に

とても違和感を感じていた、わたし

それは、昨日のブログにも書いていたように

わたしは、信じるという周波数に
というか?
信じる、と安易に表現してしまうことに
元々違和感を感じていたから

というのも
信じる、というエネルギーには
期待や希望のエネルギーが含まれているのを感じるから


そして、いつかのブログに書いたかも?の

信じる?って意味がわからない

例えば、結婚している
相手に別の好きな人が出来た時にも

信じていたのに〜という言葉が使われるのも
ふつ~に聞くし

でも、わたしからしてみれば
工エエェェ(´д`)ェェエエ工

人を好きになるのは
自然な感覚であり

信じる?信じない?の問題ではないよね?
もちろん、契約的な問題は別として

とにかく、何故か?みんな
信じる、という言葉をとても安易に使いたがる

とりあえず
信じる、って言っとけばいいや〜的な
お手軽な感覚


そして、そんなお手軽な、信じるには
お手軽に、反転し

疑いと裏切られた?とかの想いになる

勝手に信じて
勝手に裏切られた、と思っている

いやいやいや
信じてほしい、と言う人もいるかも?
だけども
信じてほしい、と言ってもいないのに

勝手に信じて
勝手に裏切られた、って


工エエェェ(´д`)ェェエエ工

だから?わたしは信じてもらうことも
苦手

一瞬、嬉しくも感じることもあるけども
後は、ある意味での

プレッシャーというか?

信じている、という檻に閉じ込められてしまう
感覚?というべきか

とにかく、ここでわたしが表現していることも
わたしの感覚オンリーであり

何の根拠もないことなので
まさかのまさか

信じていないよなぁ〜

テキトーなことしか爆笑言っていないのに
信じてもらっても困るぅ笑い泣き

と思っているからこその
時として

わたしにとってのわたしのリアルでは、とかの

わたしの世界オンリーを
強調しているわけなのです照れ

そして、それは人を信じていない?
とかでもなく

それこそ、ある意味での
信じる?とか、信じない?とかの
問題でもない感覚


それは、特定の人に対して

信じている、と表現するからには

例え、その人がどんな側面を見せても
信じる、というよりも

好きでい続ける自信があったら

信じる?という言葉を言ってみても( ・∀・)イイ!!のかも?

でも、そこまでくると

信じる、というよりも

無償の愛、になるしね星


ということでの👇のブログに表現していた

本来の相手の力を信じる

というよりもの

本来の相手の姿を思い出すキラキラ
わたし達は本来はどこもかけることがない
完全なる意識体🌏

であることを思い出す音符


ほらほらほら

信じる、という表現よりも

思い出す、知っている、という表現が
とても力強い周波数を感じる、わたし

まぁ~わたしもついつい
その場ののり?にあわせて

信じる、とお手軽に使ってしまうことも
しばしばあるので

気をつけようてへぺろ爆笑

それに、信じる、を使うのだとしたら

相手を信じている
自分自身を信じる、とか?

この表現の仕方だったら

相手のせいには出来なくなり
つまりは矢印は相手にむくのではなく
自分自身に矢印をむけることに

つながるからキラキラ


ちなみに信じるキーワードで👇のブログに
書いていた事を思い出しました

2004年4月の
関野あやこさんのアンフィニクラス
マスターコースの最終日の出来事


わたしはまさしく
あやこさんに対しての

疑いの周波数が出てきた時のお話


いやぁ~~今振り返ってみても

あの時のあの

疑いの周波数は

わたしにとってのビックな🎁だった照れ

マジで、感謝しかない照れ

と、こんなことを書いている今日は
2024年4月30日

ということは、
すご~い

わたしが2004年4月に
アンフィニマスターコースを卒業して

丸々20年が経った月の最終日

相変わらず、わたしにとっての
わたしのリアルは

良く出来すぎちゃている🌎